【海士町】海士町が帰りたい場所に絶対なるだろうなっていうのは今思ってるところ。人
海士町イン旅ュー2024夏はっじまるよ~🌊
今回ご参加いただいたのは 松井愛理 さんです!
現在:自分の想像を超えてきた感じが面白いなって日々思ってますね。
ゆいぴ:
松井さんは今、何をしている方でしょうか?
松井愛理:
今は島体験の制度で大阪から海士町に7月から来てて、3ヶ月の体験で。一応働いている場所は、福祉プロジェクトっていうプロジェクトに入ってて、そこで週2回ミーティングしたり、イベントの企画したりしつつ。もう一方の週2回で、島の福祉施設のさくらの家っていう障害者の就労支援の事業所で働いてるっていう感じです。
ゆいぴ:
お仕事はどうですか?
松井愛理:
楽しいですね。
ゆいぴ:
何が楽しい?
松井愛理:
元々障害持ってる方の就労支援に来島する前からちょっと興味があって。職場体験も大阪で行ったりとか、支援員としての面接を受けたりとかしてて。でも支援する側と利用者さんの関係がすごくきっぱり分かれてるというか、めっちゃ支援する側と支援される側って分かれてるように感じて。私がしたいような支援じゃないような気がして、大阪で見学に行ったときは。あと、個人個人として関わってる感じじゃないような、ただ仕事として関わってる感じもして。そうじゃないようなところで働いてみたいなっていうのもあって。
海士町にそういう就労支援施設があって、島体験でそのインターンとして働けるっていうのを見て。島の就労支援施設だったらもうちょっと関係深く、もうちょっとフラットな関係で利用者さんと関われるのかなと思って実際来たんですけど、自分が思ってた想像以上にフラットな感じで(笑) 利用者さんと支援員、スタッフっていう関係性はあるにしても、結構対等な感じで利用者さんも支援員の方に喋ってるし。スタッフさんも支援する人みたいな感じであんまり接してないというか。それがすごく面白いなと思って。自分の想像を超えてきた感じが面白いなって日々思ってますね。
ゆいぴ:
へえ。自分の想像を超えてきたなって感じたときどう思いました?
松井愛理:
関わりやすいなって思いました。なんていうか、身構えちゃうじゃないですけど、大阪で職場体験行ったときは利用者さんに対して具体的な気をつけることとか、こういう障害があってこういうことに気をつけた方がいいとか関わる前に言われて。もう利用者さんのことをそういう目でしか見れなくなっちゃうじゃないですけど…。なんかさくらの家で働いてるときはあんまりそういうことは意識せず、人と人として関われるのが純粋に楽しいというか。自分もあんまり仕事モードでいなきゃっていうよりかは、ちょっと自然体で関わらせてもらってる感じがして、それがすごくいいなって思います。
ゆいぴ:
そもそも島体験を知ったり来ようと思ったりしたきっかけは何ですか?
松井愛理:
元々大阪で働いてて、大阪のど真ん中のビジネス街で働いてて。でも自然がなかったりとか、毎日せわしなく満員電車乗って出勤してとか、そういうのに疲れ始めてて。人が多いけど、実際深く関わってる人間関係が少ないというか。ご近所付き合いもそんなあるわけじゃないし、顔と顔が、個人と個人で関わり合える関係が少ないなって思って。もうちょっとご近所付き合いだったりとか、そういったものがあるような場所で暮らしてみたいなっていうのが。働く上でも生活する上でも顔が見える関係で暮らしてみたいなっていうのが元々あって、移住サイトとか見たりしてて。SMOUTっていうサイトで地方移住、就労支援、福祉みたいな感じで調べたら、島体験がたまたまヒットしたみたいな感じですね。
ゆいぴ:
なるほど。海士町に来たくて来たっていうよりはたまたまヒットしたから?
松井愛理:
そうですね。3ヶ月っていう挑戦しやすい期間だし。家賃とかそういう生活に関わる費用をちょっと負担していただけるとか、そういった環境が整ってるのも挑戦しやすいなと思って。
ゆいぴ:
海士町での生活はどうですか?
松井愛理:
すごい健康になりました。
ゆいぴ:
というと?
