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#常磐線
フクシマからの報告 2022年春 除染解体で消えゆくふるさと 福島第一原発3.5キロの商店街で 11年を経てゆっくり姿を現した破壊 これは戦争と同じではないのか?
下の2枚の写真を見比べてほしい。同じ、福島県大熊町にあるJR常磐線・大野駅の跨線橋に立って撮影したものだ。13ヶ月の間に、駅前にあった4階建てのビジネスホテルがそっくり姿を消した。
同駅は、福島第一原発から西に約3.5キロ。事故前は、原発に往来する人が利用する最寄り駅だった。東日本大震災のあった2011年3月11日夜に全町民1万1505人に避難が命じられ、大熊町から人の姿が消えた。
原発直近の
フクシマからの報告 2020年春 JR常磐線開通に合わせて レッドゾーン道路だけ封鎖解除 9年間無人の街を前にマスコミは無関心
昨年の12月20日、こんな報道が流れた。
「政府は、帰還困難区域である福島県富岡町のJR常磐線・夜ノ森(よのもり)駅周辺の避難指示を、来年3月10日に解除する方針を決めた」
時事通信の記事は「帰還困難区域の避難指示が解除されるのは初めて」と誇らしげに言う。
(Google マップより。右上隅が福島第一原発。直線距離で6〜7キロ)
これは現場に行って、この目で確かめなければならない。私はそ
<フクシマからの報告>2020年春 「人が戻らない」 再開3〜4年 事故前の人口を回復した市町村ゼロ 強制避難地域 帰還者の苦悩
2011年3月11日に始まった私の福島第一原発事故取材は、9年目に入った。
今回の論点は「かつて強制避難の対象になった市町村には、どれくらいの住民が戻ったのか」である。
東京で見る新聞テレビは、やれ「JR常磐線が全線復旧した」とか、やれ「東京五輪の聖歌ランナーが走る」(コロナウイルスで五輪そのものが延期にならなければ2020年3月26日に福島市を出発するはずだった)とか「復興」を演出する
フクシマからの報告 2021年春 茨城県ひたちなか市にホットスポット 眼前はJR常磐線車両の洗車場 福島第一原発事故の汚染を運んだのか?
今回は、単純な事実の報告と問題提起をする。
茨城県ひたちなか市のJR常磐線の車両基地のそばの一点で、線量計が周囲の5~7倍の高線量を指した。つまりホットスポットができていた。その目の前には、JR常磐線の車両を洗浄する施設がある。
JR常磐線は、福島第一原発から直近で1.5キロ、高線量に汚染された地帯を行き交っている。そこを通過した車両を洗う「洗車場」の前に、突然高線量の場所がある。
これは
<フクシマからの報告>2020年春 福島第一原発に近づくと JR常磐線車両内で 線量計の警告音が鳴った その車両が東京に毎日6本やってくる
2020年3月14日、JR常磐線が全線復旧し、東京・上野駅と宮城県・仙台の間が直通で行き来できるようになった。そのニュースをご覧になった方は多いと思う。2011年3月の東日本大震災以来、9年ぶりに電車が全線を往復できるようになった。これが「復興」の象徴だとして、新聞テレビは大きく取り上げた。
福島第一原発事故を発生初日から取材している私にとって、これは大きな動きだった。
かつて現地で目撃
<フクシマからの報告 2021年秋> やはり放射性物質を運んでいた 福島第一原発から1キロを走るJR常磐線 茨城県ひたちなか市にある 洗車場と隣接公園の土壌線量データ入手 仙台・品川間を走る列車の汚染を確認
今回、JR常磐線の車両に付着した放射性物質の実測データを入手したので、記事を無料で公開する。懸念したとおり、同線の車両は福島第一原発から出た放射性物質を運んでいた。
2020年3月にJR常磐線(東京・上野〜宮城・仙台)が東日本大震災以来9年ぶりに全線開通した時、私が懸念したのは、福島第一原発事故で噴き出した放射性物質を、車両が付着したまま沿線に運んでばら撒いてしまうのではないかという点だった。悪