「物語」の形
最近読む小説が、割と今(最近)売れている小説だったりする。
売れたのは、正確には過去かもしれないけど、そう遠くない昔に流行った本たち。
私はどれも読んでいて、息が詰まると感じていた。
小説とは、「物語」とは、自由を感じる世界のはずなのに、みんな画一的に思えて、読書が苦しい。
結局美談にしたい。
最後は、みんな幸せになる。
大団円になる。
謎や、もやもやや、複雑な関係は、きれいに正される。
そういう「物語」が、やたら最近多い(気がする)。
そのために、「物語」の設定は歪な感じがよろしく、そこへすこしだけ虚構というか、無理というか、現実ではありえない魔法を加える。
そこがよいのだ。
と思っていたところが、私にももちろんある。
この人物はきっといい方向に、「許される範囲」の人物になって物語は終わるのだろう。
伏線を回収して、エンディングを迎えるのだろう。
絶望の中に、救いを見いだせるラストがきっと用意されているーー。
そんな「物語」たちに、息苦しさを感じ始めたのは、やはり最近。
正論なんかじゃ、人は正せないし、逆に正す必要もないし、ねじ曲って、理屈が通らない生き方をするのが、人というもの。
矛盾だらけで、自己愛が強くて、時に手をつけられないほど、プライドが高くて、傲慢で、本人も何を信じていいのか、何を正したら生きやすくなるのか分からない迷いの中、手探りで生きている。
だから、私は「物語」に出会いたいのに。。。
寺地はるな『架空の犬と嘘をつく猫』という小説を読んだ。
この小説の人物たちは、みな嘘をつく。
悪意のある嘘、善意の嘘。保身のための嘘、夢のための嘘、夢のある嘘。現実から逃れるための嘘。
嘘は人を傷つける。
でも人は、嘘なしでは生きていけない。
絡まったまま、問題が解かれることもなく、この小説は進み、終わってしまう。
でも、この本を読んで、私はやっと呼吸ができると思った。
どうしてこの登場人物たちは……、ともどかしさがそのまま残る小説。
現実をそのまま写し取ったルポルタージュは、「物語」にはなり得ない。
「物語」には、作者、語り手、読み手の意味、意図、意思が必要だから。
この『架空の犬と嘘をつく猫』は、「物語(フィクション)」としてきちんと成立している。伏線も、流行りの優しさも、全てがあって、きちんとミックスされている。「物語」としては、人によっては不完全燃焼と思うのかなとも思う。
『架空の犬と嘘をつく猫』の人々はある意味人間としてずっと未熟で、完璧に正された状態では、「物語」を終えられない。
でも、私にはそれがとても心地よかった。
よかった、まだこういう「物語」があったと思った。
ハッピーエンドが嫌いなわけじゃない。
大団円が嫌いなわけじゃない。
でも、「物語」に形など、正しい型などないはずだ。
そういう私個人の勝手な気持ちが、答え合わせのように許されて、私は嬉しかった。
『架空の犬と嘘をつく猫』は、嘘がつなぐ物語。嘘の善悪を、一通りに判断できないように、嘘をつく人のこともまた単一な善悪で決めつけることはできない。
複雑に絡まりあった世界の中で、嘘と本当が、傷つきと安らぎが共存する世界。
ほっとしたのは、私だけではないと思いたい。
【今日の英作文】
必ず雨になると分かっていたのに、傘を忘れました。
I knew it was certain to rain, but I forgot to bring my umbrella.
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