電車内のすれ違い
今日も、アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』を読んで、文章の練習。
〈1〉ふたつの声
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単独のPOV(point of view) 視点人物は出来事の関係者で三人称限定視点
彼女は電車に駆け込み、蒸し暑い外から、冷房のよくきいた車内でふうと息をついた。肩にかけたトートバッグは重く、走るごとに緩慢にぶらりぶらりと肩下で揺れている。彼女の背中でドアが閉まるアナウンスが流れ、ひとりの女子高校生が駆け込んできた。ドア付近に立っていた彼女にぶつかりそうになって、女子高校生はキッと彼女を睨み、当てつけのように肩をぶつけ、すり抜けるようにして、反対側のドア付近に立つ。それから女子高校生は、イライラとスマートフォンをカバンから取り出していじり始めた。やがて電車は出発し、次の停車駅の案内や、電車内でのマナーについて車掌のアナウンスが流れる。彼女はいつもと変わらない風景と、心地よい冷房、ガタンガタンと定期的に揺れる電車の振動を受けてうっすらと眠くなってきた。すっと意識が一瞬だけ遠のいた時、肩からトートバッグが外れて、床に落ちた。彼女はすぐに意識を取り戻したが、トートバッグからは荷物がすっかり散乱してしまっていた。人混みの中、慌てて荷物を拾い集めながら、ふと周りを見ると、慌てる彼女を気の毒そうに見る者、シラケた顔で見る者、彼女に興味はないが、突然のことにパニックになっている彼女をただ観察していたい者と、様々に、周りの注目を集めていることに気がついた。彼女は恥ずかしさで顔から火が出るかと思った。そうこうしているうちに、電車は次の停車駅に近づき、この駅の出口は彼女がいる方だと伝えられた。荷物の回収を焦って、トートバッグに入れたはずの荷物を再びばらまいたり、電車が次第に速度を落としていくので、ころころと水筒が思わぬ方向へ転がったり、必死になって水筒を追いかけ、荷物をかき集める。なんとか次の駅で停車する前に荷物の回収が終わり、ほっと立ち上がると、彼女の父親くらいの男性が、彼女のペンケースを持って立っていた。彼女がぺこぺこと頭を下げると、男性は無言で一度だけ頷き、ペンケースを差し出すと、電車を降りていった。