どろどろのさなぎ(2)
さなぎの中はどろどろ
教室に行かず、授業も受けず、苦しいことから逃げている。
保健室で過ごす特定の生徒に向けて、しばしば発せられる言葉だ。この言葉のある側面は、事実である。事実ではあるが、でも、この時間は、彼女たちにとって、必要な時間だったのだ。
蝶の幼虫は、さなぎになると、殻の中で自分の体を溶かして、どろどろになるのだという。
彼女にとっての保健室での日々は、まさにさなぎだったのだ。いつか蝶になるために、抑えきれないどろどろの自分をさらけ出した。真正面から向き合ってくれる人に心動かされ、自分にとって大切な「何か」を勝手に選び、学びとり、羽化するための栄養にしていったのだ。
あるべき姿の1つ、なのかも。
集団で生活するうえで大切なこと。考えるカをつけること。それは人間が生きていくために欠かせないし、子どもに身につけさせることは、とても重要だ。個人的には、ある程度の厳しさや苦しさ、理不尽に耐える力までも、生きていくには必要で、信頼関係を築いたうえで教えるべきだと思っている。
だが、どろどろに溶けて、傷つけ傷つきながら、「自分っていったい何なの?」と模索する子どもに、時間をかけて向き合い、そばにいてあげることも、教育が担うべきことなのかもしれない。
そして、さなぎが自身のタイミングで蝶になる様子を見届けるのも、教育のあるべき姿の1つなのかもしれない。
「翅のもと」は、もとから持っている
そんなことを考えながら、チョコレートパフェをほおばった。彼女はチョコミントのアイスクリームをスプーンですくいながら、7年前の保健室で見たあの微笑みを浮かべて、わたしにこう言った。
「あのときのことを思い出すにび、今はどうしてるのかな、大丈夫かなって、心配してたの。変わってないね。よかった。」
さらには
「もし夢が叶ったら、学園ドラマで保健室の先生の役をやってみたいな。」
さなぎは、保健室にいたときから、やはり非常に小さな「翅のもと」を持っていたようだ。そして蝶となり、花と花とを飛び歩きながら、もと居たところに帰ってきた。きっとまた花を探し、飛び立つのだろう。
数年前に保健室から飛び立った、かつての主が、わたしの隣でチョコレートケーキをくずしながら、おおらかに笑った。
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