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女は絶対に産むな【出産は不幸】産む機械は正しくない

以下記事にて、男性には結婚も子育てもオススメできないことを解説しました。


では、女性の場合はどうなのでしょうか?

結論から言えば…

●女性は結婚した方が経済的にオトクな場合が多いが事実婚で充分

●経済的に不安がないならば、無理に結婚する必要はない

●子育てに充分な時間とお金がかけられる資産家パワーカップルなら子供産んでOK

●金持ちじゃないなら、女は絶対に産むな

となります。


理由は簡単です。【庶民が子供を産むと不幸になる】からです。

近年の傾向として、金持ちばかり子供を作っていて、お金がない層ほど出産が激減している事が統計データに明確に現れています。

「貧乏子だくさん」なんていうのは幻想であり、現実では金持ちばかりが子供を作る時代になってきています。子育ては既に庶民のものではなく、金持ちのための高級品なのです。

引用元:厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/


①幸福な子持ちは実は「薬物中毒者」である

●そもそも、私たちは何を動機に子供を育てるのか?

疲れ切った様子の母親が、赤ちゃんに向けるまなざしには深い愛情が満ち、その表情は純粋な幸福に満ちています。

白髪が増え、肌はボロボロ、顔つきは疲労でやつれているのに、その笑顔は輝きを失っていません。とても幸福そうです。

この幸福そうな表情と疲労感のギャップを見て、違和感や気持ち悪さを感じたことはありませんか?


実は、この一見矛盾した状態は、単なる精神力の強さだけではなく、私たち人間に備わった精緻な生物学的メカニズムによって支えられています。

出産と子育ては、母親の身体に計り知れないほどの負担をかけます。夜間の授乳で断片的な睡眠、常に赤ちゃんの世話をしなければならない心理的負担、そして出産による身体の変化。これらの要素が複合的に作用して、多くの母親は慢性的な疲労状態に陥ります。それでも母親たちが子育てを続け、時には幸福を感じられるのは、私たちの脳と体内で起こる化学的な変化によるものです。

この現象の中心にあるのが「オキシトシン」というホルモンです。オキシトシンは「愛情ホルモン」や「絆ホルモン」とも呼ばれ、人間関係の構築に重要な役割を果たしています。母親の体内では、子どもとの触れ合いや授乳によってオキシトシンが分泌され、強い幸福感や満足感をもたらします。

オキシトシンは母親の脳内で特別な働きをします。このホルモンが放出されると、脳内の報酬系が活性化し、ドーパミンという別の神経伝達物質の分泌も促します。ドーパミンは「快楽物質」としても知られており、私たちが何か良いことを経験した時に放出される物質です。興味深いことに、このドーパミンの放出パターンは、覚醒剤などの薬物が脳に与える影響と類似しています。

薬物依存症の研究によれば、コカインやアンフェタミンなどの覚醒剤は、脳内のドーパミン濃度を急激に上昇させることで強い快楽や高揚感をもたらします。子育て中の母親の脳内でも、子どもとの触れ合いによって同様のホルモンの放出が起こり、幸福感や満足感を生み出しているのです。もちろん、薬物の場合は人工的かつ過剰な刺激であるのに対し、子育てによるホルモン放出は自然なプロセスであるという違いはあります。

私たちが、子育てする母親に感じる気持ち悪さは、薬物中毒により体はボロボロなのに精神はラリってる異常者に感じる気持ち悪さと同じなのです。


進化生物学の観点から見ると、このメカニズムは極めて理にかなっています。人間の赤ちゃんは他の哺乳類と比較して非常に未熟な状態で生まれ、長期間にわたる世話が必要です。

そのため、母親が子育てを継続するための強い動機付けが必要でした。自然選択の過程で、子育てを報酬と結びつけるホルモンシステムが発達し、母親たちは子どもの世話をすることで脳内に「自然の報酬」を得られるようになったのです。

このホルモンシステムが機能すると、母親は子どもの笑顔や成長に対して特別な感受性を持つようになります。赤ちゃんの小さな成長や変化が、母親にとっては大きな喜びとなるのはこのためです。子どもが初めて笑った時、歩いた時、話した時、これらの瞬間が母親にとって特別な意味を持つのは、その瞬間に脳内で起こる化学反応による部分が大きいのです。

