今宵の月は豆大福
「救ってあげなくちゃと思った」とその人は私に言った。
それは姉のように慕う、大好きなひとからの言葉だった。
私はその当時、実家の愛犬を突然亡くして、 そのあと立て続けに猫を2匹看取ったばかりだった。
犬とも猫とも何十年もともに暮らしてきた。
長年、毛むくじゃらの生き物が暮らしていた実家は突然空っぽになったように感じた。
側から見たら不幸が降りかかってばかりの、悲しみに暮れた人に見えたと思う。
でも、私の心はかつてないほど穏やかだった。
今思い返しても人生で3回くらいしか訪れたことのない凪だった。
その頃はなにを見てもすべてを美しいと思うような日々だったのだ。
ここにある悲しみがどうしたって美しさを拾ってゆく。
そのことを毎日、実感していた。
命を全うする動物たちに言葉こそなかったけど、
その姿で多くのことを語って伝えてくれた。
それは紛れもない“愛”そのもので、私の人生に強烈な光をもたらした出来事だったと思う。
だから「救ってあげなくちゃ」と言われたとき
(ああ私って不幸なのか)とちょっと驚いた。
私は彼女に自分に起こった出来事を知っていてほしかっただけだった。
この経験をして、私はこんなふうに思ったんだと そういう話をしているつもりだった。
“悲しみを伝えることって暴力のひとつだと思います”と書いたのは、坂元裕二だ。
私はこの一行を読んだとき、胸をおさえて布団にうずくまったのを覚えてる。
そうか。
もしかしたらずっと、私
暴力振るっていたのかもしれない。
*
もう10年近く前のことだけど
本気で「助けてください!!!!」と路上で叫んだことがある。
(ドラマかよ)と思いながら。
ドラマならここで誰かが助けてくれるはずだと、
サンタクロースを信じる子供のように待っていた。
その頃の私は絶望の日々にいた。
このときほど救いを求めていたことはない。
しかしこりゃ拍子抜けするくらい、だれも来ないな。
どんなに叫んでも静まり返った真夜中のままだった。
もしかして世界中で存在してるの私だけ?というくらいの静まり返ってる。
お母さんの声が聞きたいけど日本も真夜中だな…
電話口で「助けて」って言ったって、どう考えても無理だし心配もかけちゃうな。
友だちは?日本にしかいないじゃん…
警察?言葉も話せないのに通報できないよ。
妙に冷静。
そうして私は悟る。
このまま路地裏で膝を抱えて待っていても、信じられないくらいでかい蚊に刺されるだけだと。
そうか
もう私を救える人は私しかいないのか。
私は腹を括って、歩き出した。
深夜に号泣する謎の女を乗せてくれたのは、現地のおっちゃんの運転するタクシーだった。
私とおっちゃんは身振り手振りと互いの情熱で、コミュニケーションをとった。
言葉はまったく通じない。
だけど私が途方もなく困っていて、そのことに悲しんで絶望していることも、伝わっていた。
そして私にもおっちゃんが「あなたの味方だから大丈夫」と言っていることが、どういうわけだかちゃんと伝わっていた。
たまたまそこにいたタクシーの運転手さんで
それは偶然の出会いだったけど
こういうのを“奇跡”って呼ぶんだと思う。
自分で自分を救うしかないと歩み出した途端、
思いがけずサポートを受け取ることができたこの体験は、その後の人生で何度も私を励ました。
偶然そこにいて、たまたま出くわして、
名前も知らないまま別れた出逢いだったとしても
奇跡みたいなことが起こるときはいつも
お互いを結ぶ引力みたいなものがきっと働いてる。
私を救ってあげたいと言ってくれた彼女とは、 今はもう疎遠になってしまった。
けれど、私。
あなたが気が付かないところで、本当にたくさん助けてもらったよ。
意識してないだろうから きっともう忘れちゃってるだろうけど。
それだけで充分だった。
聞き間違いという曲の中で、YUKIが歌うこのフレーズを聴くたび、浮かぶ顔がある。
のびやかな歌声があらわすように
私もそういう存在に何度も助けられてきた。
例えばあの夜みたいに
ふたりで見上げた月を 「あれ、なんか豆大福みたいだと思わない?」って指差しながら話して歩いたこと。
同じものを見て、同じように感じていたこと。
言葉にしたら「もう口が豆大福になった〜」なんて言って、一緒に和菓子屋さんを探し歩いたりしたこと。
たったそれだけのことなのに
そういうことでしか晴れてゆかない心があったこと、私は忘れないよ。
そんなやりとりのなかで、何度も何度も救われていたことも。