松井愛理:
大阪にいたときは夜寝れなかったりとか、夏バテで全然ご飯食べれなかったりとか、たぶんストレスもあったと思うんですけど。こっち来たらご飯めっちゃモリモリ食べるようになったりとか、夜もぐっすり寝れたりとかして。それってなんでなのかなーっていうのは日々考えてるところですね。いろいろ思い当たる節はあるんですけど。
ゆいぴ:
なんでですかね?
松井愛理:
大阪を離れたのも、自分がこういう働き方がしたいとか、こういう生き方がしたいって思ったときに、周りと比べる要素が多いというか。なんかあの子は大企業で働いて頑張ってるらしいとか、あの子は結婚して子供を産んでるとか。周りにも比べられるし自分も知らないうちに、みんなはこうなのに私はあんまりやなとか思っちゃうことが多々あって。ここではそういうのがあんまりない。あんまりないというか、同じように将来のこととか今の生活に悩んできてるし、留学生とか体験生が周りには多いし、関わる事業所の方とかご近所の方も、あんまり大阪でやってた仕事とかを根掘り葉掘り聞いてこないというか。今の私をただ見てるっていう感じがして、その競争にさらされてないような環境があるからなのかなっていうのが一つ。焦りとか不安はちょっと減ったじゃないですけど、もうちょっと自分が思うような生き方を選んでいいんだっていう安心感があるからかなっていうのはあるかもしれないですね。
ゆいぴ:
お仕事以外で普段やってることとか、最近ハマってることとかありますか?
松井愛理:
こっちに来て日記を毎日書いてます。元々たまに書くときもあったんですけど、でもこっちは自分にとって新しい場所だから、やっぱり毎日発見があるじゃないですか。そういうのを忘れないうちに書き留めておきたいなみたいなのがあって。毎日同じことしてるってよりかは何かしら変化が常にあるというか、そういうのがあるんで結構日記は続けられてるというか。今日はこういうことがあったから書こうとか。
あとはnote書いてみようかなと思って。まだ二つしか記事書いてないですけど、自分が思ったことを他の人にも知ってほしいなって思ったのは初めてだったというか。純粋にこういうことがあったんだよって自分の友達とか大阪の知り合いとかにも、あとここに来てる方々にも知ってほしいなとか思って。ちょっとずつ書き進めたりしてますね。
ゆいぴ:
日記に変化を書き留めておきたいっていうのはなんでですか?
松井愛理:
なんでなんですかね。でも大阪に9月で帰ったときに、3ヶ月楽しかったー、ひと夏の思い出だー、ぐらいで終わっちゃうと勿体ないなみたいな。こっちだと自分が生きやすいなとか、心身ともに健康的になれたなとか、そう思ったことを大阪に、環境が違うからそのまま全部は持って帰れないかもしれないけど。でもやっぱり多少はそういう要素を持って帰って、これからどうしていくかとかちゃんと考えたいなと思って。自分で日々の経験を言語化しないと、なんであのとき健康的だったんだっけ?とか、なんで居心地よかったんだっけ?って忘れそうで。そういうのがあって、書き留めておきたいなっていうのは思いますね。
ゆいぴ:
noteを通して知ってほしいっていうのはなんでですか?
松井愛理:
自然と湧き上がった感情ではあるんですけど。元々地元が大阪で、周りの友達とかも周りと比べられてしんどい、みたいな。その生き方にしろ何にしろ、周りと比べて落ち込んだりとか、自分の選択が合ってるのかなみたいに思うことが多いっていう話を、たまたまですけど友達とそういう話になって。でもちょっと離れた場所に立つと、そうやって比べなくても自分なりにこうやって働いてみようとか、こういうところで暮らしてみようとか、選択してる人もいるんだよって。田舎で暮らしてみると、なんでそんなとこで暮らすの?みたいに言われたりもするけど、でもこういう良いところがいっぱいあるんだよっていうのを知ってほしいなって思ったのはあるかもしれないですね。
ゆいぴ:
日記や記事を書いてるときはどんな気持ちですか?
