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『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』(1972) ガブリエル・ガルシア=マルケス

前回に引き続き、ちくま文庫の『エレンディラ』について。

今回の投稿では、表題作の中篇『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』について書きます。
(タイトルが長すぎたために、単行本のタイトルでは『エレンディラ』と略されていますが、ちゃんと表題作です 笑)

中篇…とはいうものの、文庫本で100p未満。割と読みやすい長さかな、と思います。

今回はしっかりネタバレ有りの【あらすじ】を書くつもりなので、嫌な方はここでストップしてください。
(と言っても、別にネタバレからそんなにダメージを受けない作品だとも思います。)


【あらすじ】

砂漠にぽつりと建っている屋敷には、14歳になったばかりのエレンディラと、その祖母が住んでいます。
祖母は毎日、音楽を嗜んだりしながら、悠々自適に暮らしていますが、その傍らでエレンディラは、屋敷内のすべての家事に加え、祖母の入浴の世話、化粧の手伝い(手伝いというか任せきり)までさせられていました。

祖母はエレンディラに感謝する様子も無く、彼女が眠ったまま作業しているのに気付くと注意をしたりします。
そして、夜になるといつも、エレンディラに用事を頼みながら眠りにつくのです。

“「寝る前に、服に全部アイロンを当てるんだよ。さっぱりした気持ちで眠れるからね」
「はい、お祖母ちゃん」
「衣装部屋をよく調べておくれ。風のひどい晩は、紙魚はふだんよりお腹が空くそうだからね」
「はい、お祖母ちゃん」
「それでも時間が余ったら、花を中庭へ出して、風に当ててやっておくれ」
「はい、お祖母ちゃん」
「それから、忘れずに駝鳥に餌をやってね」
祖母はすでに眠っていたが、指図は与えつづけた。”

眠った祖母にすら返事をしながら部屋に戻ったエレンディラは、もうくたくた…。ベッドに倒れるようにして、そのまま眠りにつきます。

そしてその夜、“エレンディラの不運の元となる風”が燭台を倒し、屋敷は丸焦げになってしまったのです。

屋敷を失った“無情な祖母”は、エレンディラの躰を使って損害分をきっちり払ってもらうための算段をたてます。
今まで屋敷の中でただただマイペースに過ごしてきたとは思えないほどの才覚を発揮して、緻密な計画のもと、エレンディラに水商売をさせるのです。

祖母の戦略もあり、評判になったエレンディラは、毎日何人もの男に抱かれることになりました。
それがもう本当にとんでもない人数…。このあたりが、やっぱりガルシア=マルケスの語りだなあという感じがします。

ある日そこへ、父親の密輸業を手伝いながら生活している少年、ウリセスがやってきました。

ウリセスは、すでに町中で噂となっていたエレンディラに興味津々。
夜、父親からお金をくすね、男たちの列に並びます。しかし、あと何人かのところで、その日は店じまい(って言い方もどうかと思うけど)となり、帰らされてしまいました。

明朝に出発を控えたウリセスは諦めきれず、エレンディラの眠るテントに忍びこみます。
最初は帰るように促したエレンディラでしたが、どこか純粋なウリセスと接しているうちに、少しずつ気持ちがほぐれ、ついにお金を受け取りました。寝言を喋り続ける祖母に隠れて、結局二人は朝まで愛し合ったのです。

以降、ウリセスはエレンディラのことが忘れられなくなりました。エレンディラの方もその気になります。
その後、彼はエレンディラと共に夜逃げを企てますが失敗。それでも諦めきれません。

ある夜、再びエレンディラの元に忍びこんだウリセスに、彼女は訊きます。

“「殺す勇気ある?」
度肝を抜かれてウリセスは返事に窮した。
「どうかな……君は?」
「わたしはだめ」とエレンディラは答えた。「わたしのお祖母ちゃんだもの」
ウリセスは(中略)意を決して言った。
「君のためならなんでもやるよ」”

ウリセスは“無情な祖母”のもとに訪れ、〈夜逃げを企てたことの詫び〉と見せかけて、殺鼠剤入りのケーキを振る舞いました。大喜びで平らげた祖母。しかし、何故か死ぬ気配はなく、いつものようにベッドで眠りにつきます。

