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鬱 回顧する個的なロードマップ

 なにやらnoteで鬱に関する記事や、生活綴り方的スタンスの記事での気持ちの不調に関する吐露が、意外なほどに多い事にここ数日で気づき、個人的な過去のことをこの場合隠さずに書いておこうと。本気で綴ると膨大な分量の文章になりそうなので、端折る努力のもとに一応とりあえず。

 個人的な実感からの体験談であり、執筆者は精神医療の専門家ではありません。前半は経過のことについて、後半以降は有効であると思う生活における行うことや試みてみると良いかもな事や、本などについて。
 後半見れば素人が考えたことであるが方法論のいくつかのことが書いてあります。


 病にあった期間と回復期・その後の全快期の時間的流れ

①鬱にあった期間 23歳ごろから30歳ころまで比較的重めの鬱そして一時期、統合失調ぎみではと専門医に診察されたごく短い期間がある。当時は「治りませんよ」と生涯つきあってゆくしかない病と一時診断されたことも。比較的強めの抗うつ薬を継続的又は断続的に(確か29歳くらいまで)処方されていた。この期間以前には自殺憂慮はあったが(高校時代)、この期間については全く無かった。恥ずかしながら正直に書くけれど、よいお酒の作用があった時・音楽を聴いている時間以外では、薬の作用もあってか意識がハイになることは概ねなかった期間である。時代のエネルギーの質・雰囲気も今よりはずっと重かった。

②回復期 30歳ころから35歳頃まで。家族と離れて暮らしはじめこの頃はもう投薬をやめており、快方へ向かいはじめる。

③全快期 35歳頃からずっと~~。


 ①抗うつ薬を飲んでいる期間は、薬の作用による重さつらさを我慢するだけの並行線を辿ることだけで時間がすぎた、と今更ながら。私の場合、薬はだめで解決への糸口にまでたどり着くことはなかった。
 今でも服薬している知人が二人おるが、快方には向かわず十数年あるいは二十年以上まあ平行線のままで、薬では治らないと個人的には思っている。
 脳の働きを抑制し当時の世代の薬だと靄がかかったような感じ・詰め物をされたような感じ、そんな作用感があるので、頑張ってみても勉強読書の学習効果は著しく落ち(実感として。スパークしないので)、必然長期的にみた場合の自己肯定感も駄々下がりになると思う。
 この頃の食生活は肉料理がメインで野菜や果物など栄養バランスはまったく考慮していなかった。
 家庭の環境は詳しくは書かないが、安息の場としての機能はまあ不全に陥っていたとだけ。

 ②食生活は相変わらずだったが、転地転居し家族と関わることがなくなり人付き合い上でのストレスや家人からの期待に応えることから離脱して生活する環境になる。
 チェロの練習に4年間いそしみバッハの良さなど理解するようになり、ジャズや初歩的な室内楽その他ある程度様々な種類の音楽の理解に対する幅が広がる。幸いなことに年に数か月間アルバイトをすれば生活が成り立っていた。暇があれば自然のある野外で過ごすようになってゆく。
 頭がクリアになったこともあり、鬱をひきずりながらも失われた時間を取り戻すべく以前にも増して楽器の練習と読書に没頭していた期間でもあった。人付き合いのスキルが磨かれる機会が途轍もなく20代に不足していたことは、もはや諦め切り捨てようと判断も無意識でしていたかと思う、向こうの世界に持っていけるものは自らが獲得したものだけと早々と割り切り。興味が持続していた精神世界やシュタイナーなどなどの学習が、学生時代に近い感覚浸透度で効率的に消化される感じを若干抱く。
 気持ちはこの間にネガティブな思いは時間の経過と共に減衰し、一日のなかでそのような感情が思考活動を圧倒するように邪魔をすることは減ってゆく。

