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角田光代「対岸の彼女」: 切なさの後ろから光の指す物語

感情を誰かに伝えたいと思ったら、私たちは言葉を使って伝えようとするしかないのだけれど、言葉がそもそも感情そのものでは絶対にあり得ないため、プラスチックで木箱を作ろうとするみたいに、持ち合わせの材料と、表現したい物事との間に本質的な隔たりがあって、ただ偽物の木箱が増えていくだけみたいな状況になってしまう。

哀しみや、悲しみ、喜びや、愛しさ、胸がつぶれそうになる辛い感情、どれをとってもその正確な感情というのは、言葉ではどうしてもそっくりそのまま感じたままに伝えるということができない。自分の感情を経験できるのは自分ただ一人なのだという当たり前の真実を前に、それでも私たちは感情を共有したいと願い、あの手この手で届けようと試みる。

そんな途方もない作業を続ける私たち人類が、ずっと大昔から、言葉で感情を伝える方法としてただ一つ、ほとんど生の感情に近い形で誰かに届けることができる方法として使ってきたもの、それが物語だ。

本の中には、プロットやストーリーそのものにメッセージ性やエンターテイメント性のあるものもあって、展開そのものをわくわくと楽しんだり、衝撃的なメッセージから学んだりすることもあるが、

むしろ物語上で起こる出来事自体は何ということもなく、誰かが死ぬわけでも、何かが爆発するわけでも、世界が終わるわけでもなく、誰かが普通のことをしているだけなのに、

少しずつ少しずつ、登場人物の経験と思いを丁寧に丁寧に文章で紡いでいき、そしてその時が来たら、読み手の心に抗えない程の強さと凄まじさで、その特別な感情を、ばっさーと目の前から幕を取り除くように、見せつけ、経験させ、感じさせる物語というのもある。

角田光代さんの「対岸の彼女」は、まさにそういう物語だ。

届けたい特別な感情を、その特別な感情そのものについては直接なにも書かずに、影を描くことで物を描くみたいな手法で、文章に大切にくるんで、はい、と渡してくれる。角田光代さんは、そういう物語を書くのが本当に上手。

なので、その感情が一体どんなものなのか、それを感じるためにはこの本を読んでくださいというしかないのだけれど、

強いて言うと、胸を締め付ける切なさ、愛おしさ、暖かさ、痛み、何層にも重なる感情が心の内側から噴き出す地下水のように湧き上がり、揺さぶりをかけ、人間の奥深くに存在する弱さや恐れが誰かを傷つけてしまうやるせなさに胸が折れそうになるけれど、その同じ場所から放たれてくる光の確かさも強く感じさせてくれる。そういう本です。

第10章からは涙がぼろぼろこぼれて胸がえぐられてえぐられて、地球の反対側まで通じる穴が開いてしまいそうになる。

そして読んだ後、また人を、世界を、信じてみよう。そんな気持ちになっている。

角田光代さんの本、実は初期の作品を読んだ大学時代は、あまり好きではなかった。当時の作品は、自分と同世代を主人公にした恋愛小説が多くて、恋愛体質じゃない私にとっては、ピンとこなかったというのが大きな理由。

そして、物語の雰囲気が昭和感強過ぎるというか、登場人物の話し方も、「~よ」「~だわ」「~だわよ」とか、昭和のドラマの中でしか聞いたことない話口調で、マジでこんな口調で話す人が存在するのか?と謎だったし、自分自身も生きた時代なのに、どうしても感じてしまう距離の不可思議さのせいで、いまいち入り込めなかったような記憶がある。

ところが、「対岸の彼女」も、数年前に読んだ「八日目の蝉」も、「~よ」「~だわ」などは健在なんだけど、頭に浮かぶ登場人物の姿が、古臭くなくなっていた。そして、どちらも恋愛物語ではなかった。そして読んでみると、この物語に出会えて良かった!と大声で叫びたくなるほど嬉しくなる物語だった。

ところで、「対岸の彼女」の裏表紙にある短い説明書きには、

「専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが……。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。」

「対岸の彼女」裏表紙解説

 とある。ところがこれ、読んだ後に再び見直すと、え?これを説明書きにしちゃう?って驚くくらい、女の多様な生き方問題は、主題でも、主要な感情でもなくて、ほんの小さな一部でしかない。それはまるで映画タイタニックの説明に、貧富の差によって切り裂かれる人間の苦悩、とだけ書くようなもので、そこだけにスポット当てちゃう?みたいな。船沈んでまっせ!みたいな感じ。

ジェンダー問わず、大人になってどの方向へ進みたいのか、何を選びたいのか、足をまっすぐに踏み出せなくなっているすべての人に、後ろからそっと背中を押して、大丈夫、大丈夫、また一歩踏み出してみよう、と進むその先に光を当ててくれる、そういう本です。

*追伸(こういうのって追伸っていうのかな?):今年度になって学科長になったりしてアホみたいな忙しさですが、あえて通勤列車の中で仕事ばかりせずに読書をすると決めてニューヨークの紀伊国屋書店から7冊ほど本を適当に購入。実際何冊か読み終わった中の一つが「対岸の彼女」です。この、あえて仕事をせずに読書をするというのが大吉と出ていて、帰りの電車の中での盛大で無益な一人反省会(Rumination)もしなくなったし、仕事からの気持ちの切り替えがしやすくなりました。物語の力は凄まじい。


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