松井愛理:
日記とnoteで違うような気がしてて。日記は自分だけが見るじゃないですか。いろんな感情があって、良い感情もあれば負の感情みたいなのもある。そういう気持ちが静まっていくような整理される気持ちはある。そこに吐き出すじゃないですけど。あとはここでの生活ってシェアハウスで住んでるし、ご近所付き合いもあるし、事業所も黙々と作業するようなところってよりかはいろんな人とお話してっていう。他者からの刺激みたいなのがフルである、そういう時間が多いから、自分1人で自分に向き合う時間は意識的に取らないと取れないっていうのもあって。それって自分の気持ちと静かに向き合う時間になってるのかなって。日記はそういうふうに思いますね。
ゆいぴ:
noteは?
松井愛理:
noteは日記よりも日々の経験を詳しく言語化するというか、日記はわりかしこういうことがあったとか、そういうふうな書き方にどうしてもなっちゃうんですけど。noteだと、こういうことがあったけどこれって抽象的に言うとこういうことだとか、そんなふうに一段階、レベルが上がってる?なんて言ったらいいんですかね。そういう作業、整理の作業みたいな感覚かもしれないです。
ゆいぴ:
なるほど。ちょっと質問を変えて、自分の性格ってどんな性格だと思います?
松井愛理:
難しいな。人と接するのがあんまり苦じゃないタイプかもしれないです。新しい環境で新しい人と話すっていうのにあんまり、緊張ぐらいはしますけど、それが不安だとか、そういうのがめっちゃ自分にとってしんどい要素みたいにはあんまりならないタイプかもしれないです。むしろいろんな人と話してみたいタイプなのかなっていうのはこっちに来てちょっと思ったりもしましたね。
ゆいぴ:
こっちに来て、っていうのは気づいたきっかけがあったんですか?
松井愛理:
私が住んでるシェアハウスはご近所さんとの交流が多いし、地区的にも港から離れてて周りに何もないようなところで。結構ご近所さんに挨拶したりとか、すれ違って話したりとかするんですけど。それが普通に楽しいというか、繋がりが広がっていくのが純粋に面白いなとか楽しいなって思う。島留学生とか島体験生の中でも、たぶん近所付き合いがいっぱいあるとしんどいって思っちゃうタイプの子もいると思うんですけど、私はそれに楽しさがあるなって思うタイプだなとは思いますし。さくらの家で働いてるときもいろんな利用者さんがいていろんな話をしますけど、別にそれが全然苦じゃないというか。むしろいろいろ喋ってみたいなって純粋に思うなっていうのは気づきました。
ゆいぴ:
人と接することや繋がりが広がることの楽しさとか面白さって何なんですかね?
松井愛理:
んー、なんだろう。なんで楽しいと思うんだろう。その人と接してると、相手のことも自分のこともお互い知り合えて、その時間がすごくいい時間だなって思うんですよね。その人のことを知れるのが楽しいなって思うんですけど…。なんでなのかな、ちょっと考えます(笑)
過去:自分が何者なのかってずっと考え続けてたんで、それまでは。
ゆいぴ:
松井さんは、どんな子供でしたか?
松井愛理:
小学生ぐらいまでは逆に内気なタイプだったかもしれないです。ちっちゃいときはもっと人見知りだったし、お母さんの後ろにずっと隠れてるみたいなタイプだったらしいです。小学校のときはクラスの中心にいますとか、全然そういうタイプじゃなかったですね。
ゆいぴ:
小さいときの印象的な思い出って何かあります?
松井愛理:
私が通ってた小学校はだいぶ荒れてて、荒れててというか結構やんちゃな学校で。女の子たちがもう、小4とかでめちゃくちゃませてたんですよ。中学生ぐらいのませ方してて。だからもう既に女の世界があったというか。トラブルがあったら公園に集まって話し合いしようみたいな感じで。それってなかなか小4とかであるような次元の話じゃないなっていう。だからそういうときに中心にいるタイプではなかったです。なんか端っこの方で、話し合いに呼ばれたー…みたいな感じで思ってるタイプでしたね。
ゆいぴ:
へえ。そういう状況だったことを当時どう思ってたか覚えてます?
