読書日記|0327-0402
0327 晴れ
工務店さんと建築士さんは、10時と約束していたはずなのに、9時に来た。聞くと、お二方だけでそう決まったということで、何も聞かされていない私たちは困惑。悪気が全くといっていいほどないのでより困惑。いそいそと点検をしてもらい、不安なことを伝え、開けにくかった網戸をなおしてもらった。蛾が外壁を食べるらしく、それらの駆除をしなければいけないということをいわれる。
午後から万城目学の『万感のおもい』を読む。はじまりからすきだった。見た目も、中身のひとつずつのエッセイも、なんというか収まりが良く、オチが素晴らしい。(笑)の話で心を掴まれ、心が強いというのと、優しいというのは、一つの人間には持ち合わされないという話に納得しながら、大谷翔平を思い浮かべたりした。
ドロップみたいな見た目がかわいい。
0328 晴れ
カネコアヤノを聴きながら出勤。『明け方』と『燦々』をおおきな声で歌った。私は大丈夫。
0329 晴れ
夜中に目覚め、『僕と魔女についての備忘録』を読んだ。それがあまりにもよく、ときめきながら、だけどずっと蔓延る切なさに涙をぽろぽろ流しながら、外が明るくなるまで電子で最終巻まで読んだ。あまりにも気に入ったので紙媒体でも買うことにした。
すこし寝て起きると、長月公園が開かれていて、ひさしぶりに長月さんとお話する。働く前のあのいやな感じを思い出して、みんなみんな、いやだなあというのを抱えながら、それでも生活するために外にでたりしていて、あ〜春だなあと思う。柿内さんが聞きにきてくださって、ずっと話したかったウミガメとクラゲの話ができて安心した。佑季さんも仕事の休み時間だけお話できて、嬉しい。調子は悪いし、なんかもう春いやだなって思ってたけど、こういう日があるとやっぱり嬉しい。
夜、寝る前の日課で柿内さんの日記を読み、名前がでてきて喜ぶ。だけど、そうか、と思う。「限定」という言葉に、特別感をかんじて手にする私たちは買い手側で、それを少なくともいやらしいというほんのりと罪悪感のようなものが漂ってしまうのが売り手側で、そこにある摩擦のようなものをかんじて、私はそちら側に立ったことがないからすべてを理解はできないけれど、いろんな葛藤があることを知る。
だけど私はとにかく好きな書き手のひとが日記本をだしてくれることが嬉しくて、ウミガメがクラゲをぱくぱくと食べる様子は何度みても、じ〜っと見入ってしまうし、曲線さんの動画は私も弱ったときお世話になろうとおもった。今がそうなのだけど。
0330 晴れ
体調があまりにも優れなくて、出勤中の車内で泣いてしまう。カネコアヤノを聴いて、こころを強く保つように意識するけど、もうやわやわで、どうしようもなくて、それは昨夜の3時に調子が悪く目覚めてしまって、もう眠れなくて、そういう寝不足からきているみたいだった。仕事はメインどころの平台の雰囲気をがらりと変えるなどやりきった感があって、家に帰ってすぐに寝転びながら、親友と電話。じぶんの我儘がいつまでも通じると思っている人のあの圧はほんとうに嫌だねというような話をした。
夜、今年はじめて蚊を潰した。
0331 晴れ
体調は優れない。仕方ない。春だもの。これは仕方のないこと。ふと、姉妹が家まで送ってあげると男にいわれ、そのまま車に乗り、そうして誘拐されてしまう不穏な物語が頭に浮かんで、なんだっけな、あの本、最後まで読んだんだっけ、などと考えた末に、読みおわるまえに返却期限がきて図書館にかえしたことを思い出した。確か『消失の惑星』だった。今、読みたいのに手元にないことが悲しくて、文庫にならないかな、などと期待している。夜、通院。なんかそれなりに大丈夫そうだった。
0401 晴れ
いつのまにか四月。
スピン3号を読むために、連載ものは1号から復習し、そうしてようやく最新号に到達する。連載を読むことが下手なのに、それでも佐原ひかりさんの『リデルハウスの子どもたち』はいつだって何度だって楽しみで、私はワクワクしている。今回もずっとずっとよくて、驚いたり、その不穏な様子を喜んだりした。最も印象に残っているのは、永田敬介さんの『ディズニー』というエッセイでたまに引っ叩かれてはグサッときて、それでガッツポーズなんかしたくなっては、ふぉ〜〜〜となった。
はやく三ヶ月が経てばいいのに、と思う。だけどその反面、私はそのとき何をしてるんだろうという不安が募る。梅雨も過ぎて、夏になって、なにかは決まっていて、私はあらゆる覚悟をしているかもしれない。先のことはいつだってわからなくて、視界はぼやけるばかりだけど、三ヶ月後のわたしが笑っていてくれたらいい。それって結構むずかしい気もするのだけど。
0402 晴れ
店長が人事異動で他店にいくらしい。何歳になっても別れというのはつらい。つらくて、なんか置き去りにされて、それですこし時間が経つまではどうしようもなくて、きっとどこまでもさみしいままだし、もうこのまま置いておくことにする。帰宅後、万城目学さんの『万感のおもい』を最後まで読んだ。ほとんど軽やかに過ぎていくなかで、たまに鼻がツンとなるような、ぎゅっとなるようなことがあって、ちょっと待って、と思いながら予想だにしない気持ちの渦のなかに身をおかされ、しかし、良い本だった。にこにこしてしまうほどに最後まで収まりが良くて嬉しくなる。
春だし、春だしっていって、なんかもうどうにでもなれ、とおもうと、随分とましな気持ちになって、それなりに本を読めたりした。なにも考えないということは無理だし、なにかを考えるからこうして日記をしたためるのだし、生きてて楽しいのかもしれないなあなんて思いながら、なんにも考えてなさそうな猫をみて羨ましがった。
明日はまた通院。
それでは、また。