こころを癒す読みもの|ことばあそび。
残暑が、つづいています。
公園の蝉時雨も、いよいよ最終楽章に入ったようです。
大団円に近づくにつれて、
ひとつ、また、ひとつと、
少なくなる鳴き声の隙間を埋めるかのように、
赤や、黄色や、水色の、
とんぼをみつけることが増えてきました。
入道雲の隙間に、すじ雲や、ひつじ雲が、浮かび、
行き合いの空に、秋の気配を感じます。
わたしたちの言葉には、
ゆたかな自然をあらわす季語にあふれていることに、
あらためて、気づきます。
春の、芽吹き。
夏の、水飛沫。
秋の、色づき。
冬の、煌めき。
春を待ち、
夏が終わり、
秋は色作りて、
冬が始まる。
こんな風に、言葉あそびをする機会も、
今では、ほとんどなくなりました。
最近、和歌や俳句といった文化が、再注目されている背景には、
行き過ぎたデジタル社会(あたま、つまり意識界)に対する、
忘れ去られたアナログ社会(からだ、つまり無意識界)からの、
大反撃の様にもおもえます。
ゆたかな言葉の源泉には、自然そのものがあり、
わたしたちはからだを通して、自然そのものとつながっていること
に気づかされます。
それは、わたしたち心理カウンセラーが向き合う、
「こころの症状」と呼ばれるものにも、当てはまります。
こころの症状、は、からだの声、が置き換わったもの、
ならば、それは、
わたしたちが自然の一部であることをおもいださせるもの、
なのかもしれません。
夏の終わりに抱く、一抹の寂しさは、
わたしのあたまから出づるものか、からだから出づるものか、
それとも、自然をふるさとに持つ「いのち」そのもの、からか。
蝉時雨の音のカーテンで覆われた向こうにある、
「なにか」をおもいださせるかのように、
あたまのなかに井上陽水の少年時代が流れる、今日この頃です。
あなたの命という名の時間を使って、最後まで読んでいただいたことに、
心から感謝します。
どうか、あなたのこころ、からだ、そこに宿るたましい、つまり、いのちが、
すこしでも、楽になりますように。
✎_心理カウンセラーU