母親の体内では、オキシトシンとドーパミン以外にも様々なホルモンが作用しています。プロラクチンは母乳の生成を促すだけでなく、母性行動を促進する効果があります。また、エンドルフィンは自然な鎮痛作用を持ち、ストレスや痛みを和らげる役割を果たします。これらのホルモンが総合的に作用することで、母親は身体的疲労を感じながらも精神的な満足感や幸福感を得ることができるのです。

特に注目すべきは、オキシトシンには記憶の選択的強化という機能があることです。ポジティブな体験に関連する記憶を強化し、ネガティブな体験の記憶を弱める効果があります。これにより、出産の痛みや育児の大変さよりも、子どもとの幸せな瞬間が強く記憶に残る傾向があります。多くの母親が「子育ては大変だったけれど、幸せだった」と回想するのは、この記憶の選択的強化が関係しているかもしれません。

また、オキシトシンには抗ストレス効果もあります。ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を抑え、血圧や心拍数を下げる作用があります。慢性的なストレス状態にある母親の体内で、オキシトシンは自然な抗ストレス剤として機能し、精神的な安定をもたらします。

「子どもを産むとこんなに幸福なのに何でみんな産まないの?」

と主張する子持ち母親の言葉が全く信用できない理由がここにあります。彼女たちは出産子育ての苦労を客観的に見積もれていない可能性が高いです。

覚せい剤でラリってる状態の薬物中毒者が

「こんなに気持ちいいのに、何でみんなクスリやらないの?」

と言っているようなものだと思ってください。


近年の神経科学研究では、親になることで脳の構造自体が変化することも明らかになっています。

特に前頭前皮質や扁桃体など、感情や意思決定に関わる脳領域に変化が見られます。これらの変化は、親が子どもの微妙なサインに素早く反応し、適切なケアを提供できるよう脳を最適化すると考えられています。

彼女たちは自分の脳がいつの間にか別の物に書き換えられていることに自覚がないのです。

このように、子育てに伴う幸福感や満足感は、単なる一時的な感情ではなく、数百万年にわたる進化の過程で洗練されてきた精巧な生物学的メカニズムに支えられています。

白髪が増え、顔つきが疲労でやつれていても、子どもに向ける母親の表情が輝きに満ちているのは、このメカニズムが機能している証拠と言えるでしょう。


●不幸になる現代の母親たち

しかし、現実は「子供のいる女性ほど、子供の数が多いほど女性の幸福度が低下するという研究データがある」という事実をご存知でしょうか?

これは現代社会では、オキシトシンなどのホルモンの幸福効果を上回るレベルの負担や不幸が子育てに存在することを示しています。


特に注目すべきは、母子間の直接的な接触時間の減少と、それに伴うオキシトシンなどの「幸福ホルモン」の分泌機会の変化です。

オキシトシンは、母親が子どもと密に触れ合うことで自然に分泌されるホルモンです。子どもを抱きしめる、授乳する、微笑みを交わすといった親密な接触によって分泌が促進され、母親の脳に幸福感や満足感をもたらします。しかし、長時間の労働と限られた育児時間という現代の状況は、このような親密な接触の機会を減少させています。

かつての社会では、母親が家庭に留まり、一日を通して子どもと接することが一般的でした。朝から晩まで子どもの成長を間近で見守り、多くの時間を共に過ごすことで、オキシトシンの分泌が自然に促されていました。また、拡大家族の中で育児が行われることも多く、祖父母や親戚からのサポートを受けながら、比較的余裕を持って子どもと向き合うことができました。

しかし現代では、多くの母親が職場と家庭の両方で責任を負っています。朝早くから夕方遅くまで働き、限られた時間の中で家事や育児をこなさなければなりません。子どもは保育園や幼稚園で長時間を過ごし、母親との直接的な接触時間は必然的に減少します。この状況下では、オキシトシンの分泌を促す親密な触れ合いの機会も限られてしまうのです。

労働時間と通勤時間を合わせると、多くの母親は一日の大半を子どもから離れて過ごしています。夕方から夜にかけての数時間が、実質的な親子の触れ合い時間となります。しかし、この時間帯は夕食の準備や入浴、就寝準備など、やるべきことが山積みの忙しい時間でもあります。限られた時間内に多くのタスクをこなさなければならない状況では、ゆったりと子どもと向き合う余裕が失われがちです。