③この少し後から脳内物質、例えばセロトニンやエンドルフィンなどなどの形成にビタミンミネラルオメガ3油脂などが関わっていることを意識して、一通りの必須サプリメントを飲むようになる。食も若干気に掛けるように。
 気持ちは極めて安定し、落ち込むこと自体がほとんどなくなる。
 抗うつ薬の離脱症状で稀にセロトニンの過剰による恒常的なハイになる人がいる、とどこかで読んだ気もするが、一日を通して穏やかな多幸感・ときには耐えがたいほどの恍惚感が続く日々が十数年間に渡り続く。これには音楽の即興演奏で到達できる音楽的構造の深化によるイデアへの接触や、かつては秘教的なものとされ出回ること自体が無かった霊的な真理・知識・思考方法に関する法則、に類する書籍の読書量の蓄積もかなりの影響があったと思う。時間の経過の癒しも当然ながらあったと。
 十数年間続きそのようにあった多幸感・恍惚感は近年やや薄れはじめてはいるが、概ね日々は平常運転又はハイで、社会不安を生む出来事などによる不安は発生したりはするが、純粋に内的な要因に起因し発生すると分類されるであろう種類の、人間の否定的な感情に曝されることはあまり無い。
 

 
で、

 後半 素人の探したり考えたこと。


〇脳内物質を生成する前駆物質を含め、栄養学的知識を獲得する。

 これについてはnote内にも記事がありますし、ネット上でも当然あるかと。様々あると思うのですが、読んだことのあるもので、ひとつだけ本を。一通り脳の仕組みに関する知識が網羅されていて、とりあえずそっち方向の知識がまとまっているよい本でした。ライフハックに関することや、きわどい麻薬系植物や物質などに関することまで記述があったかと。

〇足裏マッサージ

 足裏のツボは体の各所と繋がっています。簡素な足裏の刺激によって身体的心地よさ、身体全体へ向けての刺激反射による快適さの維持効果が期待できます。

〇瞑想

note内のstudio yukar vedaさんの「うつのセルフケア、瞑想 」より

 うつ症状は脳の前頭葉が正常な働きになっていない状態で、神経伝達物質ドーパミンも過剰分泌されるのだそう。ドーパミンの過剰分泌が不安などを長く続かせるのだそう。その、前頭葉に回復を与えるのが瞑想だということが、さまざまな研究結果に出ているのがわかった。

 とここまで引用ですが、執筆者の実感でも効果があると思います。深い瞑想状態においては、ほとんどの想念がなくなってしまい、ただただ静謐が鎮座しているような感じになります。気持ちが静まる。練習が必要ですし、初心者は違ったトコロにいってしまうこともあるそうですが、鬱症状改善のための候補のひとつではあります。

〇体の言い分を聞いてあげ、ケアする

 中井久夫「最終講義|分裂病私見」を昔読んで、今でも覚えている部分が一行ほどあります。(確か)「夕方になると誰でも多かれ少なかれ疲れているものだ」そのようなことを書いていたかと思うのですが、当時、私は言われてそれに気づいたクチでした。時間変化による状況変化に関する意識がわたしはおそらくほとんど無い人間だったと思います。つまり、夕方だからちょっとチョコレートでも頬ばっておこうか のような体のケアのようなことを思い発想行動とかは、辞書に驚くべきことに本当になかった。いつでも頭の中で別のなにかについて考えていました。
 ここは性差がでてくるところでもあると感じるのですが、例えばささくれをクリームでケアしてあげる、のような心の動き習慣は、身体に対する細やかな愛の行為で、自分のこころにも影響があるかと思い。
 小さなことやもしれぬのですけれど。

〇周りとの感情の関係を見直す

 執筆者は、たまたまそのことを観察できる視覚がありましたので、そのことが人間にどれだけの大きな影響をおよぼしているか、疑いようないそのことについて比較的長い期間に渡り考察などしております。低階層をひたすら堂々巡りする重い感情が、ほとんど全部家系からのとか他人に由来し起因する、ということだって本当に例が(他で聞いた話でも)あるのです。
 大きくは人間関係の感情に関する問題として卑近なものとして、共依存や愛着障害など。関連書籍は星の数ほど巷にあるでしょう。
 スピリチュアル界隈でもわかりやすい所で言えばエネルギーバンパイヤ問題などかな。比較的地味な分野のことですので、拙文ながら以下も参照していただけると。

〇バランスのとれた中立的、肯定的思考を習慣づける。
 (反対のことや事実に反することを考えない。真に完全に中立的な素材、すなわち如何なる点でも否定的な害悪に関連しないものを思考に用いる)