松井愛理:
めちゃくちゃ嫌でしたね。早く転校したいみたいな(笑) ほぼほぼ持ち上がりで中学校に上がったんですけど、そのドロドロした小学校時代にみんなたぶん飽き飽きして。中学校は逆にさっぱりしてたんですよ。同じメンバーだけど。その中で私はバドミントン部に入ってたんですけど。部活のメンバーとか学校の先生とかも、学校の雰囲気自体はやんちゃやけど個人個人が自分の個性を思い切り出して、日々学校に通えるようなところで、そういう雰囲気もあって。そっからは全然仲良くというか、日々爆笑が止まらないみたいな雰囲気のクラスだったし、部活だったし。そういう中で、明るくなったような気がします。
ゆいぴ:
バドミントン部はなんで入ったんですか?
松井愛理:
楽そうだからですね。他は厳しそうだったんでちょっと無理だなーと思って。バドミントン部は初めの体験がすごい楽だったんで。騙されて入った。
ゆいぴ:
バドミントンやってみてどうでした?
松井愛理:
今振り返れば、メンバーも今でも繋がってるような感じで楽しかったんですけど。バドミントン自体で言えば全然自分に向いてなくて。そのときに人間には向き不向きがあるんだっていうことを学びました。努力でどうにもならない部分が人にはあるんだっていうのを。だから、自分に合ってるものを選んでいくっていうのも大事なんだなっていうのは感じましたね。
ゆいぴ:
どういう面で向いてないなって?
松井愛理:
単純に運動として合ってない。道具を使うスポーツが自分には合ってないなって。あと勝負事で駆け引きがあるのが苦手なんだって思いました。結構バドミントンって駆け引きのスポーツなんで。そういう賢さが自分にはないというか、ズル賢い人が強いみたいな感じなんでそれは私には向いてないなみたいな。
ゆいぴ:
高校はどうでしたか?
松井愛理:
中学まではすごいやんちゃな地元の小中に行ってて。高校は大阪の中でも進学校みたいなところに行って、全然雰囲気が違うというか。みんな右向け右で右向いちゃうみたいな感じのところ。結構それが違和感だったりもしたんですけど。でもみんな似たようなじゃないですけど、勉強はそれなりに頑張るし、大体先生の言うことも当たり前に聞けるみたいな子たちの中で。勉強で言えば、言われたことをやることは結構得意だったんで勉強はついていってたんですけど。ただ受験になると、高校の方針として基本的に国公立の4大じゃないとダメみたいな高校だったんで。それもなんか変やなと思いつつ自分もそのレールに乗っちゃったところがあって。あんまり何も考えずにとりあえず勉強しよう、とりあえず4大行こう、みたいな感じで勉強してたなっていうのが勉強面ではあって。
部活は打って変わって器械体操部に入ったんですけど。そこは一緒に入ったメンバーも、自分で考えてみんな動くタイプというか。この次の段階に何を求められてるかとか、どういうことを準備したらいいのかとかをみんなでサッと動いて考える同期ばっかりで。こういう子たちと一緒に仕事をしたらすごい楽しく仕事できるんだろうなみたいなメンバーが集まって。自主的にメニューを考えたりとか、賞状を取るためにはどうしたらいいかとか、そういうことを自分たちで考えて部活やってたんで。すごい温厚な子たちばっかりだし。中学とはまた打って変わった感じでしたけど、それはすごい良い経験だったなって思いますね。
ゆいぴ:
右向け右でみんな右向くことの違和感って何ですかね?
松井愛理:
右向けって言われて右向かないような子たちばっかだったんで小中が。それが当たり前っていうか、先生に文句言って当たり前みたいに思ってた節があって。私はそこまで文句を言うタイプじゃなかったんですけど、それでもやっぱりいざ高校に行ったらあんまり反抗しない集団に出会ったんで。それってほんまにいいのかなっていうか。自分の意見がないとまではいかないですけど、お上がこう言ってるからこうするみたいなのって楽だけど。なんかちゃうなって思ったときに、それちゃうくないですかって言える環境の方がいいんじゃないのかなって。そのときに思ってたのか追々振り返って思ったのか、ちょっと定かではないですけど。そういう気持ちは抱きましたね。
ゆいぴ:
子供の頃の人見知りが中学で変わって、って言ってましたけど高校ではどうでした?
