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幸せに関する知見を全部詰め込みました。哲学から各心理学、脳内物質まで

前回と前々回に投稿したnoteでは、幸せな〈活動と感覚〉こそが幸福の正体だという内容をお届けしました。もし読んでなかったら、ぜひ読んでみてください!

そこで今回の内容なんですが、幸せが〈活動と感覚〉のことだと分かると、一体何が解決するのか・何の得があるのか?ということを考えたいと思います。

〈活動と感覚〉がどうこうとか言われても、みなさんからしたら何がなんだか分からないと思いますので、何の意味があるのか紐解いていきます。

まず、結論から言いますと、「幸せ=身体活動とそれに伴う感覚」ということが分かれば、

現在幸せではないと感じている人なら、普段の生活の中で〈活動〉を変えていけばいいんだと分かるし、

現在幸せだと感じている人なら、普段の生活の中でより幸せになれる〈活動〉を行なっていけば良いんだと気づくことができます。

例えば、樺沢紫苑先生の書かれた『精神科医が見つけた3つの幸福』というとても勉強になる著書があるんですけれども、その中では「幸せとは幸せホルモンと呼ばれる脳内物質が働いている状態」というふうに定義されていて、朝散歩をしたりすることでセロトニンを、人とコミュニケーションを取ったりすることでオキシトシンを、小さなタスクの遂行と達成感を積み重ねることでドーパミンを、というようにそれぞれの働きを促すアプローチを取っています。

この幸せホルモンに伴う人のポジティブな感情に着目した定義と方法は、シンプルイズベストという感じでとても役に立ちますし、本当に気付かされることが多いです。

しかしながら、個人的にはこれだけだと面白くないというか、日常の中での小さな幸せ、例えば道端できれいな夕焼けを見たとか、あるいは考え事をしていて、悩みにスッキリする答えを出せて気分が晴れたとか、そのような単純な感情だけの作用ではないような些細な感覚について説明しきれないところがあると思っています。なので、朝散歩や人との会話や達成感などは幸せな〈感覚〉を生み出しやすい〈活動〉として理解の助けにしていくにとどめて、もっと納得できそうな解釈をしていきたいです。

また、例えば他にもアドラー心理学における「幸せとは貢献感である」や、ポジティブ心理学のPERMAの各要素「ポジティブ感情・没頭・人間関係・意味・達成」、ギャラップ社調査の「仕事において幸福であること・人間関係において幸福であること・経済的に幸福であること・身体的に幸福であること・地域社会での幸福を感じていること」など、多くの知見を汲み取ってみると、大体幸せの概念を全て内包できるような大網が組めるような気もするんですが、やはりこれらだけではなんだかスッキリとしない感じがするんです。

そこで、初めに幸せを感じるのは人間ですので、その人間の仕組みについて考えを巡らせなければならないと考えました。

第一に、心理学で用いられるABCモデルというものを考えてみましょう。このABCモデルでは、出来事が自分の信念を通して、結果・感情として返されるという仕組みを、それが人の心の中のプロセスだというふうに表しています。

選択理論心理学では、まず人が行為・思考を選択し、それに付随して生じるのが感情や自動的反応(反射や習慣など)ということが言われています。

選択理論心理学にしたがうならば、人間が行動を選んで、それに付随して感情が生まれる。ABCモデルにしたがうならば、外部環境や周りの出来事、自分を含む現在の状況を知覚した結果として感情などが生まれる。

その両方を合体させてみるとどうでしょうか?外部環境や現状への知覚(+感情など)・行為・思考(+感情など)などといった活動が総合的に解釈されてくると思います。

このような色々な身体活動を総称して〈活動〉と呼んでいきますが、その〈活動〉の裏には〈感覚〉があります。

仮に、幸せというのはポジティブな感情のことだとするならば、〈感覚〉という言葉を使う必要はありませんが、嬉しいという感情や楽しいという感情、穏やかだという感情などのことだけを「幸せ」と呼ぶとすると、少し狭義すぎる感じがしませんか?

例えば、本を読むことにとても集中しているとき、それはいくつかの幸せホルモンの働き(感情)だけで説明できるようなものではなくて、身体活動をゲシュタルト療法的に〈統合的〉に見つめていく必要があります。そのとき、運動神経から目を動かして、外部環境への知覚としては〈視覚〉を優位にし、夢中になって手ではほぼ無意識的に本のページをめくり、感情は色々な神経伝達物質や体の諸器官の連動によって生じ、どんどん読み進めていきたいという意思も感じることができます。このような身体活動を〈統合的〉に見つめ、その中に説明をするのは難しい〈感覚〉を見つけたとき、その現象学的なアプローチから人間の幸せな〈感覚〉に迫ることができるのです。

例えば夜空を眺めているときに、その身体活動としては、フェンスにもたれかかりながら、上を見上げて、隣にいる人と笑い合いながら、なんとも言えない「綺麗だな~という感じ」という感覚を得ていることでしょう。

例えば、好きな人と一緒にいるときに、ドキドキして心臓の拍動が体中に響いてる感覚がありますよね。オキシトシンなどの幸せホルモンと一緒に、身体活動が体の随所で活発になって、全ての感覚を統合して「この人と居て幸せな感じ」が生まれるわけです。

例えばランニングしているときに、その身体活動としては、体力の限界が近づいていて「きっついな…という感じ」を持ちながら、その上で「あともう少しでゴールだから頑張ろうという感じ」の感覚から、「やっとここまで走ってこれたという清々しい感じ」という感覚へと変わっていくかもしれません。

例えば今日まで一週間の間、仕事の中で大きなプロジェクトを任されていて、ずっと緊張感に包まれていたし色々トラブルが合ってその都度対策に頭を悩まされていたけれど、そのような活動の中で自分の能力を試すことができ、苦しみながらも充実した感覚を得ることができたかもしれない。

例えば散歩をしていると小鳥が道の端にある木に止まって、そのシルエットが昔飼っていたペットのそれと似ていて、そのような過去の感覚の記憶と照合されて、なんとも言えない懐かしく温かい感覚を得たり。

このようにして、複雑な身体活動と感覚を〈統合的〉に見つめ、説明の困難な感覚を〈現象学的〉に捉えることでより〈広い〉それぞれの人にとっての人生の意味を肯定することができるんです。

また、このような幸せな〈感覚〉を主体的に得ていきたいときはどうすればよいのでしょうか?そのときは、身体活動のベースとなっているのは〈身体のコンディション〉であるということや、人間の社会的な性質、人は自分自身の活動を選択していくことができるという実存主義的な、フランクル心理学的な視点を理解していく必要があります。そのために当然、学びを得ていくことも必要となります。

自身の身体活動を主体的に選択していき、自分の人生の意味は自分で作っていくというのが実存主義やフランクル心理学の態度です。ゲシュタルト心理学や現象学、その他様々な知見で色々な角度から人間の活動や感覚を見つめ、より充実した〈活動と感覚〉を得ていくためにはどうすればよいのかということを考えていくのが私たちの課題です。

今このときについて語ることも、今日一日について語ることも、今週のことについて、今月のことについて、今年のことについて、ここ5年間のことについて、ここ10年間のことについて、生きてきた半分の期間について考察することも可能なので、〈活動と感覚〉で色々なものを捉えていくことで面白みを感じていってほしいと思います。

これから書いていく記事の中では、上で挙げた哲学の領域や、心理学の領域について少しずつ触れていきます。ここまで読んで頂き、ありがとうございました!スキやフォロー、YouTubeの方などもよろしくお願いします!!

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