自信に満ちた科学者と、必死に抗議する被害者、どちらを信じられるか
スタンレー・ミルグラム著、山形浩生訳(2008) 『服従の心理』河出書房
読んでます。
第2章では「服従」実験の検討方法が具体的に論じられている。
・実験参加者にはブルーカラー、ホワイトカラー、専門職が混在。年齢は20~50歳。
・実験の口実は「学習に対して罰が与える影響を科学的に調査する」。実験参加者が罰を与える理由は、どんな人物が罰を与えるのが一番効果的かを明らかにするため、と説明された。
・学習者役の人、めちゃくちゃいい人そうなおじさん
・実験参加者は、実験を始める前に、サンプルとして45ボルトの電撃を手首に受けた。
・実験参加者は、学習者が答えを間違えるたび、与える電撃のレベルをだんだん上げていくよう指示された。
・実験参加者が途中で続行をためらったり嫌がったら、実験者は続けるよううながした。4連続でうながしても実験参加者が拒絶した場合は、「反抗」とみなして実験を中止した。
・うながしは「続けてください」から「ほかに選択の余地はないんです。絶対に続けてください」まで4段階。実験者の声音はきっぱりしていたが、声を荒らげたりはしていない、礼儀正しいもの。
・実験参加者から身体損傷について質問があった場合、実験者は電撃は苦痛だが、長期的な肉体的障害は残らないと答えた。
・学習者は75ボルトでうめく。150ボルトで実験中止を明確に要求する。抗議はどんどん強まる。270ボルトでは絶叫。330ボルトを超えるともはや何の音も聞こえなくなり、学習者の回答も表示されない。
・実験後の処置が非常に重要。学習者が電撃を受けていないことを知らせる。反抗した参加者にはその決断を支持する形で、服従した参加者にはその反応はまったく正常なものとして、実験の趣旨を説明。追跡アンケートも実施。
一応ミルグラム実験についてはわかっていたつもりでいたが、初めて知ったことも多い。
まず、実験前に参加者にサンプルの電撃を与える、というのがすごい。今の時代だったらこの時点でもう実現不可能な気がする。しかし自分が電撃を与えられて、45ボルトでもそこそこ痛いな、電撃ガチで流されるんだな、と経験するのは殆ど抑止力にならないようだ。
この実験、実際の場面を想像してみると、とんでもなく恐ろしい。自分が押したボタンで、学習者は絶叫するほど苦しみ、実験中止を必死に訴える。しかし実験者は全く取り合わない、「学習者がどう言おうと誤答したらボタンを押してください」と淡々と指示してくる。参加者は両者の板挟み。
参加者が不安を訴えたり、続けたくないと渋ったり、文句を言ったりしても、実験者は冷静に、さもそれが義務かのように「続けてもらわないと実験が成り立ちません」と答える。参加者はそれでも流されずにきっぱりと拒否の意を示し続けないと、実験は中止されない。
本当に怖いのが、学習者からの音声フィードバック。必死に抗議し、中止してほしいと何度も願い、ひどい痛みを訴え、絶叫し、最後にはぴたりと反応がなくなる。
自分がその状況に置かれたと想像したら本当に怖い。どうしよう、どうしよう。声がしなくなった。彼は気を失っているかもしれない。何度も途中で「心臓が変なんだ」と言っていた。300ボルト以上の激烈な電撃。しかも何度も。もし、心臓が止まってしまっていたら?
