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いい本を読みました。覚書き。

2021/04/02


おはようございます!

もぐもぐハリネズミです🦔

最近生活リズムが崩れがち・・・なので、ビシッと早起き!


最近、読んだ本がとてもよかったので。

読書感想文が最近多いですが・・・

少しでも多くの人に海のこともですが、本の世界が広がればなぁと。



刊行元のNewsPicksパブリッシングさまが一部を紹介しています。

ご興味ありましたらぜひ。。。

以下、エッセンスや要約ではなく、私の覚書です。

主題とズレてる部分多いですが、悪しからず・・・


1.贈与とは?


『世界は贈与でできている。』


タイトルの言葉の力に惹かれて本を手に取りました。

私は誰から贈与を受け取っているのか?

誰かに何かを与えることができているのか?

そんな気持ちが湧いてきたのです。


そもそも、贈与とは、不合理なものである、と。

与えて側には『交換』という概念ではなく『与える』という想いがある。

そこには、打算的な部分がなく、信頼関係が生まれる。


したがって、贈与とは、『これが贈与だよ』といって渡すものではない。


届くかどうかわからないけど、

届いてくれるといいなという差出人の祈り。のもとで送られた贈与。

時を経て、過去に受け取った贈与に、

受取人が『あれは贈与だったのか』と気づく。


その時、初めて贈与は発生する。


2.求心的思考と逸脱的思考


では、どうすれば私たちは、受け取った贈与に気づけるのか?

アノマリー(=常識で考えてうまく説明できないもの)に気づくことが、

贈与に気づくことである。


求心的思考=常識を信じたときに生じる不合理性を説明しようとする考え。逸脱的思考=常識を疑えという考え方。当たり前に忘れてしまっている何かを思い出させる。


贈与を考える時には、この二つのうち、求心的思考が大切です。

自分の周りを見渡して、常識で考えたときに、何の見返りもない何かを与えてもらっていないか?なぜこんな不合理なことをしてくれるのか?

そこにある(あった)、贈与に気づけるのかもしれません。


3.贈与はどこから始まるのか?


贈与は、与えてから始まるのか?受けてから始まるのか?

本書では、贈与は受取手ありきであると。

受取手がいるからこそ、贈与は、差出人への存在の認証になる。


こうして、贈与は過去からずっと、誰かから誰かへと送られ続けている。

そして、贈与に気づいた受取手はまた誰かに贈与を差出し続ける。


世界は、贈与でできている。


ということで、覚書でした。乱雑ですみません。


ご興味がある方はもっとわかりやすい解説みたり、

なにより実際本を手にとってみるといいかと。

とても読みやすい文章でした!


まずは身近な人に、自分が何かを与えられているか?

今まで何を受け取ってきているのか?

数分でもいいからと、時間をとって振り返ってみました。


そして、水中世界を広めることも、何かの誰かのお役に立てればいいなと、

改めて思いました。

もしよろしければ、海の中を広めたいなと思ってたまに書いています。↓


では!


【今日の幸せ】

昨日とは、今までとは、違う行動。挨拶LINEを自分からしてみた。

やろうと決めたことを、行動に移す。

小さな行動が大きな変化を生み出す。

海のこと、自然のことを、もっと世界に発信したいです。 せっかくならサポート&使い道リクエストもセットであなたの分、頑張ります。