至福のいちごケーキと難病から教えてもらった今ここで幸せになる考え方
どこを食べてもおいしいキュートなイチゴケーキと、難病闘病体験から学んだ、今ここで幸せになる方法をお伝えしますね。
あなたはどっちのイチゴケーキが食べたいですか?
先日こんなケーキを食べました。
『いちごのおやま』っていうケーキなんだそうです。
兵庫県姫路市のrailというカフェでいただきました。
もうね、どこを食べても、薄いいちごスライスがお口の中に入るんです。
いちごのかけらと、中のバターケーキや自家製いちごジャム、ディプロマットクリームとのハーモニーがなんともいえず、たまらなくおいしかったです。
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今までよく食べてたのは、こんなケーキ
上にのってる大きないちごを食べてるときは、もろに『いちご!』って感じで、イチゴの存在感が大きくてすごいです。
でも、イチゴを食べてるときはイチゴいちごして甘酸っぱいんですが、あとはケーキがただただ甘くて単調な感じ。
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大きな幸せ、小さなよろこび
ふとこんなことを思いました。
目に見えてよくわかる幸せそうな人。
例えばたくさんのお金や財産を持っていたり、見るからに美しくてスタイルが良かったりして、みんなの人気者。他の人がまねできないような才能があったり、今の時代だったら、何万人のフォロワーがいたりして名声やステータスがある人とか…
平凡な私なんかが逆立ちしても手に入らないようなものをつかんでいる人。
体力も気力もスタミナも根性もないポンコツな私は、大きな幸せを掴むために、さまざまな努力ができる人のこと
「いいなぁ、うらやましいなぁ……」って、思い、憧れてしまいます。
でも、そういう人って、もしかしたら、わかりやすい、よく目立つ大きなイチゴケーキの人なのかも……。
大きな大きなイチゴ、大きな大きな幸せをのせているように見えて、その大きな幸せの中には少なからず、煩わしいこと、めんどくさいこと、なにかを犠牲にしてる辛いこと……そんな、ちょっと酸っぱいことも入っているかもしれないし、そのいちごを食べちゃった後の日常は、実は意外と単調なものかもしれません……
でも『いちごのおやま』ケーキのような形だったら、薄〜い薄いスライスのいちごだけど、至るところにあるから、常に中のケーキやクリームと一緒に口の中に入れることができます。
大きなイチゴはいらない。
私は大きな幸せじゃなくてもいいから、日常の中にささやかな喜びを見出して、おもしろくもない単調な日常を味わい深いものにして生きていけたらいいな。
なんてことを思いました。
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私は、2014年から、重症筋無力症という難病にかかって、ありとあらゆる筋肉が自分の言うことをきかなくなってしまいました。
これは息もできなくなって救急車で運ばれたときの写真です。
たとえば、手があげられない、ものが噛めない、飲み込めない、まぶたを開けることができない、支えがないと座ることもできない、言葉のろれつが回らない、自分の頭を自分の首が支えることができない、ものもちゃんとみえない、息ができない……
さまざまなことができなくなってしまったんです。
それってものすごく不幸なことだと思いませんか?
でも逆に言うとそのおかげで、たくさんの幸せを私は手に入れました。
*息ができる幸せ
*自分の首が自分の頭を支えることができる幸せ
*物を噛んだり飲み込んだりできる幸せ
*手が動かせる幸せ
*話をすることができる幸せ
*まぶたをあげることができる幸せ…
私って、どれだけの幸せに包まれているんだろう……
数年後元気を取り戻した私は、今まで当たり前に思っていた一つひとつのことの有り難さを心の底からしみじみと実感できたのでした。
自分がなんにもできなくなってしまって、いろんなことを人に頼らざるをえなくなって、はじめて、自分の周りにどれだけたくさんの仏さまのような人がいたかよくわかりました。
難病が変えた私の幸せ感受能力
それまでは、
「幸せって○○で**なこと。
でも、私には〇〇が足りない、**も足りない」
って、自分が勝手に作り上げた幸せ像の中から自分に足りないものをピックアップしては、自分で不幸なかわいそうな私を作り上げていました。
でも、“幸せってつかむものじゃなくて、感じるもの”
難病のおかげで
息ができるだけでも幸せを感じられるくらい幸せ感受能力が高くなった私は、自分の身の回りにどれだけたくさんの幸せがあったのかわかるようになって、本当に幸せになれました。
大きな目立つイチゴのような幸せじゃないけれど、実は私の周りって、いちごのおやまのように、本当にたくさんの感謝すべきありがたきことに囲まれてたんだ〜
って心から実感できるようになれたんです。
ただ朝日を見るだけで、生かされてる喜びを感じられることを教えてくれた人
入院してた病院で、肺がんの手術をされた同室のおばあさんからこんな話を聞きました。
「私は朝太陽を見るたび『ありがたいなぁ、今日も生かせてもらえてありがたいな』って、お日様に向かって手を合わせるの」
おばあさんの名前は忘れたけれど、その笑顔を今でも思い出します。
それから数年間が経った今でも、私もただ青空に朝日を見るだけで、
「今日も生かされている、ありがたいな」
って、心の中で手を合わせています。
そんなふうに、至るところに幸せを見い出せる毎日、“いちごのおやま”ならぬ、“しあわせのおやま”な毎日を過ごせているのは、実はあの一見忌まわしい難病のおかげだと思うのです。
こんな記事を書きました私の自己紹介はこちらです。⬇️⬇️⬇️
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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そして、今日noteさんから、このようなご連絡が……
拙い記事にサポートくださった45名の方、この場をお借りして心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
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