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2024年12月19日 小説「月次祭(つきなみさい)」

完全な暗闇の夜、
ある場所に、
小さな灯りがあった。
灯りは揺らめいている。
焚火であった。
燃やされているものは汚れた何かで、煙の匂い以外にも悪臭がしている。
その焚火の周りには静かに数人の影が座していた。
あまりに暗いので、小さな焚火では影の詳細は分からない。
複数いるということだけがわかる。
影は、誰かを待って皆、いくばくか緊張している様子だった。
焚火がはぜる音と息が漏れる音のみが聞こえる。
「火を見なければ目をあけていても閉じていても変わらぬようだ」と
思ったものもいたが、言葉には出さなかった。
そうして、ずいぶんな時間が経ってから、
暗闇の中から音が二つした。
ひとつの音は、健康なものの音、影が皆知っている音であった。
もう一方は足を引きずり、不規則な音を立てていた。
焚火の程近くに場所が作られ、不規則な音のものは
そこに、座るように促された。
健康なものが何か促したのだろう。口火がきられた。
「お話しするようなことは何にもないのですけれど、
話せ話せというのであれば、
全く話さないのもつまらんことだろうから、
少しばかりお話ししましょう。」
枯れた声だった。
十分に枯れ、水分がない声に影たちは、
一度緩んでいた緊張を再度取り戻した。
それほど枯れた声を聞いたのが初めてでもあるし、
そんな枯れた声がすらすらと語り始めたからでもあった。
不規則な音のものは、反対に、気を楽にしたようだった。
ひとつ深く息を吸うと、語り始めた。

「それは今から少しばかり前のことでございます。
その頃は今よりずっと、
食べ物がたくさんあって、皆遠くまで行くことができて、
空の上を眺めることもできて、
別の国の人と話をしたりするものもできましたのでした。
今となって思い出してみればどうしてそのようなことができたのか、
とんとわかりませんけれども、
できたものはできたのでございます。」
影の間からは、感嘆ともあざけりともいえぬ、かすかな音が漏れた。
不規則な音のものはそれを聞いて、鼻で笑った。

「ほんのわずかな選ばれた人間だけがそうできたのではございません。
普通の人間にも、そのころは可能でした。
特別な階級でなくとも可能だったのです。
そう言うお前は、別の国に行ったことがあるのかって?
もちろん、こう見えても、何度か行ったことがございます。」
影たちから、くすくす笑いににた音の波が起こった。
不規則な音のものは、顔をぐいっと上げて、鼻を鳴らしていった。
「ウソだとお笑いなさる。
それも結構。
こうして思い返してみても、自分だって本当のことだとは
思えませんもんな。
もしかしたら、あれは全部夢だったのかもしれません。」
夢という言葉に力を入れたのは、影の多くが夢を見ず、
もし、夢を見たとしてもそれを語る方法を持たないことを、
不規則な音のものはよく知っていたからである。
「夢を見た」と言えるのはそれだけで特別なのであった。

「その頃は、別の国に行くのは
飛行機というものにのっていくことがほとんどでした。
飛行機というものは、鉄の羽がついたのりものです。
今ではとんと見なくなりました。
荷物を預けて、椅子に座っていて、
寝たり起きたりしていたら
その間に海の上を飛んで、別の国にたどり着くのです。
あの頃は、船の旅はすっかりさびれていました。
そんなものに乗ろうとするものはほとんどいなかったでしょう」
影たちは、語りから、すっかり取り残されていた。
語られる言葉のほとんどが馴染みのないものばかりだったからである。
影たちには何もわからず、その言葉から何も想起しなかった。
不規則な音のものはもちろん、わかって、そう語っていたので、
その妙な間合いをしみじみと楽しんだ。
この者たちには、思い返すものがなく、夢を見ることもないのだ、と実際に体感することは、
不規則な音のものにとって、生きる中での数少ない慰めだった。
この慰めがあるからこそ、今まで、何とかやってきたのである。
不規則な音のものは、その慰めを手放すつもりは全くなかった。
空虚な時間が経過した後、
影から囁き声で質問があった。

「別の国へいって何をするのか。
そうですなぁ。今思えば何をしに行ったのやら。
つらつらと思いだしてみるに
その国の古い建物を見たり、美しいものを見たり、
買い物をしたりしました。
よくわからん、というのも無理はない。
食べ物の心配?
食べ物の心配などほとんどする必要はありませんでした。
珍しい食べ物を、買って食べることができました。
食べ物をとったり、作ったりしなくても大丈夫だったということです。
信じられないと思うでしょう。
その頃はまだ、そういうのんびりした時代だったのです。」
乾いた声がわずかに湿っぽくなった。
「鴨のオレンジ煮だとか
ホットックだとか
セビーチェだとか
マカロンだとか
小籠包だとか
チョコレート、
コーヒー、
今ではお目にかからないもののことを思い出しますな。
どれも食べ物の名前だと言うことも、今ではほとんどの方は、ご存知ないでしょう。
その頃は焼いて食う意外に様々に趣向を凝らした食べ物があったのです。
飲み物だって、沢山ありました。
考えるだけで、よだれが口にたまってきます。
あの頃は明日の食べ物の心配など、
自分の国にいても、別の国に行ってもしなくてよいひとがほとんどでした。
いや、もしかしたら、その頃にも明日の食べ物にも
困る人はおったのでしょうが、
今ほどではございませんでしょう。
食事が1日に1度ということは珍しいことであったのです。
その頃は、遠い土地からくる食べ物が沢山ありました。
懐かしいことでございます。」
口の中に蘇るさまざまな味を思い出す、
不規則な音のもののうっとりとした雰囲気に、
影たちは引き込まれていった。
次に話が聞けるのは、
また一月ばかり先になることはわかっていたので
出来るだけ、多くの話を聞こうと
囁き声で質問をするのだった。
時折、焚き火に何かが投げ込まれ、
ぱちぱちとはぜると、
聞こえないほどの小さな声はかき消えた。
不規則な音のものの耳はもうずいぶん悪くなっていたから、何度か聞き返さねばならなかった。
しかし、そのやりとりこそが、尊くありがたいように思われたので、
多くの影たちが、そのようにした。
そうして、
完全な暗闇の夜から濃い灰色の朝になりかける頃、
不規則な音のものは、
来た時と同様に、手を引かれて、帰っていった。
焚き火を囲む影は音もなく、三々五々に散っていた。
灰色の朝はそれ以上、明るくなる様子はなく、
焚き火の周りだけが少し明るい。
焚き火の片付けを命じられたために、
最後まで残っていた影だけが、
焚き火に向かって、とても小さくささやいた。
「あれって一体何の話?
そもそも、あれは一体何なのだろう。
あちこち曲がって、白っぽく、ギクシャクしていて、目と声が大きい
ずいぶん違う形で、違う様子の生き物だけれど。」








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