保育園や幼稚園への通園時間が長くなることで、母親の腕の中で過ごす時間が減少することも、オキシトシン分泌に影響を与えています。特に乳児期の子どもは、母親との身体的接触を通じて愛着を形成し、母親もまたその過程でオキシトシンの恩恵を受けます。しかし、早期からの長時間保育は、このような親密な接触の機会を減少させる要因となっています。

さらに、現代の母親たちは物理的な疲労も大きいものです。仕事の責任を果たしながら家事や育児もこなすという「ダブルワーク」の状態は、心身に大きな負担をかけます。疲労が蓄積すると、子どもとの関わりの質にも影響が出がちです。イライラしやすくなったり、子どもの要求に適切に応えられなくなったりすることで、本来なら得られるはずの親子の触れ合いの喜びが減少してしまいます。

また、核家族化の進行により、育児の孤立化も進んでいます。かつては複数の大人が協力して子育てを行うことが一般的でしたが、現代では母親一人が育児の主な担い手となることが多く、その負担は増大しています。祖父母や地域コミュニティからのサポートが得られにくい環境では、育児の大変さを和らげる社会的なクッションが失われがちです。

さらに、現代社会では子育ての「正解」を求めるプレッシャーも強まっています。育児書やインターネット上の情報があふれる中で、「正しい育児」を実践しなければならないという強迫観念に駆られる母親も少なくありません。このような状況では、子どもとの自然な触れ合いから生まれる喜びよりも、「できているかどうか」という評価軸が前面に出てしまい、本来なら楽しいはずの子育てが義務感に支配されることがあります。


このような状況の中で、現代の母親たちは子育ての大変さをより強く実感する傾向があります。

オキシトシンなどのホルモンがもたらす幸福感や満足感が減少する一方で、育児の負担や責任感は変わらず、あるいはむしろ増大しているからです。

私が【余裕のある者以外は子供を作らない方がよい】と主張する理由がここにあります。

例えば、株式の配当金や不動産収入などで働かなくても余裕で暮らせる人(経済的余裕も時間的余裕もある人)は、その分、子どもと一緒に過ごす時間が長くなりオキシトシンの摂取効率が上がるため、結果的に「幸福感>負担感」になりやすいのです。

一方、共働きで毎日忙しく、子どもは託児所や保育園に預けなければならず、子どもと触れ合う時間の少ない母親はオキシトシンの摂取効率が下がり「幸福感<負担感」になりやすいのです。


②出産の不幸の始まりは子供が中学生以上になったときに訪れる

さらに地獄が始まるのは、子どもが中学生以上になったときです。

ここで、育児の生物学的報酬と社会的負担のミスマッチが発生するのです。

人間の子育ては、生物界でも特異な長さを持っています。多くの哺乳類は、子どもが自立できるようになるまでの数週間から数ヶ月を育児に費やすのに対し、人間の親は20年以上にわたって子どもの養育に関わります。この極めて長い育児期間は、人間の進化過程で脳の大型化と社会的複雑性の増大に伴って発達してきたものですが、現代社会においては親に大きな負担をもたらす要因ともなっています。

乳幼児期の親子関係には、強力な生物学的メカニズムが働いています。赤ちゃんを抱きしめたり、微笑みかけたり、授乳したりする行為は、親の脳内でオキシトシンの分泌を促します。このホルモンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、強い幸福感や満足感をもたらします。小さな子どもとの触れ合いは、親に対して直接的な生物学的報酬を与え、子育ての困難さを乗り越える原動力となるのです。

赤ちゃんの柔らかい肌、大きな目、丸みを帯びた顔などの特徴は、「乳児図式」と呼ばれる生得的な可愛らしさを持ち、私たちの脳は本能的にこれらの特徴に反応するよう設計されています。この反応は、親だけでなく多くの成人に共通するもので、生物学的に「世話をしたい」という欲求を引き起こします。子どもの笑顔や泣き声は、親の脳内の報酬系を直接刺激し、養育行動を強化するのです。