そのまま朝が近づくと、ウリセスと一緒に祖母の様子を伺っていた、エレンディラの様子が変わってきました。

“「出ていって!」とエレンディラが言った。「もう目を覚ますころよ」
「ピンピンしている。象も顔負けだ」とウリセスが叫んだ。「こんな馬鹿な話があるもんか!」
エレンディラはぞっとするような冷たい目で彼を見ながら言った。
「あんたは満足に人も殺せないのね」”

その後ウリセスは、祖母の爆殺にも失敗し、エレンディラの借金を余計に増やしてしまいます。
彼女のうんざりした様子に、ウリセスは焦り、ちょうどその場のキッチンに置いてあった肉包丁を手に、祖母のもとへと向かいます。激しい抵抗にあったものの、彼はついに直接、“無情な祖母”を刺殺したのです。

エレンディラも祖母の死を確かめました。
すると突然、彼女の顔は“二十年間の苦労も授けえなかった、一人前のおとならしい分別臭さ”を帯びた、と語られます。

彼女は、死にものぐるいで期待に応えたはずのウリセスには目もくれず、金の延べ棒のチョッキを掴み、テントを飛び出したのです。

ハッとしたウリセスは、慌てて彼女を追うも、初めて人を殺した疲労感には勝てず、その場にへたり込みます。そして、ただただ愛したはずの名前を叫びつづけました。

しかし、エレンディラにはもう、誰の声も届きません。

“金の延べ棒のチョッキを抱いた彼女は、荒れくるう風や永遠に変わらない落日の彼方をめざして走りつづけた。その後の消息は杳として分からない。彼女の不運の証しとなるものもなにひとつ残っていない。”




【作品論のような、感想のような】

あらすじは以上。
たしかに悲惨です。悲惨だし、読後感としては悲哀という感じ。

僕は特に、エレンディラがウリセスに対して「あんたは満足に人も殺せないのね」と冷たく言い放ったところに、ぞくっときました。
愛は脆いというか、愛だと思っていたものは何か別のものだったんじゃないかというか…。

これほど強烈な体験はなくとも、自分を好きでいてくれたはずの人から失望された男の惨めさ…みたいなものは、僕にもちょっとだけ分かるような気がします(笑)

**

そう言えば、物語は次のような書き出しから始まっていました。

“エレンディラの不運の元となる風が吹きはじめたのは、彼女が祖母を風呂に入れていたときだった。”

最後まで読んだあとに、もう一度この書き出しを読み返してみると、なんだかちょっと不自然な感じがしませんか?

だって、エレンディラは屋敷が焼失する前から、もともと“無情な祖母”の召使い(というかほぼ奴隷)同然の生活を送っていたのです。
それに対して「不運の“元”」となる風が吹きはじめるって…。

まるで、エレンディラが屋敷の中で祖母の言いなりになっていた時は「不運ではなかったかのような」言い回しです。
それに、物語を末尾まで読めば、なんだか“不運の元”を生成されてしまったのはむしろ、ウリセスのようにも思えてきます。

では、そもそも“エレンディラの不運”とは何を指していたのでしょうか?

単に(という言い方をあえてしますが)、躰を売らなくてはならなくなった…ということが、彼女にとっての“不運”だったのでしょうか?

僕は、エレンディラが“不運”だったのは、彼女自身の「無垢さ」に起因するものだった、と思っています。
更に言うならば、「揺らぎ始めた無垢さ」。
そして、「揺らぎ始めているにも関わらず、完全には失われなかった無垢さ」のせいだったのだと。


もともと、エレンディラが屋敷の中で、ただ“無情な祖母”の言いなりになっていた時、彼女にはそれ以外の選択肢など、想像すら出来なかったでしょう。
言うなれば、屋敷が存在した時点でのエレンディラは「完全なる無垢さ」で、日々を送っていたのだと思います。

しかし、屋敷が焼失したことによって、外界との関わりを持たざるを得なくなりました。
そこで彼女は、「今までの自分以外の生き方を知ること」になってしまったのではないでしょうか。


