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ことばのインフレ

モノの価値は供給量で決まる。
ことばも例外ではない。

「はいはい」と返事をする女は相手の話を真剣に聞いていないし、不特定多数の女に「愛してる」とささやく男に愛はない。
他のすべてのモノと同様に、ことばも過剰になれば価値が下がるのだ。

「大絶賛」ということばがある。
「絶賛」自体が「この上なく褒めること」であり、それをさらに強調するため「大」が付されたものだが、過剰な修飾のせいでそれほどの効果は期待できない。

サッカー業界における「守護神」もそうだ。
元々はセーブ率の高いゴールキーパーに対する比喩的な賛辞だったものが、今では単にキーパーの言い換え表現となってしまった。
セーブ率の低い「守護神」なんて「神」失格だろう。

「安心安全」も供給過多だ。
そもそも安心と安全は別物であり、安心が油断を生み危険になることさえありうる。
にもかかわらず、ほぼ常にセットで使われているのが現状だ。

インフレを起こすと、ことばは聞き手や読み手の心を動かす力を失う。
それでいて、ことばの「過剰包装」なしでは聞き手や読み手が満足しなくなる。
薬物と同じで、乱用すると効きめが弱まり、どんどん摂取量を増やさなければいけなくなってしまうのだ。

ことばのインフレは避けたい。
自戒を込めてそう思う。

「大」という接頭語なしの「絶賛」を
ものたりないと思ってしまう

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