【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 源氏を苦しめた「女三の宮」というキャラクター
「『源氏物語』は「若菜」からー」と言ったのは、故・国文学者で歌人の折口信夫氏だそう。
『源氏物語』は第34帖「若菜」から第二部に入るわけですが…そこでは中年となった光源氏の人生の苦みや悲哀が色濃く描かれ、キーパーソンとして女三の宮という人物が登場します。
藤壺まで紹介した前回の記事から少し話がとんでしまうので(後でまた戻りたいと思っていますが)まずは「若菜」までの『源氏物語』のあらすじをざっくり確認いたしましょう。
『源氏物語』の第1部は、栄華の物語です。
葵の上や藤壺との死別など辛い別れはありつつも、源氏は望んだ女性や地位を手に入れこの世の頂点に達します。
その”栄華”が激しく揺さぶられるのが第2部「若菜」以降。
第1部で源氏の築いた華々しい世界が実は、藤壺との密通、紫の上の誘拐、朧月夜の略奪など多くの罪の上に成り立っている脆いものだったと気づかされ、反省を強いられるのが第2部なのです。
「若菜」のあらすじ ー 紫の上を苦しめた結婚と源氏の若い頃の報い
第2部の最初の巻「若菜」は源氏の兄・朱雀院の悩みから始まります。
女三の宮の降嫁で苦しんだのは紫の上です。
彼女は長年源氏の第一の妻として寵愛を一身に受けてきましたが、妾の子という出自のため源氏の”正妻“にはなれませんでした。源氏の正妻の座は空白だったのです。
しかしそこに高貴な妻がくるとなると、正妻として迎えないわけにはいきません。
女三の宮降嫁によって紫の上は、それまでの地位を追われると同時に、自分が源氏からどう扱われていたか思い知らされることとなりました。
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紫の上を苦しめてまで敢行した女三の宮との結婚でしたが、女三の宮は源氏が期待していたような女性ではありませんでした。さほど藤壺に似ていない上に、幼く、人形のように手応えのない人だったのです。
密通に気づいたときの源氏の心は複雑です。柏木の無礼さ浅はかさを軽蔑し、柏木を引き入れてしまった女三の宮の隙のある態度を蔑みます。ところがかつて自分も父・桐壺帝から藤壺を奪った経験があるため、2人を非難することができません。
恨みも悔しさも募るところに、妻を寝取られたという羞恥心や老いた自分への自嘲、若さへの嫉妬なども重なり、たいして愛情のなかったはずの女三の宮への執着も増すばかり。
一方柏木も自身のしたことが源氏にばれたと知って気が気ではありません。
宴の席で源氏に呼ばれ仕方なく参上すると、表面的には穏やかだけど、皆のいるところで名指しで皮肉を言われたり、酒を強要されたりしてしまいます。これまで源氏に可愛がってもらっていただけに、第一の権勢を誇る彼に目をつけられたことが堪え、そのまま寝込み、次の「柏木」巻でついに亡くなってしまうのです…!
女三の宮はどんな人物? ー 「幼く」「軽率」と言われる“内面のなさ“
ところで、第2部のキーパーソンとして登場した女三の宮ですが、一体どんな人物なのでしょう?
『源氏物語』を読んだ方でも彼女の人物像をはっきり掴めたという方は少ないのではないかと思います。というのも、女三の宮は性格が非常に捉えづらく「内面がない」などと言われているキャラクターだからです。
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物語内で女三の宮がどのように書かれているかといいますと…
外見は「着物の中にうずもれてしまうほど小柄」で「細く弱々しい」が、身分故の気高さもあり、「2月20日頃の青柳の、ようやく枝垂れ始めた感じ」に喩えられたりもしています。
一方、中身については「幼い」「子どものよう」「ただおっとりと若々しいだけ」などという表現が繰り返され、さらには「軽率」で「思慮分別がない」といったことが欠点として挙げられます。
自分の存在が紫の上を苦しめていることや、恋に苦しむ柏木の心中などに全く思い至らない様子も周囲に冷たい印象を与えており…女三の宮は源氏から(つまり作者の紫式部から)ほとんど評価されていないことがわかります。
しかし源氏(≒紫式部)は何をもって女三の宮を「幼く」「軽率」だと非難しているのでしょう?
