【読書感想文】天気売りさん
いしいしんじという作家の『ポーの話』を読んだ。何を間違えたか、エドガー・ポーにまつわるミステリーのつもりで買ったら、中身はおとぎ話風で、小学生後半から読めそうな感じだ。(ちなみに後で知ったが、いしい氏は新聞の人生相談の回答をされており、私は同性愛に関する回の彼の回答を読んで泣いたことがある。)
人間も出てくるが、ヘンな生物である主人公ポーとか、うなぎ女とか、ちょっと意味不明で、でもそれらは人間と共存しており、ダマされたつもりでとにかく読み切った。
要はポーの生活、ポーをとりまく面白い仲間たち、ちょっとした冒険、などの話である(1.5センチの本を1行で要約できる)。
だが、一つだけ面白いキャラクターがいた。天気売り、と呼ばれているヤツだ。これは水路のほとりや大通りの角で、しきりに「空、みてください!」「ほらほら、雲、とれてきた、おお、空、みてください!」「ほら、晴れてる!空ですよ!空!」と連呼して回る、というヤツ(多分人間)である。
私は空が好きで好きでたまらず、それゆえに病気になったほどだ。天気売りのくだりを読んで、現実にこういうヒトがいたら、世界は何か変わるかな、と思ったのだ。スマホばかり見て常に下を向いて歩くヒトビト。そこに「空ですよ!」と毎日天気を連呼して空を見よ、と叫びながら歩き回るヤツがいたら、どうなるだろう。みんな、空を見るだろうか。一旦は見ても、もし天気売りが毎日連呼していたら、そのうちに飽きて、やっぱり空を見なくなるのだろうか。
何も(飛行機など)飛んだりしていない、普通のときに、空を見ている人は、極めて少ない。あまり日常ではお目にかかれない。人間は、もっと空を見るべきだ。空を見る余裕さえない今の世の中は、寂しすぎる。もっとも、空を見ることによって何を感じるかは全くの自由だ。
ちなみに私は空を見るといつも「空は遠い、遠すぎる」と感じては、切ない気持ちになる、苦しくなる。だが至上の美しさを感じ、そのことによる喜びを同時に抱いてもいる。そのときそのときの空が、晴れていても、泣きそうな空でも。どんな表情の空でも……私はどんな空をも愛しているから、空に向かい手を伸ばし、そして決して届きはしないことに日々絶望を繰り返しながらも、それでも愛するのをやめることができないのだけれど。