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【読書ノート】71『ウクライナ危機後の地政学』藤和彦

過去に著者のエネルギー関連の著書を何冊か読んだことがあり、この本もロシア・ウクライナのエネルギー地政学の本かと思いきや、実は世界の政治経済(エネルギー問題を含めた)の状況を分析したものだった。著者は通産省(経産省)出身のエネルギーの専門家だけでなく、内閣官房内閣情報調査室で内閣情報分析官を歴任したインテリジェンスの専門家でもあったことを初めて知った。本書は近年の世界情勢を非常にバランス感覚に富んだ視点で分析しており非常に参考になる内容。

【目次】
第1章 揺らぐ冷戦後の国際体制
第2章 世界はグレート・デプレッションに向かう
第3章 内戦のリスクが高まる米国
第4章 少子化と不動産バブル崩壊で衰退する中国
第5章 群雄割拠の時代を日本は生き残れるのか
おわりに ロシアとどのように向き合っていけばよいのか


以下、気になった個所を抜粋

ウラン資源と濃縮ウラン
米国政府は2022年3月、ロシア産天然ガス・原油・石炭の輸入を禁止したが、ウランを生産対象にすることはなかった。ロシアはウラン資源の大供給国だからだ。
・・・米国は天然ウランのロシア依存からの脱却に必死だ。ロシアのウクライナ侵攻以後、世界の天然グラン価格は約3割上昇しており、米国と同盟関係にあるオーストラリアやカナダ(二位)の ウラン採掘企業は増産体制に入っており、今後ロシア産天然ウランを代替できる見通しとなっている。
次に濃縮ウランだが、2020年時点で米国は23%をロシアに依存していた。
ウラン採掘と異なり、ウラン濃縮はロシア依存からの脱却が困難だ。高度な技術が必要される作業であり、一朝一夕でその能力を獲得するのは難しいからだ。
米国のウラン濃縮能力は近年一貫して低下しており、ロシア、中国、フランス、ドイツなどの後塵を拝している。・・・冷戦終結以降は、核兵器に充填されていた高濃縮欄(濃度は90%以上)から転換された安価なロシア産低濃縮ウラン(濃度は3%~5%)が、大量に輸入されたことで、米国のウラン濃縮企業が壊滅的な打撃を被ったことが関係している。

p46-47

ロスアトム
ロスアトムはロシア原子力省長庁を母体として2007年に設立された。原子力発電所の運営、ウランの濃縮、原子力機器製造などを行う総合原子力企業に成長し、海外展開にも積極的だ。東京電力福島第一原子力発電所事故の廃炉事業(炉心融会で発生したデブリの分析など)にも協力しており、日本支社が2018年に設立された。
ロスアトムグループの中でウラン濃縮を担っているのは2009年設立されたトベルフュエルだ。2020年時点で世界の濃縮ウランの約50%を製造し、各国と燃料供給契約を結んでいる。

p43

◆天然ガスパイプライン
現在、ロシアと中国をつなぐ天然ガスパイプラインは2019年に稼働した「シベリアの力」だけだ。ガスプロムは2022年3月、モンゴルを経由する新パイプライン「シベリアの力2」の建設プロジェクトの具体化に着手したことは明らかにしており、完成すれば年間輸送能力500億立方メートルが追加される。これらのパイプラインの年間輸送能力が合計で1110億立方メートルとなり、ロシアからの欧州への輸出量(1550億立方メートル)の三分の二以上になる計算だ。
だがロシアの報酬向けと中国向けの天然ガスの生産地は異なるため、その間をつなぐパイプラインの整備のための巨額の投資が必要となるとの課題がある。ロシアのEU向けのガス供給量は半減したが、価格が高騰しているおかげでガス売却で得られる収入は安定している。ロシアはLNG輸出にも力を入れ始めている。

p53

◆マージン・コール
欧州の電力企業を苦しめているのは先物取引市場で発生する「追加担保の拠出」(マージン・コール)だ。電力企業は電気を販売する際、価格下落リスクを回すためレバレッジをかけてやり方で先物を売ることが多い。レバレッジとは担保として預けた証拠金の何十倍にも相当する資金を借り入れて取引を行うことを指す。
・・・リーマンショック後、世界の金融市場でデリバティブ取引に関する規制が強化されたが、エネルギー市場は小規模だったことから、規制が導入されることはなかった。いわば「野放し」状態にあったエネルギー市場だが、ロシアのウクライナ侵攻によりその規模が急拡大し、世界の金融市場にとって新たな脅威になってしまったようだ。
・・・電力会社が天然ガスの先物取引から発生した損失が原因で破綻した例として、米エンロン(2001年)が有名だ。相場を読み違えたエンロンは粉飾決算を重ねるなどの延命策を講じたが、マージン・コールの嵐に勝てなかった。エンロンの破綻時の負債総額は400億ドルを越え、米国経済を揺がす事態になりかけた。いずれも最悪の事態にはならなかったが、欧州の電力企業のマージン・コールの規模(1兆5000億ユーロ)は桁が違う。未曾有の金融危機が起こってしまうのだろうか。