実はその基準となっているのが恋愛です。
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女三の宮の「幼さ」というのは「源氏に対して恥ずかしそうな素振りを見せない」「源氏の訪れがないことで嫉妬したり寂しがったりしない」など恋愛の情緒を解さないことを指しており、また「軽率さ」や「思慮の浅さ」は男性の目を気にせず人目につくところに座ったり、男性を手引きする女房への警戒心のなさや、密通を隠しきれない処世術のなさだったりするのです。
この恋愛を基準とした評価の仕方を見直し、女三の宮を、他人に恋愛感情や性的感情を抱かない人、たとえばアセクシュアルの人として捉え直すこともできそうですが…私としてはなるべく当時の価値観や枠組みに近いところで考えたくて、「女三の宮は平安時代以前の真に高貴な女性の姿に近いのでは?」と思っています。
紫式部が評価できなかった、古の女性皇族の姿
国文学者で歌人の折口信夫氏によれば、日本では古くから「皇族は神に仕えるもの」という考えがあるようで、女性皇族というものは天皇に仕える(つまり入内する)か、神に仕えるか、さもなくば一生独身というのが常でした。唯人としての臣下とは違う巫女的役割を期待されていたわけですね。
朱雀院がかつての(『源氏物語』の時代に既に失われつつあった)皇族の姿を理想とし、女三の宮を育てたと考えると、彼女や恋愛や世俗的なことに疎いのもうなずけます。
同時に、紫の上や柏木など周辺の人々の心情を顧みない冷淡さも、彼女の身分の高さ故と考えれば納得です。
源氏や紫の上ですら、線引きしている位置が違うだけである程度以下の身分の者を共感すべき相手としては見ていません。女三の宮はそのラインを設定する位置が他の人より高いだけなのだと思うのです。
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女三の宮を「古の高貴な人」として捉え直したところで彼女の“内面のなさ“は変わらないのですが…でもこの“内面がない“というのが彼女の人格の在り方だと思うんですよね。
私たちは近現代的な価値観の中で生きているので、人格というものが個人の身体の中にはっきりと確立されているのが当たり前と思いがちですが、もっとずっと昔は個人というものはすごくあいまいで、人々の内面は集団と一致していたり、あるいは自然と一致していたりしていたと言われています。
それがどういう状態なのか体感するのは難しいですが、たとえば折口信夫氏の小説『死者の書』を読むと、奈良時代の高貴な女性の茫漠とした内面をなんとなく想像することができるかもしれません。
『死者の書』のヒロインの郎女は、高貴な姫君として薄暗い部屋からほとんど出ることもなく、男性と接することもなく育ちました。そこでは物事を学ぶ際、大人から何かを「教えられる」という方法ではなく、郎女が「これは何?」などと質問したら「〇〇でございます」と答えるというやり方が採られています。
そのように育った郎女は、外から与えらた知識を使って言語的にものを考えるというやり方ではなく、感覚と直観、夢の啓示のようなものを頼りに”考える”ようになります。また、知識や常識に基づく「内面がない」ことで自然や神秘的なものに触れたときの感動がとても大きく、目的に向かう姿も非常にひたむきです。
女三の宮は『死者の書』の郎女のように賢くなかったかもしれませんが、周囲の顧みなさと琴の琴の練習や出家後仏道に熱心な姿はどこか重なる気もいたします。
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時代の先を行き、近代文学のようなレベルで個人を捉えた紫式部は、女三の宮のような古の“人格“の在り方を理解できず、「幼い」キャラクラーとして書いてしまったのかもしれません。
【参考】
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