松井愛理:
より明るくなった感じでした。小中のときのすごい仲良かった同じバドミントン部だった子も一緒にその高校に上がったんですよ。その子が私なんかよりももっとうるさくて、うるさいというかもっと明るくて、その子と一緒にいるから同時にうるさい人みたいな感じに思われてたかもしれない(笑) その学校の雰囲気があったからかもしれない。小中の雰囲気のまま、急に賢い子たちばっかりの高校に行ったら、ちょっとギャップじゃないですか。そういうのもあったのかもしれない。
ゆいぴ:
その後は大学に進学された?
松井愛理:
そうですね。
ゆいぴ:
大学はどうでした?
松井愛理:
大学は全然面白くなくて。なんでだったんですかね。たぶんあんまり目的なく、なんとなくで大学と学部を選んで。国際系の学部に行ったんですけど、ぼんやり国際系に興味があるみたいな感じで。自分の母親が在日コリアンで、そういうのもあって日本以外の国との関係とか、日本の中の異文化みたいなのに興味がぼんやりあって国際系かなーみたいな。そのぐらいのふわっとした感じで入っちゃって。いざ受験も合格して、入学ってなったら目的とか目標を見失ったじゃないですけど、なんか私って何がしたかったんやっけみたいなふうになっちゃって。授業は毎回寝てるし、今まで授業中寝たことなんて1回もなかったんですけど、たぶん興味が湧かなさすぎてずっと寝てて。
大学の友達も仲良い子ができて、話はするけど何か噛み合ってないような気がして。嚙み合ってないっていうか、生きてきた世界が違う感があって。私はずっと小中地元の、わりかしみんな生活水準も一緒で、そんなお金持ちがいっぱいいるような地区じゃないところで生きてきて、高校も公立なんでそんな飛び抜けたお金持ちが周りにいるわけじゃない。けど大学に行くともっと裕福なというか、そんな感じで生きてきた子が多いなって思っちゃって。それで話が合わないわけじゃないけど、なんか深い話ができないなって思ってしまって。あんまり楽しくないなーって思ってましたね。
ゆいぴ:
それは4年間ずっと?
松井愛理:
3年の終わりに就活も全然やる気にならなくて、なんで就活せなあかんのやろ?みたいなふうに思ってた時期があって。そのままダラダラと3年の終わりぐらいまでいってたら本当にたまたま、私の教授が韓国関連の研究をずっとしてた人なんですけど、私が韓国の事に興味があることは知ってて。韓国に交換留学で行く留学の奨学金の枠が、事務方のミスで空いちゃって誰かが行かないともったいないことになるっていうので。だからお前が行かへん?ってたまたま言ってもらえて。行きます、みたいな感じで。私の母方の祖父母の故郷が韓国の済州島という島なんですけど、そこの済州大学ってところとちょうどうちの大学が交換留学の提携があって、済州島に留学行けるっていうので。自分のルーツも興味があったし行きますって言って1年留学に行ったんですけど、それはすごい自分にとって本当に行ってよかったなって思うような留学でしたね。大学生活の中で一番、この大学に行かないとたぶん行けなかったんで。その大学行って良かったなって思った経験でしたね。
ゆいぴ:
それは大学生のうちに行った?
松井愛理:
そうですそうです、交換留学で。大学のうちの1年使って行ったみたいな。
ゆいぴ:
どうでした?何か感じたことありました?
