人それぞれの、孤独とぬくもり~『伊豆の踊子』川端康成
今回は、「伊豆の踊子」を取り上げます。
あまりに有名な作品ですが、終盤、舞台設定ががらりと変わる鮮やかな数ページを主に、あらためてお伝えできればと思います。
独特な構成
「伊豆の踊子」は、作者自身の「半自伝的な作品」と言われています。
文庫版で約30ページほどの短編です。
その大半において大きな出来事はなく、冷めた視線による情景描写と人々らとの会話が続きます。
作品は、起承転結のかたちをとっていません。
この短い話は、主人公である「私」(以下、青年)の旅の途中からはじまります。
その前のこと、つまり、旅に出た理由や経緯などはあらかじめ語られていません。読み進めるうちに、徐々にさりげなく伝えられてくるのです。
抑えぎみに濃度を増していく承→承→承、そしていきなり結、 という構成です。
この「結」への展開がおそろしく見事なのです。
様々な「深読み」が可能な作品かも知れません。
ここでは、シンプルにひとりの青年の「成長物語」という視点から紹介して行きます。
まず、概要をざっとまとめておきます。
少し詳しく物語を追っていきます。
ひとり旅
青年は、身内がほぼいない境遇ゆえか、周囲に対して素直に心を開くことができず、そのことを悩んでいます。
「ありがとう」のひと言もうまく言えません。
伊豆へのひとり旅に出たのも、そんな自分を見つめなおすことが大きな目的でした。
そしてまた、彼は旅中の「出会い」への期待を持っています。
人と触れ合いたい、という気持ちもまた、人一倍強く抱いているのです。
道中でたまたま一緒になった旅芸人の一座もまた、一人一人がそれぞれに悲しい境遇や思いを抱えています。
旅芸人の家族は、20代半ばの栄吉とその妻の千代子とその母、そして栄吉の妹である踊子です。他に、雇われている百合子、あとは小犬が一匹います。
青年は、踊子の美しさに強くひかれます。
そして、当初は自身の部屋に招き入れたいなどという思いもよぎります。
しかし、邪念はすぐに脳裏から消え、青年は安堵します。
化粧や身なりのために17才ほどかと思っていた踊子が、実はまだあどけない少女だと知ったからです。
そして青年と一座はさりげなくも温かい交流をしながら、半島を南へ下って行きます。
人々との交流、それぞれの孤独
旅をともにするにつれ、青年と旅芸人たちは互いに慣れあい、親しくなっていきます。
また青年は、その一人一人が、それぞれに持つ悲しみやつらさを知るようになります。
当時(大正末期~)、旅芸人は身分が低いものとして軽蔑されていました。
「芸人」そのものが、社会に必要のないものとして下に見られていた時代なのでした。
踊子の兄栄吉は、青年に好意を持ち、何かとそばに来て身の上話などをします。
役者を目指していたが、挫折して「身を持ち崩してしまった」こと。
妻は旅の最中に流産をしてしまい、それでも旅をやめるわけにいかないこと。
また、妹の踊子も「事情があって」一座に加わることになったことなど。
彼らと親しくなった青年は、純粋な好意から、互いに自然に交流をして行きます。
また、彼らが連れている小犬にさえも、優しいまなざしが向けられています。
一方の私は、不幸な身の上とはいえ、将来ある学生です。彼は、それぞれの人が抱えた苦難を深く感じるようになります。
開かれてゆく心
旅が進むにつれて、青年の心はさらに開かれていきます。
青年が心づけとして渡そうとする金銭を、「こんなことをなさっちゃいけません」と栄吉は拒みます。
また、踊子は、近隣の子どもたちに惜しげもなく小銭を与えます。
宴席の残り物で糊口を凌ぐほどの貧困にあるのに、彼らはそういうことに執着を持っていないように思われるのです。
道中、青年は、後方から聞こえてくる踊子たちのひそひそ話が気になっています。
また、峠をのぼる途中、踊子と二人きりになる場面があります。
場面はしばし、静寂に包まれます
真空のような中で、踊子とのやりとりが短く記されています。
多くの身の上話をしたことでしょう。しかし、それはここではあえて書かれていません。
「淡々と」、これが川端康成のスタイルではありますが、読者によっては読み進めるのが億劫になってくるかも知れません。
しかし、それまでの語り口が変調し、青年は自己を読者に対して開示し始めます。
そして読者を徐々に、その感情のうねりの中に引き込んで行きます。
最後の夜
下田での一泊が、旅の終わりとなります。
青年は、約束通り踊子を活動(映画)に連れて行こうとします。しかし義母が反対したため、青年は独りで出かけます。
別れ
彼らは、港で別れます。
船が出て、舞台は海の上にかわります。
この大詰めに、新たな登場人物たちが青年を取り巻きます。
船の上
乗船するとき、青年は地元の「土方風」の男から、一人の老婆の面倒を見ることを頼まれます。
息子夫婦が他界してしまい、彼女は幼い孫を三人も抱えて途方に暮れています。
「婆さんたちを上野行きの電車に乗るまで見届けてくれないか」という依頼を青年は快く引き受けます。
船内では、老婆を取り囲んで何人もの乗客が彼女を慰めています。
青年は、形容しがたい感情を抑えられなくなり、涙が止まらなくなります。
また、彼は一人の少年と親しくなります。彼も親切で、空腹な青年に自分の巻きずしなどを与えてくれます。
「伊豆の踊子」は、作者が26才の時の作品です。
「人工美」と評される以降の作品群と比較すると、分かりやすい内容です。しかし作中には、彼独特の感覚的な描写が散りばめられています。
最後の数行もふくめ、いくつか抜粋しておきます。
特に、踊子が奏でる「太鼓」の音が聞えてくる場面が随所に現れ、その響きがいつまでも耳に心に残ります。
以下は、最後の数行です。
川端康成(1899-1972 大阪・小説家)
幼くして孤児となり、叔父のもとで育った。大学在学時の1921年にデビュー、菊池寛の知遇を得て「文藝春秋」同人となった。卒業後、横光利一ら当時の新進作家たちとともに「文芸時代」を創刊し,新感覚派の運動を始めた。初期の代表作は「伊豆の踊子」(1926)。
第二次世界大戦後の作品では、精緻な詩的表現によって東洋的人工美の世界を築いた。1968年ノーベル文学賞受賞。1972年に自殺した。他にも「禽獣」(1933)、「雪国」(1948)など多くの名作を残した。