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『招待』〜 オライア・マウンテン・ドリーマーのことばから学ぶこと〜

これは、伝統的なシャーマンとしてのトレーニングを積んだ末に「マウンテン・ドリーマー」というメディスンネームをネイティブアメリカンの長老からいただいた女性が2001年に書かれ、広く伝わっているメッセージ。
つい先日 ようやくじぶんのてもとに やってきた。
なんとも ちょうどいいタイミングで やってきたんだ。

このところ ずっと「企てること・動くこと・やらかして気づくこと」の繰り返し(PDCAサイクルみたいだけど仕事じゃないからまーいいか)の中で そのサイクルが早すぎて見失ってんじゃねーのかってことが けっこうあったりもして それはとても崖っぷちの危険信号だった。

いつでもスタートラインに立てる勇気は大切だけれども
過去の囚われすぎるのもいいことないけれども
ほんとうにだいじなものを 簡単に手放してしまわぬようにしないといけないな。

ほんとうにだいじなものっていうは
あるとき とつぜん かんたんに こぼれおちたり 壊れてしまう。
毎日のスピードを上げすぎてその速度が快感になってしまってだいじなものを見失わないように。

このメッセージを ときどき読み返していこう。

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あなたが生活の為にどんな仕事をしているかは、どうでもいいことです。
私は、あなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのか知りたいのです。

あなたが何歳なのかということも、関心ありません。
あなたが、愛や夢、生きているという冒険の為に、どれだけ自分を賭ける事ができるか知りたいのです。

あなたがどの星座の生まれかということも、どうでもいいことです。
あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくことを恐れ、心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが自分の痛みであれ、他人の痛みであれ、それを無視したり、ごまかしたり、なかったことにせず、受け止めることができるか知りたいのです。

喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。

気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことないさ、などと言わずに。

私は、あなたの話すことが本当かどうかには、関心がありません。
私は、あなたが自分自身に正直であるために、他人を失望させることでさえ、あえてできるかどうかを知りたいのです。

たとえ裏切りだと責められても自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐えうる方を選ぶことができるかどうかを知りたいのです。

たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。

私は、あなたが見た目に囚われない本当の美しさを見出せるかどうか、毎日そこから自分の人生を紡ぎだすことができるかどうかを知りたいのです。

私は、あなたや私がたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることができるか、湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かって『Yes.』と叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。

あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかは、どうでもいいことです。
それよりも私は、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝がくれば起きあがり、子どもたちを食べさせるために、しなければならないことをするかどうかを知りたいのです。

あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここへ来たかは、関係ありません。
私は、あなたが決してひるまずに、私と共に炎の中に立つことができるかどうかが知りたいのです。

あなたがどこで、何を、誰と勉強したかは、どうでもいいことです。
私は、あなたが皆から見捨てられたったひとりになった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということを知りたいのです。

私は、あなたが自分自身と向き合い、その何もない時間の中にいる自分を、
心から愛しているのかどうかを知りたい、と思っているのです。

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