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京大卒の元朝日新聞記者が、フクシマの今をレポートしています。
福島の一部地域は、もう人の住める場所ではありません。マスコミが報じない衝撃の事実が沢山レポートされております。
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#避難者
フクシマからの報告 2018年晩秋その3 原発内で働いていたからこそ思う 故郷はもう原発内部と同じ 渡辺さん親子の物語(下)
前回の記事に続いて、渡辺さん親子の話を書く。今回は父親の理明(まさあき)さん(48)である。
山形県に避難して間もなく8年。この間に、渡辺さんの健康は悪化した。壮健な少年野球チームの監督だったのに、円形脱毛症になり、大量の下血で救急搬送され、2年前からは人工透析に週3回通う身になった。取材で会うたびに、病気や故障が増えていった。顔色も悪くなった。避難直後の元気な姿を覚えている私には、痛々しい姿に
フクシマからの報告 2019年春 山間部は高線量・海岸部は無人 中心部だけが新築ラッシュ まるで「復興ショウルーム」のよう
福島第一原発事故で放射能汚染を浴びた福島県の地域はいまどうなっているのだろう。そこに住んでいた人たちはいま、どこで、どうしているのだろう。街は村は、どうなったのだろう。現地を自分の目で見て、当事者たちに会って話を聞く。それを報告・記録していく。それが、私が2011年春からずっと続けている作業である。
今回も、2019年3月15日〜19日、福島県南相馬市・飯舘村・浪江町などを訪れた。8年間で現
フクシマからの報告 2019年春 原発から8キロ 6年間強制避難区域だった浪江町を再訪 解除2年で帰還した住民はわずか4% 町並みは今なお荒廃が続く
福島第一原発事故で強制避難の対象になった20キロラインの内側だった町村はいま、どうなっているのだろう。
今回は、その一例として、原発から4キロ〜30キロの地点に広がる「浪江町」の現状を報告する。
福島県浪江町は、原発立地自治体である双葉町の北隣。いわば「原発に一番近い市町村」のひとつである。町役場は原発から北に8キロの位置にある。6年もの間、強制避難区域に入り、無人になった。
(浪江町