それでも実験者は平気な顔で冷静に実験を続行する。実験続行が義務かのように振る舞う。
「永続的な肉体への損傷はありません、続けてください」と断言する。
大半の人が、必死に苦痛を訴え、抗議し、最後には反応がなくなってしまった被害者よりも、実験者の命令を優先してしまうというのが恐ろしい。恐ろしいけど、私も参加者の状況だったら、実験者の言うことを信じてしまうような気がする。
相手はあの有名なイェール大学の研究者。そんな人が自信に満ちた態度で、堂々と淡々と、「罰と学習の関係を明らかにする実験です」「電撃は苦痛ですが、肉体への損傷はありません」「続けてもらわないと実験が成り立ちません」と言い聞かせてくる。続けることが義務かのように言う。実験が科学的な真理を明らかにするために必要なものだ、という「崇高な目的」を見せてくれる。学習者が苦しんでいて、何か事故があったかもという、目を背けたい信じたくない事実を、権威ある学者が堂々と否定してくれる。
逆らえるのかな、私は。
もちろん心理学の実験で、学習者が回答を拒否してるのに罰を与えるわけがないことを今は知ってる(回答が取れない時点でまともなデータじゃないんだから、電撃を流す必要性などない)。300ボルト以上の電撃が身体に相当危険なことも知った。心理学を勉強して服従や正常性バイアスについて知った。だからこの実験そのものに参加したとしたら、「これ手順おかしいですよね、まともな実験じゃないですよね」と気付いて断れると思う。今なら。
そういう意味では、知識を得ることは有効だと思う。知識が権威に反抗する力になることは必ずある。だけどそれって限定的だとも思う。
これがもっと別の、もっと巧妙なやり方だったら、流されてしまうかもしれない。私が全然知らない物理学がテーマだったら。東大の物理学の教授だったら。加害のあり方が電撃じゃなくて投薬や放射能や別の何かだったら。人に直接危害を加える形じゃなくて、もっと遠回しで見えにくい手口だったら。「それおかしいですよね? 絶対やりません」って言えるのかな。
イェール大学の心理学の研究者(を演じる高校の先生)の言うことでさえ大半の人は信じるんだから、東京大学の有名な物理学の教授とかもっと信じてしまいやすいかもしれない。
その人が、悪意を持って、ある科学的なトピックについてデマを撒いたら、それはとんでもない拡散力と説得力をもって蔓延するかもしれない。たぶん実際の被害者の声なんか押し潰すくらいに。
癌の専門医を名乗る医師免許をもったどこぞの名誉教授が、「癌は放置すれば治る」なんて言いふらしたら、それを信じる人がどれくらいいるだろう。「癌の治療が苦しい、完治しないかもしれない」という事実を信じたくない潜在的な気持ちがあったら、それでも名誉教授の意見にすがらずに、標準医療の方を信用できるのか。
弁護士資格を持った元府知事が、不当請求しても大丈夫! 懲戒請求をした人々よ、和解などするべきではない! と言い出したら?
被害者からの声、に関してはこんな記述もあった。
被害者からの抗議が聞こえない条件の、予備実験についての記述。
学習者からの抗議がないと、パイロット研究のほとんどあらゆる被験者はことばでの表示など一切おかまいなしに、いったん命令されたら喜々としてパネルの最後までスイッチを入れていった。
唖然とすることだが、被害者からのすさまじい抗議があっても、多くの被験者は実験者の命ずるまま、相変わらず最高の罰則を適用した。だが、抗議は最大電撃値の平均を引き下げはしたし、被験者の反応にもある程度の幅を生み出した。
この状況は、使用に耐える実験手順を見つけるうえでの技術的か困難を明らかにする以上の意味を持つ。これは被験者たちが、当初想定したよりも強く権威に服従するということを示している。また、被害者からのフィードバックが、被験者の行動をコントロールするにあたり重要だということを示している。
ほとんど絶望的かもしれない。実際に被害を受けている人の苦痛な声が、抗議が聞こえないと、みんな簡単に権威に服従してひどいことができる。私もほんとうはそうなんだと思う。
けど、これはすごく重要なことだと思う。権威を持たない被害者の声は、権威の命令に比べたらずっとずっと弱いけど、一部の実験参加者の行動を変えはした。
被害者の抗議は、無力に思えるかもしれないけど、本当に非力ではあるけど、権威の命ずるままに加害してしまう服従者の行動を変える。彼らが権威に反抗する後押しになってくれる。
というより、声を上げないと、みんな被害者の苦痛に思い至ることもなく、権威の言う通りにひどいことができる。
権威を持たない、苦しんでいる当事者たちの抗議には、そういう意味で価値があると思う。
スタンレー・ミルグラム著、山形浩生訳(2008) 『服従の心理』河出書房 第2章「検討方法」p30-48