母、73歳の春に一人暮らしをはじめて、もう一年が経つ。 怒涛だったがどうにか乗り越えた。 この人、口だけじゃなかったんだ…とはじめて思ったかもしれない。 親としてそういう背中を見せてくれたことだけでも、私は静かに感動していた。 身体に不自由があるので介護認定を受けるため、先日立ち会いにむかった。 市役所の方はそれはそれは几帳面な方で、キャラクター図鑑のようなものがあれば“市役所で働く人”のページからひらりと飛び出してきたような人だった。 そして挨拶もそこそこに、突然角度を
わたしほどになれば、朝起きたときの瞼の重たさでその日のテンションがわかる。 わたしほどになれば、珈琲にもその日の苦味が出る。 わたしほどになれば、犬のおしりがかわいいだけで泣いたりする。 わたしほどになれば、一日なんて一瞬にすぎてゆき あるときふと「あれ なんだかさみしいかも」なんて思いながら風呂を洗うこともある。 この日々に確かにある、 大事な言葉を綴りたい。 けれど、大事すぎてこれは切り離せない。 大切なので誰にも知らせなくていい。 わたしの毎日はそ
暑い夏が終わって、ホッとしている。 じりじりの日差しを避けてくれてた緑が、色を変えてはらはらと落ちてくるようになった。 青い空が枝葉越しに見える。もう年末のことを考えたりして。 そして夏に観た、2本の映画のことを交互に思い出してる。 エンディングを迎えて場内に明かりがついても立ち上がれない。液化するみたいに身体が椅子に溶けてゆく。 ダリの時計みたいな姿勢のまま動けない。 「怪物」「君たちはどう生きるか」 どちらも私の中で結び合うものがあった。 美しいシーンを何度も
地元の駅前で大規模な街開発を始めた頃 工事現場で無意識に足を止めては、ぼんやりと眺めていた。 大きな建物を建てていたので、周囲には高い囲いの壁があり、そこには小窓がついていた。 そこから中の建設途中の様子が見えるようになっていて、なかを覗くことができる。 小窓に顔をはめると、深く大きな穴があいていた。 およよ、と思うほど深い穴だった。 その穴へクレーンがゆらゆらと何かを運んでいる。 鉄骨だ。 恐竜のようなクレーン車が、大きな鉄骨を高く高く持ち上げてから、穴へとゆっく
散歩の途中で見かけたら必ず挨拶するおばちゃんがいる。 うちの目の前のマンションを掃除しているおばちゃんで、その方が箒をかけたあとの花壇や小道はとても気持ちがいい。 去年、桜が散りはじめた頃 そのおばちゃんが舞い散る花びらをハンカチの上に拾い集めていたのを、陰から目撃したことがあった。 美しい光景にドキッとして動けなくなった私は、しばらく見惚れてしまった。 さあさあ花びらが降り注ぎ、朝の光に照らされているおばちゃんの背中。 ぽ〜っとなりながら吸い込まれるように近づいていっ
ある朝、ドアを開けると花瓶にヒヤシンスの花がさしてあった。 私が先日お隣のおばあちゃんにあげたときは蕾だった子。 嬉しくてパジャマのままおばあちゃんに会いに行くと「かわいく咲いたから見せたくて」と、おばあちゃんもパジャマ姿だった。 見せてくれてありがとうと伝えて花瓶を返そうとすると「あなたに見せたくて咲かしたから、あなたが飾って」と言う。「私のぶんはまだ蕾ちゃんだから」と部屋の中を指差した。 寒くて鼻が赤いままでよかった。 この花はおばあちゃんの心に咲いていた花かもし
天気予報では曇天だったその日、旅先はぴかぴかに晴れていた。 眩しい冬の日差しからまるで両腕が伸びていて、この景色まるごと抱きしめられているようにあたたかい。 予報でここへ流れるはずだった雲は、今頃どこへ行ったのだろう。 天気が悪いから、とこの場所へ来ることをやめた人もいただろうか。 実際来てみたら拍子抜けするほど晴れやかで穏やかだったことを、ここにいるどのくらいの人が特別に思っただろう。 考えてみるとこの3年ほど、予想できないことばかりだった。 この世界中のみんながそうだ
霜降り明星の漫才で 走馬灯を繰り広げるくだりがあり あれやこれやとやっていくそのなかで ふらふら歩きながら 「あ〜この道ここに繋がってたんだ」 「しょうもない人生!」 みたいなことを掛け合いがあって、涙が出るほど笑ったことがある。 今思い出しても好きな笑いの記憶だ。 こんなことしてなんになるのって思ったり なんだかすべて無駄に感じてしまうことある。 日常的にたたたたたた…っ!ある。 けれど私もいつか死ぬときに「あ〜この道ここに繋がってたんだ」っていう記憶をひゅっと思
