「綺麗事」をまっすぐ語れる大人でいたい(1)
SUPER BEAVERが好きだ
SUPER BEAVERが好きだ。彼らを初めて知ったのは、5年前。当時バレーボールに関わっていたときに、ちょうど大流行していた『ハイキュー!!』の主題歌を歌っていた。そのときはいまいちぴんと来ず、そこから彼らの音楽を意識することはなかった。
再会を果たしたのは、コロナ禍の夏だった。バレーボールは、できなくなった。傾倒していたものが奪われて、どうすることもできない現状に、悔し泣きに泣いた。これまで体育館にいた時間、何をしたらいいのか、まるで分からなかった。外に出るのも憚られ、これといった趣味もなかったわたしは、YouTubeをぼんやり眺め続けていた。
釘付けだった
ぼんやりとしていた画面の中で、わたしは、一際目立つ姿を認識した。それがSUPER BEAVERのボーカル、渋谷龍太さんだった。
「なんて奇抜な」が第一印象。派手なシャツとメイク。ロングヘアで、鼻筋の美しい、まるで『ベルサイユのばら』のオスカルのような青年。
そのルックスに目を奪われていたのもつかの間、間髪いれずに鳥肌がたった。
のびやかで、はりがある
力強く、それでもどこかハスキーで
あたたかみのある
まっすぐな歌声。
初めてSUPER BEAVERをきちんと認識した。初めてSUPER BEAVERを最後まで聴いた。いや、聴いたというより、聴かされたという表現が正しいかもしれない。釘付けだったのだ。一瞬たりとも目が離せなかった。
ドラマチックな渋谷さんの歌声を、ロックに仕立てる、バンドメンバーの華やかな演奏。そして歌声に一分のスキもなく、ぴたりとマッチしていたのが、歌詞だった。
びっくりした。
この何年か、ずっと苦しい思いをしてきた。バレーを通して、多くの時を一緒に過ごした大切な人たちが、みんな静かに涙を流して、黙って拳を握りしめていた。どうにかしてあげたい、なんとかならないものか、考えれば考えるほど自分は無力で、時だけが過ぎていった。
悔しくて、虚しくて、大切な人がうつむく横顔を、ただじっと見つめるしかできなかった。わたしよりも、ずっとずっと大きな喪失感に苛まれているその人は、多くを語らなかった。
いま、どんな気持ちでいるんだろう。くるしいよねって言いたいような、励ましたいような、とにかく、何かを伝えたいのだけど。でも、伝えようとすると、言葉が消えていった。
そんなわたしにとって、この曲のどストレートな歌詞は、大きな衝撃だった。
結局のところ、何があっても、どんなに苦しくても、共に戦ったあの日々は、体育館で過ごしたあの日々は本物で、そんな日々と、あなたたちのことが、心から大好きなんだと、シンプルに伝えられればよかったんだ。
疾走感が気持ちよいロックサウンドにのせて、あまりにもシンプルで、あまりにもまっすぐな歌声が、わたしの心に突き刺さったのだった。