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落合陽一的な世界を迎えるための教育② 2017年の佐藤ツヨシな思考

3年前の思考の続き
古いとは思うけど、
古い思うほどには自分の根っこは変わってないなと思う
では、はじまりはじまり

落合陽一的なエモーショナルな人間を教育という現場でどのように育成していくかということを最近よく考えています。

またそのエモーショナルに人間をどのようにして増やしていくか、
そのエモーショナルなモチベーションどのように作っているかということをよく考えます。
どのような方法があるのかと考えていますが、均質な教育を施すというこの現代の教育空間の中でエモーショナルな人間というのはなかなか育ちにくいのではないかとも一方で思っています。

ただその中で教師という立場をよく考え直す、これにヒントにあるのではないでしょうか。
教師という言葉の英語としての訳語はteacherですがteacherという何か知識を生徒に与えるというスタンスではエモーショナルな教育というのは難しいのではないでしょうか。

最近よく思うのですがイメージとなかなか合致する言葉が見つからないのですが、 teacherという立場ではなくてconductorという立場であるというのは1つヒントになるのではないかと直感的に、また直観的に思っています。

知識を教えるというだけであれば何も教員というものは必要なくて生徒というのは自らインターネットなどを介して好きなだけ好きなことを学ぶことができます。

ただその時に生徒個々を見つめながら学びをコーディネートしていく、また生徒の個性を見極めながら指揮者のように生徒にアドバイスを送っていく、全体のバランスをとっていく、そのような役割が必要なのではないでしょうか。

考え方や求め方またその爆発のさせ方に対してアドバイスを送る立場そういうものが求められると思います。
そういった学びをサポートして彩りを添えていくそのような立場が必要なのかと思います。
そういったことを考える時今のような生徒をコントローラブルな存在だと捉えている教育というのは非常に危ういのではないかと思います。
教員のその旧来のマインドをリセットするには非常に時間がかかりますが何か手立てはないでしょうか。

こういった考え方が少しずつ理解され広まってくる世の中になればいいなと思いますが意外とこの考え方に賛同してくれる人が多くて教育の未来というのは思ったよりも明るいのかなと思います。

旧来のコントローラブルな人間を作る教育からエモーショナルな人間を育成する教育、この変化がこれから先の日本が明るくなるか否かを決めるわけです。

理系的な財産というのは非常に重要ですがこういった教育のマインドのリセットをするためには文系の力というのも非常に重要になってくると思います。

ただ旧来の文系と理系の壁というのは早急に壊す必要があって理系文系問わず哲学や歴史や、いわゆる物理や化学、そして生物の知識を持った人間、こういった全方向的に開かれた人間というのがこれから先必要な人物ではないでしょうか。

そうなると日本の教育制度は根本的に変わっていく必要があって、小学校・中学校・高校の教育をすべて見直す必要があります。
高校の3年間で理系文系という狭い枠で考えさせるような教育から生徒の興味関心を中心に幅広く知識を蓄えさせる。
これは強要ではなく、自然と身に付くような、そのような方法を模索する必要があるのではないでしょうか。

なんにしても大教室でひとつのことをただ一方的に、とする教育これは変わっていく必要があると思われます。

そして形だけのアクティブラーニングという何かファンタジックな、おままごとのようなアクティブラーニングからの脱却というのも必要だと思います。

何か教育にそういったハックが見出されることを期待しています。

また動かなければならないと思っています。

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9足の草鞋の佐藤ツヨシ@英語教師16年目
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