しかし、子どもの成長に伴い、この生物学的な報酬システムは徐々に変化していきます。思春期に入った子どもは、親からの自立を求めて距離を取るようになります。スキンシップの減少、会話の減少、共有時間の短縮など、オキシトシンの分泌を促す直接的な接触が大幅に減少するのです。ハグや抱きしめといった身体的接触は、かつては日常的に行われていたものが、思春期以降はほとんど行われなくなることも珍しくありません。

生物学的な視点から見ると、この変化には進化的な理由があります。

親子間の遺伝的利害の不一致(親子間葛藤)は、子どもが成長するにつれて顕著になります。親は多くの子孫に資源を分配しようとする傾向があるのに対し、子どもは自分自身により多くの資源を求めます。思春期の子どもが親から心理的に距離を取ることは、この利害の不一致を反映したものであり、子どもが独自の生活を確立するための準備段階と言えます。

野生環境では、人間の子どもも思春期頃には生殖能力を獲得し、親から独立する準備が整います。私たちの祖先が狩猟採集生活を送っていた時代では、思春期に達した若者は自ら食料を調達し、配偶者を見つけて新しい家族を形成し始める年齢でした。

つまり、昔は生物学的には子育ての「報酬期間」と「負担期間」は、比較的バランスが取れていたと考えられます。


しかし現代社会では、この生物学的なタイムラインと社会的なタイムラインの間に大きなずれが生じています

それは、中学・高校・大学卒業まで親が面倒を見ることを社会から求められる高学歴化・過剰教育の影響と言えます。

子どもは生物学的には12〜14歳頃に性的成熟を迎えますが、社会的・経済的自立は20代後半までずれ込むことも珍しくありません。高度に専門化された現代社会では、長期間の教育が必要となり、親は子どもの社会的自立までの期間を経済的に支援することが期待されるのです。

特に日本社会では、教育への投資が将来の社会的成功に直結するという認識が強く、多くの親が子どもの教育に多額の費用を費やします。中学校、高校、大学と進むにつれ、授業料、塾や予備校の費用、教材費、部活動にかかる費用など、教育関連の出費は増大していきます。国立教育政策研究所の調査によれば、子ども一人あたりの教育費総額は、幼稚園から大学卒業までで約1000万円を超えると言われています。

一方では、子どもの成長に伴いオキシトシンなどによる直接的な生物学的報酬が減少し、他方では社会の要請による経済的・時間的負担は増加の一途をたどるのです。特に子どもが思春期になると、親への反抗や親からの心理的独立の過程が始まり、親子の関係性が一時的に悪化することも珍しくありません。

この時期、親が受け取る"幸福"という報酬は乏しくなるのに、経済的負担は最大になるという逆説的な状況が生じます

私たちホモサピエンスという動物は、大きくなった子供を育児する機能などもともと持ち合わせていないのです。

「教育しなければならない」というのは"生物の仕様"を無視した社会の都合に過ぎません


経済学者のゲイリー・ベッカーは、子どもを「耐久消費財」に例えて分析しました。彼の理論によれば、現代社会では子どもに対する「投資」(時間、お金、教育など)は増大する一方ですが、親が得る「見返り」(満足感、老後の支援など)は減少しています。この費用対効果の悪化が、先進国における出生率の低下の一因であるとベッカーは指摘しています。

生物学的な視点からこの問題をさらに掘り下げると、私たちの脳の報酬系は即時的な報酬に強く反応するよう設計されています。

赤ちゃんや小さな子どもとの触れ合いは、オキシトシンの即時的な分泌を通じて直接的な満足感をもたらします。しかし思春期以降の子どもへの投資は、はるか先の将来における社会的成功という形で実を結ぶもので、即時的な報酬が少ないのです。

さらに、これまでの親の世代が当然のように享受していた「子どもの成功による物理的な報酬」も、現代社会では不確実です。かつては適切な教育を受ければ安定した職業に就けるという保証がありましたが、急速に変化する現代社会ではもはや存在しません。親は多大な投資をしても、子どもの将来の成功が約束されないというリスクを抱えているのです。

この生物学的報酬と社会的負担のミスマッチは、親の幸福感にも影響を与えます。心理学者のダニエル・カーネマンらの研究によれば、小さな子どもを持つ親は、子育て活動中の瞬間的な幸福度は必ずしも高くないものの、人生全体の意義や満足度は高い傾向にあります。しかし子どもが成長するにつれ、この「意義」の感覚も希薄化していくのです。