『創世記1-3』における『アダムとエバの物語』では無いですが、「知ること」によって、エレンディラの中の「無垢さ」は、少なからず揺らぎ始める。
しかし、まだ壊れきってしまうほどでもありません。
この「揺らぎ始めつつも、完全には失われていない無垢さ」のことを、ここでは便宜上、《壊れかけた無垢》と呼ばせて下さい。

改めて言い直すと、僕は、その《壊れかけた無垢》にこそ、彼女の“不運”の原因があったのではないかと思います。

*

あらすじでは触れませんでしたが、エレンディラは、“無情な祖母”から自分のことを保護してくれたはずの修道院を自ら去り、祖母について行く決意を固める、というシーンがあります。

外の世界を知ったことで、祖母の「無情さ」をよりいっそう認識し、一時は修道院に保護してもらえたことに幸せも感じていたエレンディラでしたが、それでもやはり、彼女にとって“無情な祖母”は同時に「わたしのお祖母ちゃん」でもあって…。

彼女の中の《壊れかけた無垢》は、そのような祖母に対する非常にアンビバレントな感覚を生み出し、結局逃れられなかったのだろうな…と思います。

*

《壊れかけた無垢》を抱えていたからこそ、愛してもいないはずの男たちと寝なくてはならなかった状況は“不運”だったのではないでしょうか。
(現実世界なら“不運”では済まされませんが、これは小説なので、この言い方で通します。)

と言うのも、ガルシア=マルケスの語りならば、彼女が完全に「無垢さ」を失っていたとしたら、〈金のために何百人もの男たちと寝る、たくましい女〉として、もっとユーモラスにも描けたはずだなあ…と。
(もしくは「完全なる無垢」を備えた、『百年の孤独』の〈小町娘レメディオス〉のような女であれば、そもそもそういう行為をさせられたとしても、無頓着でいられるのかも…とか。…なんども言いますが、あくまで小説としての話ですよ。)

しかし、《壊れかけた無垢》のエレンディラは、ウリセスを(少なくともその場では)愛してしまう。
愛する人がいる中で、他の男たちとも寝なくてはならない“不運”。

「他人から客観的に見た不運」ではなく、「《壊れかけた無垢》を抱えたエレンディラが、主観的に体験している不運」が、あの燭台を倒した風をきっかけに始まったのではないでしょうか。

*

そしてついに、“無情な祖母”の死を確かめたとき、彼女の中にあったはずの《壊れかけた無垢》は、完全に崩れてしまい、語りに従うならば“分別臭さ”を帯びます。

本来ならウリセスを労うべき場面で、“無情”に走り去ったエレンディラ。
そう、彼女はここにおいて、“無垢”から“無情”になったと言えるのではないでしょうか。

完全な意味で〈無垢が崩壊した〉彼女には最早、

“不運の証しとなるものもなにひとつ残っていない。”

《壊れかけの無垢》を残しながら接してきた世界において、エレンディラはどこまでも“不運”でした。

今や、〈彼女がかつては無垢であったこと〉すら、証しできるものは何も無い。

上記引用部分は、〈不運を証するもの「すら」なにも残っていない〉…というニュアンスで読めるかも知れませんね。

エレンディラは、その後どうなったのか。
彼女自身も無情な祖母になっていくのだとしたら、なんと悲惨な反復でしょう…。

**

もしかすると、この物語自体の悲惨さよりも、「この物語を理解できてしまう自分自身の悲惨さ」に気付いていく過程でも、僕は戦慄したのかも知れません。
ウリセスに感情移入しつつも、やっぱりエレンディラの気持ちもどこか分かってしまいます。

なんかここまで考えると、タイトルが「信じがたい〈不運〉の物語」ではなく「信じがたい〈悲惨〉の物語」であるところにも意味を感じてしまったり。

“不運”は、無垢なエレンディラの個人的な問題で、“悲惨”は、客観的に見たものなのかな…とかね。

**

いやーー、人生は悲惨かも知れない。

僕も決して、自分が「完全に無垢だ」なんて言えません。
ですが、それでも自分のことを「無情である」とは思いたくないし、ひとからも思われたくないなあ…なんて。

もしかすると、《壊れかけた無垢》を抱えたまま、辛くても生きていくこと…、
つまり〈不運であること〉から逃げないことが、結果的には〈悲惨から逃れること〉に繋がるのかも知れませんね。

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