 ある書物から例文を。

「私は病気である。私は痛みがある」
病気(の描写)  その際 心(否定的思考)が生じる。

「私は毎日良くなっている」
(病気に対する)治療の試み   その歳 心(否定的逆思考)

「バラは素晴らしく美しい」
「太陽はなんと素晴らしく温かいのだろう」
(実際の効果として精神の)治療   その際 心(中立的な思考、肯定的思考及び願望夢←後述)

〇願望夢に浸る。

 ある書物から。

 人間は誰でも、通常幼いころから願望夢を持っている。空想の中に存在する願望夢の産物で、自分がいつか実現したいと思っているもの、あるいは単に好んで夢見たか、今でも夢見ているものである。~
 願望夢の中で自分の想念を最も空想に満ちた軌道に乗せ、巨大な空中楼閣を築き、感覚を喜ばせることのできるすべて、すなわち幸福、愛、美、理解、その他気持ちと感情を高揚させるすべてのものに耽ることは、あらゆる点で許されている。そこでは空想は果てしなく、また限界を設けようと試みるべきでもない。しかし最も必要なのは、たとえごく些細なものであろうとも否定的想念が意識の中に侵入しようとしたときには、必ずただちに願望夢を捉えるように気をつけることである。

〇孤絶してする作業をする

 文章を書いたり、電話交換手として業務にあたる、のようなことです。集中すると自分は消え去ります。

〇無為にすごす

 人間はただ無為にあることによってのみ 自分をとり戻す。
とある霊的な書籍にあった言葉です。

〇音楽の力をかりる。

 エドガー・ケーシーのリーディングには、それぞれのこころの機微症状に作用するクラシックの曲が幾つか挙げられています(例えば無限世界との接触にはこの曲とか)。ケーシーはそういう細やかな曲の作用を、きっと霊的な存在からの助言によって行っていたのだと思います。
 グレングールドのバッハの演奏とか、バージニアアストレイのとあるアルバムとか、マイケル・フランクスのあれとか、普通にというか(笑)心を落ちつけるためにはコレのような音楽の紹介・書籍(例えば 「クワイエット・コーナー 心を静める音楽集」 山本勇樹 監修)なども今では充実していると思います。
 音楽の音響法則はある意味数学のようなもので、その構造音響によって聴者である人間にグルーヴする生命力による身体全体の統合感・穏やかさ・歓び・天上界や宇宙感覚との接触・世俗の民衆感情・悲しみ・こころ弾む「ポップ」な感覚などなどを喚起します。
 執筆者は、リズムがあるナシで分類すると「ある」音楽が好みで良好に作用します。
 人により好みは千差万別で数多存在するリズミックな要素を含んだ音楽、グルーヴ・音階の構造・演奏者の技量・音色加工(エンジニアリングなど)そうした様々な要素が奇跡的にかみ合わさって、一時的一過性の個人的なハマりではなく、いつでもこころを離陸させハイで繊細な陶酔に触れうる豊かな領域に、厳然とした物理法則のように鉄板で連れて行ってくれるのではという曲やアルバムがあることを、接することが出来た小さな自分の世界ながらも感じることがあります。まあ、無人島レコードかな。
 アーティスト名 アルバム名 凄くポピュラーなブツをふたつ 記するにとどめておきます。ポップな気分に誘ういざな方針で。他は秘密。

「コンプリート・ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ 」ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ

 ソフトロックと呼ばれるジャンルの世界遺産級の楽曲群。
 この時代のスタジオの録音機材・エンジニアリング・指向されたアーティスティックな視座・ソングライティング・アレンジメント・歌い手の当時の声質・・奇跡がそこにあったのだと。

「ペイパードライヴァーズミュージック」キリンジ

 富田ラボによるアレンジと音響トリートメント、デビュー時のキリンジの突出したソングライティング(スティーリー・ダンまでをも消化した)、日本屈指の演奏者(皆すんごいのだがベースの渡辺等による演奏が特に素晴らしいと思う。菅野よう子との仕事でもお馴染み)による演奏、ポップ音楽の最高峰であると感じ。


〇親身に話を聞き接してくれる、中立的肯定的思考を体現しているこころの健康な友人をみつける

 人間の同胞愛とその響きがいちばんの治療をもたらすとも感じます。


航海の無事を祈る。

 

 

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