p78-80

◆「トゥキディデスの罠」
ハーバード大学の政治学者グレアム・アリソン氏が「既存の超大国は新興大国の浮上を邪魔するために戦争に陥る危険性が高い」とする「トゥキディデスの罠」を指摘して以来、米中関係はしばしば、紀元前5世紀のギリシャの覇権国スパルタと新興大国がアテネの間で繰り広げられたペロポネソ戦争に譬えられてきた。
古代ギリシャの歴史家であるトゥキディデスは「アテネの力が徐々に強大となったことに驚いたスパルタが戦争に踏み切った」ことが戦争の原因と書いたが、プランズ氏らの解釈は違う。「海洋軍事力で劣勢に立たされ始めたアテネが、勝利の機会を失う前に開戦に踏み切った」ことが、戦争の本当の原因だとしている。
新興大国はパワーが拡張し続けられる間はできる限りも目立たずに行動し、覇権国との対決を遅らせるが、成長が天井に達し衰退期が目の前に近づくと悠長ではいられなくなる。
これ以上の発展を期待できなかった新興大国が「挑戦の窓」が閉ざされる前に行動するようになるというわけだ。
「現在の中国は当時のアテネと同じ状況にある」とするブランズ氏らは、「衰退期に入るつつある中国は今後10年間より大胆かつ軽率に行動しかない」と警告を発している。

p172-173

◆「安全保障のジレンマ」
国際政治学には「安全保障のジレンマ」という概念がある。軍備増強や同盟締結など自国の安全を高めようとした国家の行動が、別の国家に類似の行動を誘発してしまい、双方が発していないにもかかわらず、結果的に軍事衝突に繋がってしまう現象を指す。
安全保障のジレンマ という概念が生まれたきっかけは第1次世界大戦だとされている。ロシアとフランスという2つの大国に挟まれた当時のドイツは、2つの戦線で同時に戦うことができる動員計画を策定した。 ドイツがこのプランに従い動員を始めると、これを脅威に感じたロシアとフランスも動員を開始する事態となった。欧州列強はいずれも戦争に望んでいなかったが、結果的に泥沼の世界大戦に入ってしまったという経緯から生まれた考え方だ。

p186-187

◆江戸幕府の管理貿易
江戸幕府は、幕府の管理下にない自由な人の往来を禁止したものの、長崎、対馬、薩摩・琉球、松前と4つの「口」を通じて人・モノ・情報の流通を管理することで、幕府は当時の日本が必要としていた商品を安定的に確保するために尽力してきた。いわば「管理貿易」だったのだ。
管理貿易を余儀なくされたのは、アジア周辺海域でも欧州諸国間の軍事衝突が累発したことから、朱印船貿易制度を創設してアジア海域での貿易と航海の安定を図ってきた徳川幕府が、民間人に対して安全な航海を保障することはできなくなってしまったからだ。
こうした事態を回避するためには、朱印船制度を廃止し日本船の海外渡航を禁止することが手っ取り早い解決策だった。幕府は海外渡航を制限するため、1631年から朱印船貿易を制限し始め、1633年朱印船貿易を事実を全面禁止した。

p97

◆江戸幕府と華僑ネットワーク
江戸時代の経済は自給自足ではなく、4つの口を通じて隣接する東アジアの国・地域に媒介されており、特に中国との貿易が不可欠だった。長崎に来ていた中国人の数はオランダ人よりもはるかに多かった。唐船は東南アジアからも来ており、当時の日本は華僑ネットワークに組み込まれていた。江戸幕は長崎に唐人屋敷を作って管理していた。
このように、江戸幕府は必要な国際関係を維持し、それによる平和な下で当時の世界情勢を踏まえながら、自らの政策意図(キリスト教の排除とアジア貿易の維持)を実現していくしたたかな外交力を展開していたのだ。
海外からの輸入が絞られると各種商品の国産化が進み、従来は輸入に頼っていた生糸、絹織物、 砂糖などが国産化された。各地の特産物は「天下の台所」と呼ばれた大阪に集中し、全国へ拡散した。街道など交通輸送インフラが整備されて経済を着実に発展した。

p198

◆「戦略物資」になってしまった天然ガス
日本は天然ガスのほぼ全量輸入に依存している。2019年度の天然ガス輸入量が7650万であるのに対し、国内生産量は173万 トンで自給率は2%強だ。気体である天然ガスは、液体である原油に比べて使い勝手が悪いことから、熱量単位で比較した価格が原油よりも大幅に割安だったことも好都合だった。だが、天然ガスは現在、原油をはるかに上回る価格で取引されている。
これまで安定的なエネルギーとされてきた天然ガスだったが、ウクライナ危機のせいで「戦略物資」になりつつある。ウクライナは巡るロシアと欧米諸国の対立が激化する中で天然ガスの問題が大きくクローズアップされており、地政学リスクが色濃く反映される事態となっているからだ。

p204-205

(2024年7月4日)



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