百均のレジに並んでいたら見知らぬおじさんが横から「ねえ俺の名前の印鑑どこ?!」って割って入ってきた。 そうです「皆さんご存知の」「巷で噂の」「地元に愛され60年」みたいな表情をしている。 何にも気がついていないおじさんに、店員さんが「あの…お名前は?」と訊ねてようやくハッとした顔をし、頬を赤らめ蚊の鳴くような声で苗字を名乗っていた。 頭のなかで考えていたことを、ぼんやりしているとうっかり口に出してしまうこと。 私にもある。 OL時代は上司のことを「おかあさん」と呼んだ
「救ってあげなくちゃと思った」とその人は私に言った。 それは姉のように慕う、大好きなひとからの言葉だった。 私はその当時、実家の愛犬を突然亡くして、 そのあと立て続けに猫を2匹看取ったばかりだった。 犬とも猫とも何十年もともに暮らしてきた。 長年、毛むくじゃらの生き物が暮らしていた実家は突然空っぽになったように感じた。 側から見たら不幸が降りかかってばかりの、悲しみに暮れた人に見えたと思う。 でも、私の心はかつてないほど穏やかだった。 今思い返しても人生
幼い頃、母の実家である鹿児島で夏休みを過ごした。 私の家から鹿児島はうんと遠く離れていて、まるで外国のように感じた。 木の生え方が違う。なんていうか野生的。 葉の生い茂る勢いも違う。 虫も違う。大きさが違う。 見える景色の色が、ぜんぜん違う。 全てが活力に満ちて見えた。 食べ物の味も、人々が話す言葉のスピードもイントネーションもまとう雰囲気も。 のびのびとしていて、私はすぐに鹿児島が大好きになった。 滞在何日目かに、母の知り合いのお家へ遊びに行くことになった。
念願のコジコジ万博にすべり込み、間に合ったのは先週の金曜日。 ずっと行きたかったのだけど躊躇しているうちにもうすぐ終わってしまうとなって(でもやっぱり見たいよ…)と心が泣くので、久しぶりに会うお友だちをお誘いして。 メルヘンの国に住むコジコジは性別もなく、年齢もない。子熊のようなキャラクターのかわいらしいすがたかたち。 えいっ!とオナラをします。 個性豊かな登場人物たちはみんなそれぞれにコンプレックスや不器用さを抱えていて愛おしい。 悩みごとがあるときは、コジコジを見
小さい頃から「お茶の時間」をする大人の横にいるのが好きだった。 小学校から帰ると一目散にランドセルを放り投げて、近所のおばちゃんの家に行く。 昼下がりのまったりぼんやりした空気の中で、誰も見てないテレビからワイドショーが流れてた。 ブラインドの隙間からオレンジ色の西陽がさして、陽だまりにクリーム色の犬が寝息をたてている。 ちゃぶ台の横にはポットがあり、急須にお湯を継ぎ足しながら永遠と温かいものを飲む母とおばちゃん。 息継ぎもせず喋り倒し、それはそれはよく笑って、 お
犬のいる暮らし夏の朝は、日の出前にはじまる。 早朝の散歩はまだ脳が起きていないから、半分寝ている。それが心地よい。 薄ぼんやりした外に出ると、路地は緑のにおいを抱きながら蒸しパンようにしっとりとふくらんでいる。 時折ひんやりした風が肌を撫でるその瞬間だけ、夏を好き〜とかんじる。 カーテンや雨戸が閉まっている馴染みの家々のわきを通るとき、まだ薄暗い部屋ですやすや眠っている人や動物たちのことを思いながら、なんだか彼らを守っているような気持ちになる。 電気のついている部屋が
あの頃の母はどんな気持ちだったのだろうと、最近になってよく考える。 それは、2年前から犬を育て始めてからだ。 幼少期の私は中耳炎を何度も繰り返す子どもだった。 「今日もキティちゃんの食べて帰ろうね」というニンジンをぶら下げられて、大嫌いな耳鼻科に長いこと通っていた。 「キティちゃんの」はデパートのなかにある。 そこに入っていたサンリオレストランのメニューだった。 ファンシーな店内はサンリオのキャラクターがそこかしこに並んでいて、子ども用の背の高い椅子はマイメロディち
なんという夜だ。 私という人間は、これといって何も成し遂げず、全部をやりかけのまま「あっ!」と言ってテーブルを立ち、すべてを中途半端にしてきた気がするのだが、それを思い出すときは大抵お布団の中で、暗闇の中でたまにゾッとしたりする。 ふにふにしたまま歳を重ねてきたと思っていたけれど、いんや。どうやらそんなことはないようだ。えらいな、すごいな、ここまで遠くまできたなんて。すごいよ、あんた。 それは本当にすごく不思議な体験だった。 “オザケン”の音楽に触れたとき、私はまだ小