教育ママがマウント合戦を始める様子も同じ文脈で説明できます。オキシトシンも無いし将来も不明瞭。絶え間なく訪れる「欠乏感」を、無意識のうちに優越感や承認欲求など「別の脳の報酬系」で補おうとしているのでしょう。不幸な話です。

また近年では、子どもの社会的自立の年齢がさらに上昇しています。非正規雇用の増加や住宅価格の高騰などにより、経済的に自立することが難しくなり、親元に長く留まる若者(いわゆる「パラサイトシングル」)も増加しています。親の経済的負担は予想以上に長期化し、定年退職後の生活設計にも影響を与えることがあります。

生物的には既に育児は終わっており、オキシトシン摂取ができなくなっているにもかかわらず、社会的に長期にわたり育児負担を求められるのです。

これでは「幸福感<<<<<負担感」となるのは当然と言えます。


結論。女は絶対に産むな!女は産む機械ではない

このような記事を書くと、こども家庭庁に怒られてしまうかもしません。日本の少子化をさらに進めてしまう言説だからです。

しかし、皆さんの幸福のために、もう一度ハッキリと言います。

「女は絶対に産むな!(富裕層は除く)」


子供を産まなくても、母性や父性をハックして幸福になる方法はあります。

以下記事で述べた「ペットを飼う」「推し活」などです。出産・育児よりも負担感の少ないオキシトシン摂取源を確保してください。


「女性は産む機械」という表現や「生物は産むのが普通」という考え方は、生物学的に著しく単純化された誤った見方です。

生物の繁殖は機械的な必然ではなく、環境条件や資源の利用可能性に応じて柔軟に調整される複雑なプロセスです。自然界のあらゆる生物種は、生存に適さない環境条件下では繁殖を抑制する能力を持っています。これは生物の基本的な適応戦略の一環なのです。

生態学で知られる「密度効果」はその代表的な例です。多くの生物種では、個体数が増加して資源が限られてくると、自然に繁殖率が低下します。これは個体群サイズを環境収容力内に維持するための生物学的メカニズムであり、種の長期的な生存を保証するための賢明な戦略と言えます。ネズミやウサギなどの小型哺乳類では、個体密度が高まると妊娠率の低下や胎児の吸収が観察されることがあります。

人間も例外ではなく、私たちの生殖行動や意思決定は環境シグナルに敏感に反応します。現代社会における少子化現象は、単なる「価値観の変化」や「ライフスタイルの多様化」という表面的な説明だけでは不十分です。

より根本的には、現代環境が私たちの生物学的アルゴリズムに送っている「子育てに適さない」というシグナルに対する適応的な反応と考えることができます。

例えば、経済的不安定性は繁殖を抑制する強力な環境要因です。非正規雇用の増加、住宅コストの高騰、将来に対する不確実性などは、生物学的には「資源の不足」や「将来の予測不能性」として認識され、繁殖意欲を低下させます。これは、資源が不足している時期に子どもを産むことのリスクを回避するという、進化的に獲得された賢明な適応反応なのです。

「結婚や子育てよりキャリア」「子どもはいらない」「自由が良い」等、何となく薄っすらと感じている女性が現代では多いと思います。若年未婚男女の過半数は「今も将来も子どもが欲しくない」と答えています。

引用元:妊活白書2023 https://jp.rohto.com/dotest/committee/hakusyo2023/

これは彼女らが無自覚なだけで、「今の環境は子育てに適さない」という本能的シグナルが無意識下に存在するのです。

私たち女性は「産む機械」ではありません

私たちは「"条件が揃ったときに"産む機械」なのです


少子化対策として小手先の社会制度を整えるだけでは不十分なのは、本記事で述べたような生物学的アルゴリズムの視点を見落としているためです。

効果的な少子化対策には、私たち女性の本能(生物学的アルゴリズム)に適合した環境条件を整えることが不可欠です。

女性の生物学的アルゴリズムを見ようとしない現代の国家・社会に子宝という労働力を提供する義理も義務もありません

逆に「産みません」と国家や社会にNOを突き付けることが、環境の変化を促すささやかな抵抗となるでしょう。

私たちの生物学的アルゴリズムが「ここは子どもを産み育てるのに適した環境だ」と感じられるような、本質的な社会環境の変革が求められているのです。


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