いちばん贅沢な食事は、朝ごはんだ。
1日3食の食事のうち、わたしが1番好きなのは、朝ごはんだ。朝ごはんはどんな時も、わたしを幸せな気分にさせてくれる。
昔から「食べること」に対して手を抜かなかった私たち家族は、正しいステップを経て正しく導き出された、どっしりまんまる体型であった。わたしは空腹と腹八分目を知らぬ子どもで、食事というのは、時間がきたら、毎度お腹が苦しくなるまで食べないといけないもの、と思い込んでいた。当然そんなわたしが朝ごはんを抜くことなどなく(というか、子ども心に、食事を抜くことは許されざる行為であると信じていた)毎朝、父、わたし、妹、祖母のお腹がぱんぱんに張るほどの朝食を用意していた母の苦労は、相当なものだっただろう。
社会人という肩書を手にしてしばらくしてからも、平日ぎりぎりまで寝ているわたしに、朝ごはんを作って食べる時間はない。そんなときの強い味方は、おにぎりだ。ゆうべ炊いたごはんを握ったおにぎり。瞬間的に意識の高かった、かつてのわたしが作っていた冷凍おにぎり。過去も現在もがんばれなかったときはコンビニのおにぎりやサンドイッチ、冬はほかほかの肉まんになることもある。多少前後はしても、毎朝7時前に家を出る。しばらく車を走らせながら、憂鬱になるわたし。だがカーステレオから流れるラジオと、車内でほおばる朝ごはんが、その憂鬱を振り払ってくれるのだ。
喫茶店のモーニングや、旅先での朝ごはんも、たっぷりと心を満たしてくれる。朝から自分では用意できない(できたとしても絶対やらない)色とりどりのおかずがのったお皿は、まさに眼福。やわらかな黄色が美しい、とろりと甘いスクランブルエッグ。カリッと香ばしいトースト。湯気が目にしみる香り高いコーヒー紅茶。しっとりジューシーな焼き魚や、粒のたったつややかなごはん。起き抜けに沁みわたるだしの効いた味噌汁。絵に描いたように美しく、口の中に広がる幸せをかみしめる朝ごはん。おいしさの理由は、見ず知らずのわたしのために、朝早くから、誰かが手間をかけてごはんを用意してくれること。見えない誰かが作ってくれた朝ごはんに、優雅な気持ちと元気をもらっている。
けれども、結局のところ理想の朝ごはんは、休日のなんてことない朝ごはんだ。トーストにジャムを塗っただけでも、ゆうべのおかずを温めなおしただけでもいい。だが1番の贅沢は、目玉焼きと納豆ごはん。両面を焼いた固い目玉焼きと、よくかき混ぜた納豆をかけたほかほかのごはん。これだけでも最高なのだが、ここにシャウエッセンがあれば、天にも昇る心地。これ以上の幸せな朝ごはんを、わたしは知らない。
黄身にしっかりと火が通った(ちょっとだけ焦げた)目玉焼きに醤油をたらしながら、「今日は何しよう?」と考える。テレビの旅番組が気分の高揚を誘い、あれもしたい、あそこにも行ってみたいと、わくわくする。休日の朝ごはんは、ゆったりとした時間の流れの中で、今日1日の未来に思いを馳せることができるから、特別なのかもしれない。ただ、大体の休日は、平日の自分の代償を払うことが必須だ。きれいに納豆ごはんを食べ終えたら、ちょうどよく洗濯機がわたしを呼んでいる。
どんな朝にも、朝ごはんが、元気を、彩りを、ストーリーを与えてくれる。新しい1日を、きょうのわたしを作り始める、いちばん最初の食事。朝ごはんは、いちばん贅沢な食事だと思うのだ。
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