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我々はただの心理学者にさえ服従してしまうのだから、権威あるおっさんに逆らうのは尚更難しい

スタンレー・ミルグラム著、山形浩生訳(2008) 『服従の心理』河出書房

読んでます。

心理学実験の中で1、2を争うほど有名な、所謂『アイヒマン実験』を行った心理学者。それが本作の著者、スタンレー・ミルグラム。
「服従」をテーマにしたその実験は、誰もが予想していなかった結果を生み出し、心理学の世界だけではなく世間一般にも衝撃を与えた。

おそらくこの次に有名なのはスタンフォード監獄実験で、要は「普通の人が、条件さえ揃えばいとも簡単に残酷なことをする」と突き付ける実験のインパクトはすごい。ちなみに3番目はエビングハウスの忘却曲線で、これはビジネス書を執筆するような意識高い系が好んで持ち出すからである。余談ですが意識高い系が持ち出す忘却曲線の解釈はだいたい間違っている。あの忘却曲線は「3文字の無意味単語」を覚えたときのものなので、例えば有意味なストーリーを覚えた場合あんなにみるみる忘れない。

まず、所謂『アイヒマン実験』とはどのようなものか。
二人の人物が、「罰が学習に与える影響の実験」に参加する。一人は先生役、もう一人は学習者役をそれぞれ割り当てられる。学習者は実験室の椅子に座らされ、暴れないよう固定され、手首に電極を取り付けられる。そして、対になった単語を覚えるよう指示される。
先生役の仕事は、学習者に罰を与えること。先生は別室にある電撃発生機の前に座らされ、学習者が間違えたら電撃を流すよう指示される。スイッチは30個並んでおり、15ボルトから450ボルトまで段々強くなっていく。15ボルトから始めて、学習者が間違えるたびに、与える電撃を強めていくよう言われる。

この実験の主眼は、実は先生役にある。学習者はただの仕掛人だ。ごくふつうの人々である実験参加者が、苦痛を訴える被害者にどんどん強い電撃を与えるよう指示されたとき、彼らはどこまで命令に従ってしまうのだろうか? どの時点で反抗するだろうか?
既にこの実験をご存知の方も多いだろうが、知らない方は予想してみてほしい。実験参加者は労働者、管理職、専門職からそれぞれ選ばれた一般人で、特に攻撃的なわけでもない普通の人たち。そして実験者は心理学者。彼らの職や生活に関して、何の影響力も持たない学者だ。当然、実験参加者が逆らったからと言って、罰を与えたりすることもない。ただ実験者は、葛藤する実験参加者に対して、「続けてください」「実験を続けなければいけません」「続けてもらわないと実験が成り立ちません」と淡々と命じるだけだ。

でも驚くべきことに、実験参加者の3分の2までの人が、最高レベルまで電撃を与え続ける。学習者がどんなに切実に苦痛を訴えても、激しく抗議しても、途中で失神して反応がなくなってからでさえ、実験者の命令に従い続ける。多くの人が途中で嫌がったり、実験者に反論したりはするが、実験者がまるでそれが義務かのように「あなたはこの実験を続けなければいけません」と答えると、そこで諦めて従ってしまう。

このような、権威の命令とあればほとんど何でもするという成人たちの強い意欲こそが、この研究の最大の発見であるとともに、きわめて緊急に説明を要する事実でもある。
(第一章 服従のジレンマ p20)

我々は権威の命令に逆らうことがほとんど不可能である。
それは、被害者がはっきりと私たちに向かって苦痛を訴え、私たちの行動がどんなに残酷で相手を傷つける行為かをありありと見せつけられる状況でも。命令者が所詮はただの人間で、私たちに何の罰も不利益も与える力を持たない人であっても。私たちがどんなに普段は善良な一般市民で、やっていることが倫理的に誤りだとわかっていても。私たちのほとんどは、権威の命令を明確に拒絶することができない。
ただ心理学者があたかも実験を、人間を超越したシステムであるかのように振る舞い、「これは学問的真理を追究するためのものだ」と崇高な目的があるかのように振る舞えば、私たちはそこに逆らいがたい権威を勝手に感じて、従ってしまう。冷静に考えれば、人権を無視していい心理学実験なんてものがあるはずないのに。
いやもしかしたら、倫理審査がゆるい時代はそういうのあったのかもしれないけど……。

