下着をあまり買ってもらえなかった私が、母になる。私の「ランジェリー・ブルース」
二人出産し、下の弟の授乳を終えて早1年半。
そろそろブラをちゃんとしないといけないなーと思っていたのです。
この度、まず今の正確なサイズを知らなければ、と
苦手意識のあった下着屋さんに行ってきました。
きっかけは、ネットでツルリンゴスターさんの
「ランジェリー・ブルース」を読んだこと。
https://www.lettuceclub.net/news/serial/12962/
↑ここで結構読めます。
ツルリンゴスターさんの日常漫画のファンで、
ふと目にとまって読んでみましたら、
胸が苦しくなるような、でも読み終わった後はすっきりとするようなすてきなお話でした。
印象に残ったのはこのシーン。
似たようなことに身に覚えがありました。
私の母は生きるのに一生懸命な人でした。
自分の母(私にとっては祖母)は当時には珍しく女経営者。
男の子が欲しいからと何人も産み、末に生まれた弟以外(母とその姉妹)にはあまり関心も持たず仕事ばかり。
夫婦仲も良くはなく、機能不全家族気味であったようです。
だから、母は「母親であること」「女であること」にとても違和感を感じながら
一生懸命、ときにはひどく不安定な様子で私と姉を育てていました。
そんな家庭で育った母にとっては
下着や、女性性、発育を大切にすることなど
二の次であったでしょう。
家計に対しての感覚もピリピリしていて、幼い時は服なども最低限。
下着などむしろ、買ってあげただけで自分は十分なことをやってあげていると意識だったと思います。
でも、それはあくまで「母から見た」物語です。
小さい頃から母の苦労を聞いていた私にとっては
「わたしから見た物語」を語るのは
母に申し訳ないと思っていました。
少しでも語ったら、母はひどく傷ついて「でも、それでも精一杯やった」と
自分から見た物語を語り始めるのです。
そうしてずっと、私は性や下着について
ひどく弱く心細い部分をひっそりと抱えたまま、大人になっていきました。
大学時代に友だちと下着店に初めて行ったとき、
なぜだかとても悪いことをしている気持ちになり、急に大量に発汗して友だちに不思議がられました。
「なんで?かわいいじゃん」とすんなりその場にいれている友だちを見て
そこで自覚しました。
「ああ、私は女としての自分を大切にする方法を
教わって来なかったんだな」と。
大人になり、どうやら意外とこういうことは
そんなに珍しい話ではないらしいと知った時
とてもほっとしました。
母を悪者にしたいわけではない。一生懸命、母なりの愛情をもって育ててくれました。
でも、私から見た物語も、確かにそこにあることを、認めてあげたかったのです。
下着も、服も、買って欲しかった。
性を喜びたかった。恥ずかしがることなく、真摯に話したかった。
女であることは楽しいと、見せて欲しかった。
母が、女であること、母であることを
もっと自然に楽しんで生きている姿を、私は見たかったのです。
ふと目にしたこの「ランジェリー・ブルース」もまた、過去の自分を慰め、肯定してくれるものでした。ああ、こんな思いを抱えたのは、一人ではなかったんだと。
大人になっても、下着を買ったり
自分の中の性を見つめたりすることは苦手で
そんな部分は自分でも少年みたいだな、と思うような
青臭さの残った人間になりましたが、
大学時代に夫と出会い、自分自身を丸ごと肯定されるという
本当に幸運な出会いに恵まれたおかげで
すごく戸惑いつつも、少しずつ自分の中の女性性を尊べるように
なったところで
結婚・出産。
(授乳中に不快性射乳反射(D-MER)があったりして
やっぱり自分が性を受け入れられてないのか…と悩んだりした時期もあったんですが、それはまた別の時に)
出産・育児という
自分の人生に起こり得ないと思っていたことを体験でき、
何より
こんなに可愛い子どもたちを産めた私って、すごくね!?と
女じゃないとできないわ!!と
性を肯定できる
大転換が起きました。
青天の霹靂です。
私はやっと、女であることが腑に落ちて
女であることを子どもたちによって肯定することができたんです。
そして、急にめちゃくちゃ現実的な話になりますが、完全母乳で育てたのもあって
サイズがどえらいくらい落ちて、
Aカップ・・・いやむしろAカップあるんかこれ?というくらい
ひどいありさまになってしまいました。
授乳中は授乳ブラをしていましたが、
それからはアトピーなのもあってとにかく下着自体がうっとうしく
夜はほぼ放牧気味でした。
まーいいっしょ!痒いし!二人を立派に育てた証!と思っていましたが
そんなこんなで1年半・・・さすがに見るも無残になってきました。
これはまずい・・・ばあさんになったときに
色々後悔することになるかもしれない・・・ちょっと何かしら手を打たないと・・・と思うように。
そこで、ワイヤー入りがとにかく苦手なので
ネットで人気なナイトブラを中心にいろいろ買ってみたのですが・・・合わない合わない。
というのも、アトピーがあるので化繊が苦手(ナイトブラはほとんど化繊)、コットン入りは痒さはだいぶましだけどホールド力と耐久性が△、ホックも止めにくいし外れるし苦手、、という自分のわがままぶりで(でもアトピーの人は分かってくれると思う)、人気の5,6社をいろいろ試してみたんですがすべてアウトで。
・・・というかこれ、サイズ合ってんのかな?自分では測ったけどもしかして合ってない!?じゃあ意味なくない!?
とうことで、苦手だけど、最近読んだランジェリー・ブルースの力を借りて、えいやっと百貨店の下着売り場でフィッティングの予約をしてみたのです。
すると、にこやかな店員さんが親身になって
すばやく計測して下さり、あれよあれよと終了。
コットン入りのナイトブラがあることも教えてもらい
でも強く押し売りされることもなく、フィッティングのみで終了。
親身で気楽な接客がとても好感が持てました。
百貨店を出たとき、「あー、大丈夫だった。よかった、だいぶ大丈夫になってるんだなあ私。
店員さんも感じ良かったなあ。ありがたいなあ。
こんなふうに気楽に、性を楽しめたらいいなあ」と思えたのです。
というのも
私には8歳の娘がいて、
遅かれ早かれ、ブラを付けることになると思います。
ちょっと少年ぽいところがあり、キャミソール的な肌着もなんか女子っぽくて恥ずかしいしフワフワする!と着ない娘。
そんな娘の発育が進んだとき、笑顔でそれを喜べる自分でいたいのです。
そしてあわよくば一緒に下着売り場に行ってフィッティングしてもらいたいし、
女(でも男でも)である自分を喜べる子になってほしい。
「性」を自然に受け容れさせてあげたい。
成長を恥じたり隠したり拒否したりしないでいいように見守ってあげたい。
そういう思いがあります。
だから今自分が、下着店にたまに行って、
かわいい下着をかわいいと思えるようにしたいと思っています。
最後に、教えてもらったスロギーのサイトから、
かわいい下着を載せて終わりにしたいと思います。
下着を楽しむことは、自分を大切にすること。
女であることをあたたかく肯定すること。ですよね、きっと。
かわいい!!