老女1 泣き笑い
アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』を読んで、文章の練習。
老女その1
【一人称かつ、現在時制か過去時制のどちらかのみで書ききる
〈今〉と〈かつて〉と〈今〉を行き来する】
私はペンを置いて、しょぼつく目を手で揉む。孫が送ってきた手紙に返事を書こうと思い、ハガキに向かっているのだが、ペンを持つ手元がかすむ。ちゃんと文字がいつも通りに書けているか不安になる。だから夜に字を書くのはだめなのだ。私は自分の書く字には、幾分かの自信を持っている。書道の講師を何年も務めたし、何度も書道の大会で賞をいただいている。しかし齢八十八をすぎて感じるのは、ただ自分の老いていく、衰えていく能力への悔しさばかり。ふと、ハガキを書こうとしている孫の名前が分からなくなっていることに気づいて、慄然とする。ほらほら、あの子だ、あの子。下の娘の上の子だ。名前が思い出せないなんて今まで決してなかったのに。私は自分の不甲斐なさに唇を噛む。
名前が思い出せないあの孫は、私の若い頃、幼い頃にとてもよく似ている。闊達で、遠慮なくものを言い、勝気な女の子。悪く言えば、図々しくて、高慢ちきで、弁が立ち、計算高い一面もある。あの子がもっともっと小さな頃、ほかの孫たちを、幼いながらに口達者にやり込めるのを見ていて、血の繋がりというものは、侮れないものだとつくづく思ったものだ。
この孫の幼い頃を思う時、シャープペンシルとバナナを持ち、姉をおしのけて記念撮影をした私が思い出される。何事にも遠慮がち、ひかえめで、お嬢様ぶっていた姉。姉が女学校に上がったお祝いで、写真館で家族写真を撮った時のことを思い出して、ふんと鼻が鳴る。父と母と姉と私の四人家族並んで撮ったのに、一番目立つ真ん中で、シャープペンシルとバナナを「どうだ!」と見せつけんばかりに高らかに掲げて、写っている少女は私。今ではどこにでもある、シャープペンシルもバナナもあの頃は本当に珍しくて、同じクラスの子は、そんなものが世の中にあることを知りもしない。そんな珍しいものを持っていることや、買ってもらえること、私は鼻高々で、シャープペンシルもバナナも自慢したくてたまらず、写真館へ持って行ったのだ。写真撮影の時に、母はやめなさいと言ったが、私はきかずにそのまま写真におさまっている。その後すぐに始まった戦争で、その写真は行方知れずだけど、あの時の写真館の埃っぽいような匂いや、私がシャープペンシルやバナナを掲げたまま、シャッターが切られた瞬間は、今となってもしっかり覚えている。その写真の中で、主役のはずの姉は、父に両肩を支えられて、小さくはにかんでいる。写真ができあがってきて、これじゃ誰の記念撮影なんだかと母がぼやき、その隣で姉はうっすら涙を浮かべて、頭を垂れている。姉というだけで、優先されるものの多い人生なのだから、これくらいの写真で妹に主役を食われて湿っぽく泣く姉を、私はせせら笑い、シャープペンシルもバナナもお姉ちゃんだって持ってるんだから、そんなに悔しいんなら、一緒に持って写れば良かったのよと言ってやったのを思い出す。自分より五つも下の妹にこてんぱんに言い負かされる毎日。姉はさぞ悔しかっただろう。
孫の名前は三つほど候補がぼんやりと浮かぶが、あの子の名前となると、確信が持てない。手紙で名前を間違えていないか心配しいしい書くのは馬鹿らしく、一言も名前の記述がない手紙も、どうにも座りが悪い。「おばあちゃんも歳をとりました。元気な様子、嬉しいです。お手紙ありがとう」自信のなさは、すぐ文字に現れる。夜目にも、震えて醜い文字がハガキに並んでいる。悩みながら、是非手紙だけじゃなくて、顔を見せに来てねと、書いた次の瞬間、「ああ、この子はこんなことだけを書いたんじゃ、この家には来ないね」と、私はペンを再び置いて、涙が出るほどの笑いが込み上がってくるのを感じる。
だって、そう。私だって「特別な用事」もないのに、わざわざ年寄りに手紙も書かないし、家にだって行かない。この孫は、私の孫で、そういう子だ。