特に興味深いと思ったのが以下の部分。

権威の下で行動している人は、良心の基準に違反した行動を実行するが、その人が道徳感覚を喪失すると言っては誤りになる。むしろ、道徳感覚の焦点がまるっきりちがってくると言うべきだ。自分の行動について道徳的感情で反応しなくなる。むしろ道徳的な配慮は、権威が自分に対して抱いている期待にどれだけ上手に応えるか、という配慮のほうに移行してしまう。戦争中の兵士は、村落を爆撃することの善悪は考えない。村を破壊しても、恥ずかしいとも後ろめたいとなも思わない。むしろ自分に与えられた任務をどれだけ上手にこなしたかに応じて、誇りや恥を感じるようになる。
(第一章 服従のジレンマ p24)

わかるー! と素が出てしまうくらい秀逸な表現だと思う。権威から、良心に反する命令をされたとき「その命令って間違ってない? 人を傷つける行為じゃない? やってはいけないことなんじゃない?」という、総体的な倫理観や道徳観のサイレンはすっかり無視されて、「言われたことをきちんとやり遂げなきゃ、失望されたくない、役立たずと思われたくない」というごく狭小な範囲の道徳観に固執してしまう。

これは実験室の中や、戦時中の特殊な状況下だけでなくて、世の中のあらゆるところで起きていることなんじゃないか。
友達をみんなで無視しようと言われる。そんなの間違ってると内心ではわかってても、みんなに嫌われたくないとか、そういう『みんな』を優先してしまって従う。そうやって空気に服従して無視してるうちに、段々と正当化が起こって、「あの子はとろくて空気が読めないから、無視されて当然なんだ」と思うようになる。空気は更に淀んで、もっと残酷な行動を要求するものになる。
会社の上司から、それとなく、不正をするよう誘導される。データの改竄。「こんなものが世に出たらわが社はおしまいだ」、強い人事権を持つ上司が、何度も何度も、資料を突き付けながら彼を叱責する。「お前はもう来なくていい、やる気がないやつは会社に要らない」と言われる。同僚の先輩からは、「上司がどうしてほしいかわかってるだろう? 左遷されたくないだろ? お前の忠誠心を見せろ。わが社の未来のためだ」と何度もつつかれる。「これは不正じゃない、わが社を失脚させようとするやつらからわが社を守るために仕方なくやるんだ、わが社のためにどうしても必要なことなんだ」と、崇高な目的の名のもとに正当化して、データを改竄する。そのデータに合わせて資料を隠蔽して、捏造して、もはや歯止めがきかなくなっていく。
そういうことは、世の中のあらゆるところにあるんじゃないか。服従は普遍的な制度だ。ルール、マニュアル、親からの指示、偉い人からのしつこいお誘い、アメリカンフットボール部の監督からの圧力、コーチからの命令。そこには、心理学実験とは違って、逆らったときに私たちに不利益を与えられる権威がある。罰金をとられるかも、クビになるかも、業界で干されるかも、チームを外されるかも、選手生命を断たれるかも。そんな不安が私たちにまとわりついて、もっと動きを鈍くする。
私たちは、それに逆らうことができるだろうか? 何の罰も嫌がらせも受ける心配の無い、大して知りもしない心理学者から、明確に倫理に悖る指示をされたときさえ、大半の人は逆らえないのに?

若い人が、権威ある大人の誘いを断りきれず、加害された事件が最近あった。大学生が、権威ある監督と、その側近のコーチの命令に逆らえずに、許しがたい反則をしてしまった事件もあった。
ネットには「断ればよかったんだ。ほいほい従うやつが悪いから自己責任だ」とか、「『責任は俺がとる』なんて言うおっさんが責任取ってくれるわけがないんだから、そういうときは毅然とした態度で逆らうべきだよ」とか、アドバイスをしてる人がたくさんいる。
でも、権威あるおっさんに逆らうのは、口では言えても、実行するのは非常な労力と苦痛を伴うものだ。『アイヒマン実験』からわかるように、そもそも権威に明確に逆らうことは、非常に難しい、勇気のいる行為なのだ。その上、おっさんの命令に背くことは、不利益を与えられる不安と、権威あるおっさんに従う『みんな』から役立たずと見られる恐怖を振り切って、権威の圧力からもがいて、逃れて、初めて実現できることだ。

それをやり遂げた人に、私は敬意を表したい。

スタンレー・ミルグラム著、山形浩生訳(2008) 『服従の心理』河出書房 第一章「服従のジレンマ」p15-29.

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