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絶望を抱えて

あるドラマで、嘘が嘘を呼びことがどんどん大きく、破滅に向かっていくというストーリーを見た。まさに今、我が家族で起こっていることも、これと同じだと感じた。

伯父はいつも、
祖母を心配させるから言わないで。
私の両親はわーわーと怒るから言わないで。
と言う。

それ自体が事実だとして、じゃあ私が一人で抱えておけというのは酷だと思わないのだろうか。介護の相談をしたときも、市の相談にいったときも、皆さんから口を揃えて一人で抱え込んではいけないというアドバイスをもらった。そのアドバイスと伯父の言う言葉には、ずいぶん乖離があるなと思う。

結局人に言いたくない気持ちの裏には、後ろめたさがあるからなのだと思う。怒られたくない、ダメなやつだと思われたくないという見栄やプライド。それを守るためについた小さな嘘の整合性を保つために、嘘はどんどん大きくなり、辻褄が合わなくなっていく。

祖母はどんなときでも伯父の味方だ。
体を弱く産んでしまったのは自分のせいだから、という祖母の中で背負ってしまった十字架に70年以上囚われている。その十字架さえおろしてしまえば、今みたいにはなっていなかったと思うが、それを言ってもしょうがない。

たらればばかり話して何も未来の話ができない母をどうにか諌めながら、現実的に伯父を今後どうするか、ということを話し合った。伯父自身の気持ちもあるからと言うが、お金が絡むとそんなことも言っていられない。
何より差し押さえが始まったら、伯父はどこにもいけなくなるのだ。
そうなってからでは遅かろうとどんなに説明しても、伯父には伝わらない。

母は涙声で、こんなことになるならもっと早いうちに離婚しておけばよかった。私を産んだのは間違いだったのかもしれないと言う。
そんな悲しいことを母に言わせる今の状況は辛いし、私自身望まれて生まれてきたはずなのに、今になって存在していていいのか、と疑問を抱くようになった。

私がいなければ、いないなりの方法で対処するしかなかったと思う。
ところが3親等以内の家族であるが故に、勝手に運命共同体にさせられた気分だ。こんな未来望んでいない。

どう転んでも未来は暗い。
来月には終わるはずと毎月のように希望を持って過ごしていたが、伯父と祖母が生きている間、この悩みが終わらないことが確定した。
伯父は先のことは後で考えればいい、と呑気に言う。

糠に釘どころか、沼に爪楊枝くらいの伝わらなさ。
どうにもならない絶望感を抱きながら、今日もどうにか生きている。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。