松井愛理:
結構いろいろ面白くて。済州島っていう島自体が元々韓国が日本の植民地だったときに、すごい済州島からたくさんの人が大阪に出稼ぎじゃないですけど、行き来してた島で。そういうこともあって済州島に行くと、私大阪から来ましたって、母方が済州島の出身ですって言ったらあ〜みたいな。すぐその歴史性を理解してくれるじゃないですけど、大体話すとうちの親戚も大阪におるとか、自分も大阪に働きに出てたとか。そういう関わり方がしやすいっていうのが一つあって。大学の授業でも日本に住む韓国の人たちとか、済州島出身の人たちについての授業があったりとか、そういう研究してる人が教授でいたりとか、そういう博物館みたいなのが大学の中にあったりとかして。自分のルーツ、自分がなんで今大阪で生まれたのかとか、そういう自分の地の部分を知れたみたいな。深く考える機会もたくさんあったし。自分が何者なのかってずっと考え続けてたんで、それまでは。日本に住んでるけど母親は韓国人で、家では韓国料理が出てきて、それってなんでなんやろ?みたいな。周りとは違うのはなんでなんやろってずっと思ってたけど、そういうことがあって自分のことを説明できるようになったら本当に人と関わりやすくなったというか。自分のことを説明しやすくなった。そういうきっかけを作ってくれた留学だったな。
ゆいぴ:
自分のルーツが腑に落ちたときってどういう気持ちを抱きました?
松井愛理:
そうだな。なんで親、親というか祖父母がこっちに来たの?とか、なんでお母さん韓国人なのに韓国語を初めから話せないの?とか、説明を求められる機会が今までたくさんあったから。自分って何もないとか考えてたんだと思うんですけど。実際にその大きい歴史の中でこういう理由があって、自分のおばあちゃんおじいちゃんは済州島から大阪に来たんだ、そこで住むようになったんだっていうことが知れると、堂々と人と関われるというか。自分のことを説明できないまま人と関わるのって、しんどさがあって。すっと腑に落ちると堂々と説明できるようになるし、別にわざわざなんで?って聞かれなくても、自分ってこういう理由があってここにいるってわかると接しやすくて、感動もあった。きっとこの港から自分の祖父母は船に乗って大阪に来たんやな、みたいなのも目で想像できたし。目で見たもので想像できたのも、心にくるものがありましたね。
未来:自分にとってこれが心地いいからこういう場所に住みたいとか、こういう働き方がしたいっていうのを自分で選んでいけるようになりたいなっていうのは思います。
ゆいぴ:
この先、近い未来から遠い未来まで想像してみて、最後に松井さんが死んでしまうところまで考えて、自分の未来に対してどういうイメージを持ってますか?
松井愛理:
海士町に来て、やっぱり私は自然が近くにある環境が自分に合うなって思ったし。人との距離がわりかし近い、ご近所付き合いにしろ働くにしろ、気軽に人と関わりやすい環境が合ってるし楽しく暮らせるんだなっていうのも。だから海士町じゃなくても日本には同じような雰囲気の場所ってきっとあるし、そういう場所を探して、暮らしたいなというか、暮らして働きたいなっていう。そういう場所が良さそうみたいな気持ちではありますね。大阪であんまりそれをできるイメージが湧かなくて、帰ったらたぶん大阪以外の場所に行ってるだろうなっていう感じですね。
ゆいぴ:
何かやりたいこととかやってみたいこととかってあるんですか?
松井愛理:
働くことで言えば、こっちで就労支援施設に週2回だけ関わらせてもらってるんですけど。大阪では職場体験までしかしてなくて、実際にそこで深く関わって働くってことできなかったんで。やっぱり障害持った方と関わりたいなっていう、そういう就労支援施設でやっぱり働いてみたいなって。でもそういう働く場所も、利用者さんと対等というか、気軽に話しかけられるし話してもらえるような事業所で働きたいなっていうのは一つあります。
ゆいぴ:
仕事以外のことはどうですか?
松井愛理:
仕事以外のことだと、とりあえず私の実家というか地元がめちゃくちゃ大阪の真ん中なんですごい都会というか、ガヤガヤしてるんで。そういうところじゃない、もうちょっと静かで自然があるようなところで暮らしたいなっていうのは。今探してる途中みたいな感じですかね。結構ぼんやりしてます。
ゆいぴ:
自分の気持ちとか心持ちとかありたい姿とか、そういう面では何かイメージありますか?
