【読書メモ】『ローマ人の物語Ⅱ - ハンニバル戦記』(著:塩野七生)
大学では「歴史学」を基礎学問として学び、卒論では「明治期の博物館」をネタにした覚えがあります。普通に就職する予定だったからか、指導教授からは「優」をいただいた覚えも、、先日久々にざっと見返したらちょっと赤面モノでしたが、これもまた(黒)歴史とでも言いますか。
さて私が学生だった当時、物語として歴史を紡いでいくことに対しては、司馬史学なんて揶揄も込められての扱いが主流でした。ここ最近の動向はわかりませんが、広く社会に還元していくのであれば、また人々が生きていくための道標の一つにもなるのであれば、「歴史(学)」の一つの社会的有用性の在り様としても、物語としての歴史は十分にあり得るだろうと個人的には考えています。
ここ最近にあてはめれば、行き過ぎたポリティカル・コレクトレス、との言葉が合致するでしょうか。個人的には、機会の均等ではなく、結果の均等を強奪しようとしているようにしか見えませんが、どうにも共産主義的ですねぇ、なんて感じてしまいますが、さてさて。
さて、ローマ人の物語・第2巻はハンニバルの物語から。塩野さん、共和制から帝国制への萌芽・端緒を、ハンニバルとローマ人の戦いの過程から見出そうとしているようにも感じとれました。
何はともあれ今回、歴史を愉しむための素材となるのは「紀元前264年から133年に渡る約130年間とのなかなかに長い年月での物語」、マケドニア、そしてカルタゴ滅亡までの事象。このうち主軸となるのはやはり、三度に渡った「ポエニ戦役」でしょうか。
ローマ人にとってはポエニ戦役を中心とした対外戦争の時代、とでも位置づけられるのかもしれませんが、その主役を担うのは、副題にもなっているカルタゴの将・ハンニバル、それに対するはスキピオ(アフリカヌス)、そんな二人の宿命的な生き様です。
といっても、ハンニバルとスキピオには1世代ほどの開きがあり、スキピオの父がハンニバルに敗れた際、スキピオ自身はただの若造にすぎませんでした。その後、ハンニバルは10年以上もローマ勢力圏内を、数万の兵を率いて戦い続け、その戦役の規模も20年単位とのスパンでもあるので、なかなかに壮大ですが、、
史実としては、カンネの会戦でのハンニバルの圧倒的な勝利、ザマの会戦でのスキピオのリベンジ、が有名とは思いますが、ポエニ戦役は3度にわたり、幾度かの休戦期を挟みながらも、当然それ以外の小競り合いも含めての戦闘はあったわけで、その過程で「国家としての結果」を担保していくには、、旧来の方式にとらわれず、敵からすらも学んで刷新していく、これもまた、寛容の在り様の一つでしょうか。
それにしても、将官クラスの人材の、カルタゴというかハンニバル側と、ローマ側での人材の差がいかんとも、、ローマ側は枯渇しませんね、本当に。ローマ元老院のハンニバルをイタリア内に孤立させるとの戦略もあったのでしょうが、この、人材輩出システムは、やはりローマに国家としての軸、国体がしっかりしていたからでしょうか(余談ですが、『銀河英雄伝説』での帝国側と同盟側の人材差を想起しました)。
長年に渡り、ハンニバルに苦杯をなめ続けたローマですが、その敵からすら学ぶとのことの積み重ねから、ザマでの勝利につながります。とはいえ、ポエニ戦役が終わった時点では、カルタゴやマケドニアに滅亡の気配はなく、どちらかというと、ハンニバル、スキピオが表舞台から退いてから、その色が強まっていったようです。
古びた言葉で言い表すと「進歩史観」、新しい時代の価値観が常に正しく上位であるとの誤謬。故に、結果だけを見て今現在の価値観で訴求してしまうと、、いかにもカルタゴやマケドニアの滅亡ありきで「覇権的な帝国主義」への道筋をつけるための動きであった、、ともなりますが、その時代の動きの中に入っての視座を踏まえると意外とそうでもなさそうで、特に、、
なんてカルタゴの滅亡を位置付けている一方で、マケドニアやギリシャのそれについては、、
とは、今現在(2024年)の日本の周辺国家(ロシア、共産中国、北朝鮮)を見るだけでも、実感をもって迫ってくるのではないでしょうか、非常な危機感と共に。
国家滅亡との結果につながっていったのは、複層的な要素が交わりあってのそれぞれの理由に基づいて、とも言えますが、結果として、
との覇権を成立したからこそ、
なんて風にも述べられているのでしょうけども、、学界では余波なんて言い回しは、まぁ、許されないでしょうねぇ。
歴史を観るに、事実を単純に積み重ねただけでは意味がない、とあらためて思います。事実に対して、自分の言葉で理解して真実の一つとしてどのように昇華していくのか、そして、それをどう伝えていくのか。そして、伝えていくのであれば、ただ無味乾燥な事実を並べるよりは、血沸き肉躍る方が記憶にも残るではないでしょうか、数多ある真実を比較しながらだと、なおさらに。
かといって、何もそれを頭から無批判に信じる必要がないのもまた真実の一つです。伝えられる内容に、自分の言葉で批判(解釈)を加えていくことが学問としての第一歩でしょうから。なんてのは、別に歴史学に限った話ではなく、学問に臨むにあたり、最初の「〇〇学概論」辺りで一番最初に叩き込まれる基本姿勢とは思うのですが、最近はどうなんだろう、、大学が始まったら息子に聞いてみようかな、嫌がられそうですが。
あらためて、塩野さんの歴史に対する一つのスタンスが見て取れます。そして、大学で歴史を学んだ一人としても肚落ちするものだなぁ、とも感じます。ちなみに日本の特色(国体)にも言及されていて、、
との内容は、なかなかに興味深いかと。我らが日本にとっての「日本らしさ」、いわゆる国体とは、と、あらためて考えていきたいところです。そしてまぁ、留学したいなんて呟いていた息子にも、海外の学生たちと「日本について自分の考えを基に議論できる材料」を得られそうな環境くらいは提供しておきたい所です。
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