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【読書ノート】63『情報分析官が見た陸軍中野学校』

陸軍中野学校については多くの書籍が出版されており何冊か読んだことがあるが、著者も主張するように誇張されたものが多い。この本は客観的に分析されたバランスが取れた内容になっており、中野学校に実情に迫ったものと言える。


目次
第1章 秘密戦と陸軍中野学校
第2章 第一次大戦以降の秘密戦
第3章 陸軍の秘密戦活動
第4章 中野学校と学生
第5章 中野学校の教育
第6章 なぜ精神教育を重視したか
第7章 中野出身者の秘密戦活動
第8章 中野学校を等身大に評価する


以下、気になった個所の抜粋

・・・獲得した生情報を総合的に処理し、インテリジェンスを作成して統帥部に提案することは情報部の役割である。 インテリジェンスの正当性を高めるため、情報部には軍人のみならず、政治、経済など総合的な知識、分析及び判断力を求められる。 戦略情報、政策情報という上位の情報になればなるほど経験に裏打ちされた情報部の知識や技能がものを言う。
他方で作戦部が収集した情報を批判的に処理できるだけの軍事知識が情報部には必要不可欠であり、この点が問題なのである。
じつは、軍事知識などの欠如は、今日の各国情報組織や軍事組織内の情報部署が抱えている共通の問題なのである。 

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第一に中野学校創設時に目指した「変わらざる武官」の運用は太平洋戦争の開始によってほとんど奏功しなかった。海外勤務を命じられた一期生、乙Ⅰ(二期生)および乙Ⅱ(三期生)は帰国を余儀なくされ、本来の「変わらざる武官」としての活動はほとんどできなかった。
第二に、太平洋戦争の開始にともない、中野出身者の活動は秘密戦から、海外の遊撃戦、そして国内での遊撃戦に変化した。中野出身者は各軍、師団、機関など第1戦に配備され、これら組織が実行する武力戦に併用する遊撃戦に従事した。
第三に、一期生、二期生は終戦までに順当に少佐に昇任したが、彼らが主体となった大がかり秘密戦を取り仕切ることはなかった。中国大陸では、すでに「支那通」による政治謀略が多層的に行われており、年若い経験の乏しい中野出身者が出る幕はほとんどなかった。
南方戦線で多くの中野出身者は班長、組長レベルで、少数民族工作に参加したが、それらの工作は必ずしもの効果を上げられなかった。

世界対戦が始まった時、英国にはMI5、 MI6、陸運情報部、海軍情報部の4つの情報組織があり、いずれも首相直轄であった(1936年、情報を集約して、国家として一元的な情報判断を下す政府横断型の委員会であるJIC(合同情報委員会)が創設して、チャーチル首相が直接統括した。
ソ連は暗号の保全を強化し、鉄壁の防諜体制を築き、共産主義イデオロギーに基づく思想戦、宣伝戦を進めた。それに学ぶ中国共産党も巧みな秘密戦を展開した。
同盟を結ぼうとしていたドイツは蒋介石国民党の軍事指導を行ったために、日本は支那事変の泥沼化に引きずり込まれた。
そして英米による国際宣伝によって日本の孤立化が仕組まれた。
本書では紙幅の関係上、諸外国の秘密戦の詳細については割愛したが、日本が諸外国の巧みな秘密戦に操られ、日中戦争の泥沼にはまり、望まない太平洋戦争に引きずられたことは明白である。
当時の日本は、諸外国が仕掛ける秘密戦の中で、真実の敵が誰か、どのような意図を持ってるのかという情勢判断ができなかった。
他方、戦前の陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)や総力戦研究所では、当時の軍・官・民の将来を担う優秀な要員が集まり、来るべき米英戦争の数を的確に予測(見積もり)した。

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つまり、外務省、内務省、陸軍、海軍の上に立って、国家の情報要求を各組織に割り振り、それぞれが収集した情報を一元的に集約・処理・評価し、国家の統一した政策立案や秘密戦を指導する国家指導体制と情報統一組織が不在であった。すなわち、インテリジェンスを国家が活用する体制になかった。
こうした問題の本質を抜きにして、中野学校が「優れていたとか」「それほどではなかった」と論じても意味がないのである。
各組織が不要な対立を解消し、インテリジェンス重視の思想を共有し、国家として一元的な情勢判断を行い、政戦略を一致させることが出来れば日本は違った道を歩んだであろう。
これこそが今に通じるインテリジェンスの教訓である。

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(2024年3月8日)






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