見出し画像

きっかけは、いつも祖母。

マザコンでもなく、ファザコンでもなく、ファミコンである。
ゲームのファミコンではなく、ファミリーコンプレックスの略だ。
ま、そんな言葉が存在しているのかどうかは知らないんですけど。
でももしあるとすれば、おそらく私はファミコンの部類に入ると思う。

時々noteにも書いている通り、私は両親のことも弟たちのこともけっこう好きだ。家族仲に関しては、わりと恵まれているほうだと思う。

そんな私が今日書きたいのは、父方の祖母のことだ。なにしろ彼女は、私が文章を書き始める、きっかけを作ってくれた人物なのである。


大学4年生の夏休みに、語学研修で1ヶ月近くをペルーで過ごすことになった時のこと。
ホームステイ先に語学学校、交通機関に食生活。
期待と不安が入り混じった出発前の心境を祖母の家で紅茶片手に吐露していたら、それまでにこにこと頷きながら聞いていた祖母がふと、「るるちゃんのお土産話が聞けるのは、1ヶ月もあとのことなのね」と寂しそうに顔を曇らせた。

1ヶ月後かぁ……。
帰国後に祖母の家に行って、私はどんな話をするんだろう。
きっと到着早々の新鮮な驚きは、とっくに風化してしまっているんだろうなぁ。
その時はおおごとに思えたちょっとした幸せやほろ苦い不幸も、もっと大きな出来事に飲み込まれちゃったりしてさ。

記憶や記録にはどうしたって限りがあるし、有象無象の中からこれぞというエピソードを取り出して話すことは、別に悪いことではないのだけれど。
けれどもそれは、少し悔しい。

旅から帰ってしまうと、いい意味でも悪い意味でも、そこでの日々は「思い出」に昇華されてしまう。
最も語りたい、語りやすいエピソードだけが厳選され、一本のストーリーラインへと凝縮され、語り手によって起承転結がはっきりとつけられていく。

それは聞き手にとっても話し手にとっても、聞きやすく、話しやすいものではあるけれど。

ストーリーラインを作る際に削ってしまうような雑多で猥雑な部分こそを、私は祖母に聞いてほしかった。
後付けの教訓やオチのない、ただの「ペルーでの一日」を聞いてほしかった。
そのためには、やはりリアルタイムで、逐一伝えるしかない。

頭をひねった私は、それまでほとんど稼働していなかったFacebookの存在を思い出した。
そして、そこに日記を書いていくから、ぜひアカウントを取得してほしいと祖母に頼んだ。
もともと私の父以上にパソコンに強かった祖母(当時86歳)は、すぐにアカウントを取ってくれた。

その数ヶ月後。私は無事ペルーへ旅立ち、祖母宛ての写真日記をFacebookにしたためるようになった。
書き始めた当初、Facebookは完全に祖母と、ペルー行きを指導してくださった教授宛の私信だった。
この約1ヶ月間の旅行日記を祖母はたいそう喜んでくれて、「排気ガスがすごくて鼻くそが真っ黒」だの「お菓子が安くてメチャうま」だのといった取るに足らないエピソードにもこまごまとコメントをくれた。

それが嬉しくて、私は毎日ちょっとしたおもしろいことを見つけては、生活の合間に書き綴るようになった。

その後、旅行記としての役目を終えたFacebookは私の日常をただ垂れ流す場になった。
そんな投稿もすべて、祖母は楽しく隈なく読んでくれていた。

大学卒業間近に私が実家を出て、次いで祖母が老人ホームに入った。
近い将来透析が必要になるかもしれないと医者に言われた彼女はネットを駆使して、病院と併設されているホームを見つけたのだ。
ソロバンを弾きながら、ここならいつ何があっても安心だと笑う祖母は、あいかわらずしたたかだ。

そんなある日、Facebookを読んでくれていた友だちから、noteを勧められた。
直接の繋がりがない、けれど純粋に文章が好きな人の輪に入って、文章力を磨いてみたらと言う。

なるほどなぁと思って始めてみて、技術的なことからSNSらしい繋がりまで、Facebookにはない使いやすさにハマった。

文中に写真を入れられる!
文字の太さや大きさを変えられる!
URLを埋め込むことができる!
タイトルつけられる!
趣味趣向の近い人の記事が、おすすめとして出てくる!
お手軽にコンテストに参加できる!

すごいすごい!!
挙げ句の果てには「ぬか漬け部長」に任命されちゃったりして。短編小説まで書き始めちゃったりなんかもして。
んっふっふ。

そんなこんなでどんどん素敵な人と出会うことができて、私はとても幸せだった。
……のだけれど。
人間の欲望とは恐ろしいもので。
今、私はさらなる欲望に突き動かされている。

本を、作りたい。

きっかけとなったのは、またしても祖母の言葉だった。

きりえや高木亮さんの新刊『きりえや偽本大全』に、架空の書評を書かせてもらった時のこと。
私は祖母に電話して「つる・るるるってペンネームで書評書いたよ!」と嬉々として電話をかけた。

刊行後に嬉々として本を送ったら、彼女から「この1ページだけなの?」と連絡があった。
当たり前だ。高木さんの本なのだから。
目次や本文に名前が入っているだけでも十分じゃないか。

そう説明すると、「るるちゃんだけの本はまだなの?」と祖母は続けた。
……るるちゃんだけの本は、とても商業出版で出せるレベルじゃございやせん。

そんなわけで私は自分のエッセイを一冊にまとめて、11月23日の文フリに出ることにした

祖母のためといいつつも、なるべく多くの人に読んでもらえたら嬉しい。
だから、なるべく普遍性があるテーマにしよう。
ワンルームでの一人暮らしを、春夏秋冬で並べてみようかな。
これまでnoteに書いてきたものに、もう何編か加えよう。
せっかくだし、文章好きな母にもゲストとして何か書いてもらおう。
ファミコンの面目躍如である。

本文のイメージが固まったところで、デザイナーさんに頼むことにした。
何かよいものを作ろうと思ったら、その道のプロに頼るにかぎる。
私自身は絶望的にセンスがないのだけれど、幸いにして才能ある友人には恵まれている。

ブックデザインと表紙や本文へのイラストを、デザイナーの編屋さつきさんに頼むことにした。

彼女は私のゼミの後輩であり、以前アンソロジーに誘ってくれた恩人でもあり、クラフト・エヴィング商會ファンとしての同志でもあり、そして誕生日が同じという運命的な友人でもある。
誕生日占いによれば、私も彼女も「器用貧乏に陥ってしまいがちな人」らしい。

器用貧乏コンビがお送りする、27歳独身のワンルームライフ。
どうしよう、貧乏の香りしかしない

でも私の文章はともかく、さつきさんのイラストはとにかくかわいいのだ。
これはもう、ジャケ買いを狙っていく所存である。


他にもドヤりたいことや掲載ラインナップなど、書きたいことはまだまだあるのだけれど。
とりあえず今日は、ここまでで締めておくことにする。

はたして祖母孝行は成功するのか、貧乏くささを払拭することはできるのか。
なまあたたかく見守っていただけたら幸いです。


後日談はこちら!


いいなと思ったら応援しよう!

つる・るるる
お読みいただきありがとうございました😆