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「信仰とはコミュニティである」美しき気仙沼第一聖書バプテスト教会で賛美歌と信仰を聴く|イベントレポート

気仙沼市で賛美歌を聴く機会を得られると知り、気仙沼第一聖書バプテスト教会を訪れた。


美しさに満ちる気仙沼第一聖書バプテスト教会で賛美歌と楽しみながら信仰とは何かを知る

気仙沼第一聖書バプテスト教会

筆者は無宗教であるが、だからといって見聞を広げなくて良い理由はない。その一心で、今日という機会を得ようと伺っている。気仙沼第一聖書バプテスト教会は、東日本大震災の後に新築された教会である。被災によって全壊した建物を、世界中のクリスチャンの資金協力により再建した形だ。

東日本大震災の後、多くの人々の善意によって多くの建物や事業、人々の生活の再建が叶ったが、気仙沼第一聖書バプテスト教会もその中の一つであった。筆者は関係者というわけでないが、世界中のクリスチャンに感謝の念が絶えない。人と人との繋がりや人間の善なる心の成せる力の大きさを心から感じる。

気仙沼第一聖書バプテスト教会の内部

気仙沼第一聖書バプテスト教会の中は、外から分からない程に広く、大きく太い梁が印象的な美しい景色が広がっていた。素人目に建築美を感じられ、また荘厳な雰囲気がどことなく神聖さを感じさせる。とりわけ東日本大震災によって建物とともに流出したが、奇跡的に見つかり教会へと帰還した十字架を望む光景は神秘的で、心奪われるほどに美しかった。

「モア恵利子賛美の外套」で賛美歌を楽しむ

気仙沼第一聖書バプテスト教会を訪れたのも初めてであるが、教会で行われる催しを訪れたのも初めてである。緊張こそしなかったものの、建物に入った直後からどのように振る舞って良いのか分からず、オロオロすることとなった。

しかしながら、運営の方々、参加されている方々の誰もが温かく迎えてくれ、軽く挨拶を交わした後、コンサートの時間を迎えられた。深く醸成されたコミュニティは、初見の者であっても気兼ねなく入っていけると言うが、まさにそうした入りやすさを感じられた。

今回参加した催しは、「モア恵利子賛美の外套」と銘打ったコンサートイベントである。モア恵利子氏による賛美歌の合唱に加えて、参加者による身の上話や賛美歌のデュエットなどが行われている。

信仰色は当然あるにせよ、一般的にイメージされる宗教イベントのような勧誘色はなく、仲睦まじいコミュニティで行われるコンサートとして気軽に楽しめる内容であった。

パワハラや嫁姑問題など、心を痛めるような出来事に見舞われるときに、心を軽くするような内容が歌われる聖書4章7節を用いた「いつまでも残るもの」や復興を祈り作られたとされる「この地に希望と喜びが」は印象深い楽曲であった。

「信仰とはコミュニティ」孤独に悩みやすい現代の若者への処方箋

コンサートが終わった後、談笑の時間を持った。日本を訪れて7年になるキース氏と牧師の嶺岸氏と話している。東日本大震災を経て気仙沼第一聖書バプテスト教会が建設されるに至ったお話や礼拝に関するお話などを伺った。

礼拝について、昨今は教会を訪れずにWEB会議ツール等を用いたリモート礼拝をされる方々がいらっしゃる話は、時代の変化を感じる話であった。また、昨今世間を賑わせた統一教会やエホバの証人の問題を信仰の観点から伺うことができたのは、まさにキリストを信仰する場ならではあったと思う。

筆者にとってとくに印象に残った話は、信仰とはコミュニティという話である。近年、信仰の場を訪れる方々も高齢化の一途を辿り、若い方々はあまり見られないそうである。キース氏によれば、日本だけではなくアメリカなどの海外でも同様とのことだ。

もちろん少子高齢化が進んでいる影響はある。少子高齢化は日本における問題として語られがちだが、先進国のどこでも進んでいる問題である。日本が突出して進み、他国に先んじているに過ぎない。

礼拝に訪れる方々は、その多くが横の繋がりによって訪れるとのこと。つまり、参加者の年代が大きく影響するため、参加者が年を重ねるのに合わせて、全体の年齢が押し上げられてくる。

若い方々が新たに礼拝を訪れるケースは、親に連れられてくるケースや稀少ではあるが牧師が若いケースくらいなもので、そうした方々が年を重ねてなお信仰を続けるとは限らないこともあり、結果として高齢化が進む形になるようである。

信仰や宗教は、何となしに特殊性があり、社会情勢とはまた異なるロジックによって少子高齢化社会と直接結びつかない可能性があるのでないかと考えていたが、現実はそうでないようである。

加えて、それこそ統一教会問題やエホバの証人問題にも関連するが、日本は宗教に対してアレルギーを持っている人々が多い。そうしたアレルギーは親から子へ、子から孫へと語り継がれやすく、結果的に若い人々の参加障壁は高くなっているのだと思う。

もちろん信仰は個々の自由である。各々が信じるものを信じるのが最善だろう。一方で、昨今の若者の多くは、何者かになろうと思い悩み、人生の意味や幸福を探し求めながら苦しんでいるケースが多い。他者との比較も生じやすく、一層悩みの淵に追いやられがちである。

そんな若者たちにとって、見えざる神への信仰は何らかの救いになる可能性は高いのでないかと考える。勧誘する意図は全くないが、誰もが誰かに救いを求めたい時代にあって、救いを求める先を見出しやすいのは、やはり神なのだと思う。

また信仰がコミュニティである以上、そこに孤独は介在しがたい。孤独に追いやられやすい現代の若者たちにとって、コミュニティという名の信仰は、やはり救いになるのでないかと思う。

何となしに参加した「モア恵利子賛美の外套」であったが、そうした気付きを得られ、また筆者にとって未知の世界に触れられる時間を過ごせたのは、とても良かった。自分の人生に迷っている人々、孤独に悩んでいる人々は、ぜひ一度訪れてみて欲しい。

気仙沼第一聖書バプテスト教会
・主日礼拝 毎週日曜
10:30~12:00 毎週皆で集まり、神様を礼拝しています。
・定期集会 毎週日曜
13:30~15:00 礼拝後に開催します。
・祈り会 毎週水曜
10:30~12:00
・毎週木曜
19:30~21:00 週ごとに祈りのテーマがあり、祈祷課題にそって皆で祈り合います。

気仙沼第一聖書バプテスト教会

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