弱いままで守られたかったな 〜友人に病気を打ち明けた話〜
ずっと、誰かに助けて欲しかった。守って欲しかった。
泣いているところに、手を差し出して欲しかった。うずくまっている私に、気づいて欲しかった。
それでは誰も助けてくれないと悟ったのは、高3の時。
「言わなきゃわからない」と何度も言われた。どうせ言ってもわかってくれないくせに、とか、それができないから困ってるんだ、という思いに先んじて感じたのは「そりゃそうだよな」だった。納得というか、諦観。諦めなければ。そう思った。
友人にヘルプを求めた
あれから…もう4年が経とうとしている。早いものだ。
4年経っても、相変わらず病んでいる…どころか状況は「なりふり構っていられなくなった」という感じ。というのも、PTSDの症状(なのだろうか??わからないけども)がだんだんとひどくなってきて、大学内で過呼吸を起こしたり、ちょっとしたパニック状態になることが増えた。1人の時なら良い。誰にも迷惑をかけない。主治医といる時も、まあ、良い。相手プロだし(先生ごめんね)。しかし、学部同期がいる前でそうなってしまったら話は別だ。そして、それは現実味を帯びたり、実際に現実になってしまったりしている。
意を決した。友人に事情を話すことにした。もし、私が受け答えができないような状態になってしまった時、なぜ「コレ」が起こっているのか知っているのと知らないのでは、相手の負担も、失うものも、小さくて済むだろうから。相手は、一番よく話していて、信用している友人。メンタルが悪いよ、ぐらいは伝えていたものの、他には何も言っていなかった。
勉強会の帰り道。
「今日調子悪かったの、バレちゃってるよね(勉強会を1時間程度離席していた)」
うん、調子悪そうでしたねえ、と彼は返す。
「ここまで色々心の調子とか相談してきて、疾患名を言わないのも無理が出てきたんで白状するんですが、PTSDなんですよ、あと解離性障害。家庭環境がよくなくてね」
そうなんだ、と彼は辛そうな顔をする。少し話してから、彼は、非常に気を遣いながら、無理に話さなくても良いんだけど、家で何があったんですか、と静かに聞いた。
「あ、見る?」
そう言って、私はパソコンを取り出した。自分が受けた被害について書き出したドキュメント。
はい、と彼に軽く手渡して、私は彼の反応を見ていた。痛そうな、苦しそうな顔をしていた。そんな顔をされるとは思わなかった。
「ねえ、そんな悲しい顔をしないで、大丈夫だから」
と私は笑って見せた。彼は、少し戸惑った様子で、普段の様子からは全く想像できなかったから、言葉が正しいかわからないけど、意外だったんだ、と言った。
「そうだよねえ、だって私いつもニコニコしているから。逆に、笑顔しか作れないんだよ」
始終ニコニコしている私とは裏腹に、顔が苦しそうに少し歪んだ彼を見て、私も悲しくなった。彼は私の大切な友人なので。彼に負担をかけるのはいやだな、と思った。
最終的に、私の様子がおかしい時に電話してほしい機関などをできるだけシンプルかつ具体的にまとめて彼に伝えた。彼は快く協力を申し出てくれた。
援助希求能力、この言葉が怖い
…はあ。コレは、一般的には「成功体験」というやつだろう。だって、自分の判断で、友人や教員にSOSを求められた。「言わなきゃわからない」のなら「言って説明してわかってもらう」のが最適解だ。そして、わかってくれる人 ≒ 否定せず受け止めてくれる人の数が、高校の時より格段に増えた。なんて恵まれているのだろう。
援助希求能力、かあ。一般にはそう言うよな。困った時にSOSを求める力。私はこの言葉が好きじゃない。すごく怖い。怖いんだ。
幼少期、暴力を受けながらも自分に援助が必要だなんて思うことができなかった。…これでどうやって援助希求能力が育つのか。高校時代、メンタルの不調を言語化して整然と相手に伝えることができない限り、助けは求められないようだった。…これでどうやって援助希求能力が育つのか。
大学になって、優しい友人たち、支えてくれる居場所支援事業のスタッフさんや、私の障害や疾病のことを否定しなかった教員たち、素敵なカウンセラー、信頼できる主治医に出会って、やっとSOSが出せるようになった。
だからこそ、私は思うのだ。
小さな子どもに援助希求能力が備わっているわけがない。
暴力を受けて育つ人間に援助希求能力が身につくわけがない。
そういった人々は、その後の人生でも、守ってもらえないのでしょうか。
援助希求能力が備わっている人しか助けてもらえないなんて。そんな馬鹿なこと、起こってませんよね?いや、起こってるんですよね。
弱いままで…
私はすごく強くなった。自分の困り事を、できるだけ事実ベース(感情は入れずに)で整理して話す。お願いしたいことも簡潔にまとめる。人に話しかける勇気、大事なことを打ち明ける勇気を持てるようになった。
本当はそんなものなど持ちたくなかった。
ただ泣いている自分に気づいて欲しかった。声も出せずに、泣くこともできずに、ただうずくまっている私を見つけて、助けて欲しかった。自分の足で立てというのなら、私の両足はすでに折れてしまっているのだ。せめて杖を与えて欲しかった。
弱いままで助けて欲しかった。強くなどなりたくなかった。
強くなるということ、それは、子どもの頃得られなかったものを、大きくなってからもずっと渇望していたものを、諦めることと等しい。
諦めたのだ。全部全部。そうしないと、今の私の状況もどんどん悪くなっていってしまうから。それこそ、ハラワタがちぎれるような思いだった。
諦めたのだ。だから、私は今、寂しくてしょうがないのだろう。
ああ、未だに、諦めたふりをしているだけで、諦め切れていないのかもしれない。
寂しい。寂しいな。