松井愛理:
そうだな。でも初めにちょっと話したみたいに、それぞれがいろいろと働き方とか生き方とか選んでる中で、他の人に「こうした方がいいからこうしなさい」って言われて決めるんじゃなくて、自分にとってこれが心地いいからこういう場所に住みたいとか、こういう働き方がしたいっていうのを自分で選んでいけるようになりたいなっていうのは思います。世間体を気にするじゃないですけど、そういうのよりかは自分の意思で、自分はこれが心地いいからこういう道を選択したいみたいなふうに、そういう軸をぶれずに持っておきたいな。
ゆいぴ:
もしもの話なんですけど。みんながレールに沿って生きることとか、右向けって言ったらみんな右向くこととか、そういうことに違和感を覚える感性やセンスがない自分だったとしたら、どういう人生を送ってると思いますか?
松井愛理:
たぶんここには来てないんじゃないですかね。私はそういうのを、違和感とかを感じやすいタイプで。だから結局、周りの子たちは大学4年でストレートで卒業して基本大企業に就職してっていう道を歩んでるんですけど、たぶんそうなってんのかなみたいな。今は全然違う道を歩んできたんで、たぶんそういうふうに生きてたのかなって思います。周りにはそう生きればよかったのにって結構言われるんですけど、親とかに。もうちょっとちゃんと生きたらどう?とか生きれたのに、みたいな。
ゆいぴ:
周りからそう言われることに対してはどう思います?
松井愛理:
ストレスですね。ストレスというか、そりゃそう思うんやろうけど、でもそれってあなたの意見ですよねって思っちゃいますね。心配してくれていろいろ言うんでしょうけど。そう言われると、島体験来るとか一つにしても、その選択って間違ってたんかな?とか。来る前は結構思ってたんですよ。反対されたりもしたんで。でもいざ自分で選んで自分が良いと思ってこっち来たら、本当に良い経験というか、今できてるなって思うし。自分が来たいと思った感性は間違ってなかったんだなって思うんで。
ゆいぴ:
松井さん、海士町に来て2ヶ月ぐらいですかね?
松井愛理:
うんうん。
ゆいぴ:
これから海士町とどういう付き合い方をしていきたいですか?
松井愛理:
本当によくしてくださるご近所さんがいらっしゃって、ただ場所として帰ってきたいだけじゃなくてこの人に会いたいなって思える関係性が、働いてる事業所の方も「来たくなったら来たらいいやん」みたいな。会いたくなったら会いにおいでよ、みたいな感じで言ってくださる関係性を今ちょっとずつ作っていってる感じなんで。場所としてもすごい好きだし、この人に会いたいっていう人ができてるんで。会いたい人に会いに来たいなっていうふうには思いますね。帰りたい場所、そういう場所には絶対なるだろうなっていうのは今思ってるところ。
ゆいぴ:
最後に言い残したことっていうのを聞いていて。今まで振り返ってきた上での言葉でもいいですし、インタビューの感想でも、記事を読んでる方へのメッセージでもいいんですけど。何か最後に言い残したことがあればお伺いします。
松井愛理:
言い残したことというか、インタビューを申し込んだときとか今日来る前とかも思ってたんですけど。スラスラ言語化できるタイプじゃないし、うまい言葉があんまり見つからないときもあるんですけど。インタビューってどうしても文字化されちゃうんで言語化しないといけない部分もあるんですけど、そこをうまく言葉にできひんかったな、でもあれってどういう気持ちやったっけ?みたいなのをまた振り返って考えたいなと思うし。変に綺麗な言葉で言語化しちゃっても、それはそれで勿体ないなって思うこともあるんで。そういう言語化ができなかったモヤッとした部分もそれはそれでいっかって。それはそれで大事にしようって改めて思ったインタビューでした。
ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。
あとがき
「あいつらが右を向いたとしてもお前まで右を向く必要はない」と以前語った人がいました。決して他人に左右されず、自分だけの道を歩む。簡単なようで実はとても難しいことだと思います。どんな状況下でも、信念や揺るがない軸を持ち続けるにはバイタリティが必要だし。それでも前に進み続けるその歩みこそが、誇りであり、支えであり、これからも人生の道標になるんじゃないかな。「自分が思うような生き方を選んでいく」と語る微笑みの奥には葛藤と成長、強さと繊細さが垣間見えたような気がしました。
【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】
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この記事は海士町関連のインタビューです。
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