「まっすぐ」?それとも「綺麗事」? コロナ禍が人生の大きな転機になった人は、数知れないだろう。諦めたり、自分を納得させたり、自分の感情に蓋をして、なにも感じないように過ごしたりするほうが、楽だ。初めから何ももたなければ、失うものもないのだから。ある時期から、こんなふうに考えるようになった人も、多い気がする。 そんな暗い世界で、まっすぐに想いを届けようとしているSUPER BEAVERが、単純にすごいと思った。 彼らの楽曲は、とにかくまっすぐだ。楽曲の多くを手がけているの
リッチないちごグルメ こちら、とあるホテルのアフタヌーンティー。 時間内なら紅茶も飲み放題! 1つひとつが丁寧に作られていると実感。 ある地方のいちごグルメ いちご、ソフトクリーム、 チョコスプレー、生クリーム、 お花の砂糖菓子のみのパフェ。 いちごも、ソフトクリームの牛乳も、この地域で採れたもの。 豊か!お値段はアフタヌーンティーの5分の1! 地方も負けてない。
どうしてなのかは分からないけれど、どうしても陽の光を浴びたくなるときがある。 木とか花とか 水とか空とか そういうものに近づきたくて、触れたくて しょうがないときがある。 ここ最近の、そんな衝動的な日の記録。 元気いっぱいに光を浴びる子たち。 夏の空たち。
みなさんは、仕事をお休みすることはありますか? お休みは取りやすいですか? 休むことに、勇気がいりますか? なんでこんなことを言うかというと、先日、当日欠勤をてしまったからです。 休むことはハードルが高い 働き方改革の流れを受け、就職したての頃と比べると(さすがに慣れたということもありますが)ずいぶん早く帰宅できるようになりました。それでも疲れは溜まるもの。自分なりに努力はしたのですが、ある朝、着替えまでは済ませたものの、どうしても玄関まで行くことができずに、欠勤の連絡を
さなぎの中はどろどろ 教室に行かず、授業も受けず、苦しいことから逃げている。 保健室で過ごす特定の生徒に向けて、しばしば発せられる言葉だ。この言葉のある側面は、事実である。事実ではあるが、でも、この時間は、彼女たちにとって、必要な時間だったのだ。 蝶の幼虫は、さなぎになると、殻の中で自分の体を溶かして、どろどろになるのだという。 彼女にとっての保健室での日々は、まさにさなぎだったのだ。いつか蝶になるために、抑えきれないどろどろの自分をさらけ出した。真正面から向き合ってく
彼女との再会 彼女と会ったのは、7年振りだった。 時間が少女に与える変化は、はかりしれない。 記憶のなかの彼女は、色素がうすく、ひかえめな佇まいで、儚く笑っていた。だが、今わたしの目の前にいるのは、上向きのまつ毛と、光の宿る瞳が自信を感じさせる、美しい女性だった。 保健室だった 彼女と顔を合わせていたのは、保健室だった。 授業の始まりを告げる鐘が鳴っても、給食の時間になっても、彼女は教室へ行くことはなかった。体調がすぐれないのではなく、こころの調子がすぐれなかった。在
わたしにとって6月は、とってもしんどい月。毎年のことで分かっているはずだけど、やっぱりしんどい。そんな最近の日々に思うことを、つらつらと書き連ねてみました。 1 とにかく体が重いのです… なんでこんなに…ってくらい、体が重いです。特に肩。首。背中。同じ悩みをお持ちの方も多いはず…。寝ても治らないものなのですね…みなさんどう対処されているのでしょう?? さらに仕事でパソコンとにらめっこしたり、趣味で本を読んだりスマホを眺めたりと、小さな文字とブルーライトにさらされ続けた
SUPER BEAVERが好きだ SUPER BEAVERが好きだ。彼らを初めて知ったのは、5年前。当時バレーボールに関わっていたときに、ちょうど大流行していた『ハイキュー!!』の主題歌を歌っていた。そのときはいまいちぴんと来ず、そこから彼らの音楽を意識することはなかった。 再会を果たしたのは、コロナ禍の夏だった。バレーボールは、できなくなった。傾倒していたものが奪われて、どうすることもできない現状に、悔し泣きに泣いた。これまで体育館にいた時間、何をしたらいいのか、まるで
この歳にして… 世間一般的には、あまりにもあたりまえすぎて、わざわざ特筆すべきことでもないけれど、この歳になって初めて分かった…!ってこと、ありませんか? 例えば洗濯物は日光にあてたら匂わない、とか、汗をかいたらすぐ拭かないと体が冷える、とか、部屋が散らかっていたり、掃除をさぼったりすると、なんとなく体調が悪くなる、とか。お金は使い方を考えないと、とんでもないスピードで消えていく、とか。 いま挙げたことは全部、今年に入って初めてわたしが実感したこと。普段どんな生活
1日3食の食事のうち、わたしが1番好きなのは、朝ごはんだ。朝ごはんはどんな時も、わたしを幸せな気分にさせてくれる。 昔から「食べること」に対して手を抜かなかった私たち家族は、正しいステップを経て正しく導き出された、どっしりまんまる体型であった。わたしは空腹と腹八分目を知らぬ子どもで、食事というのは、時間がきたら、毎度お腹が苦しくなるまで食べないといけないもの、と思い込んでいた。当然そんなわたしが朝ごはんを抜くことなどなく(というか、子ども心に、食事を抜くことは許されざる