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「普通、こんなことで泣かないよ」普通ってなんだ


 人様に迷惑をかけている。

 常にそういう気が働いていたし、事実、そうだったと思う。

 大学を卒業し、順当に就職した。私は本当に"普通"で、華こそなくとも、さほど躓かない人生を歩むと思っていた。安定や安全を考え、真面目に生きてきた自負のある私は、あまりに欠けていた。

「継続は力なり」ということわざがある。私はこの言葉に傾倒している。前述の通り、私に得意なことなどなかったが、どれほど才能がなくても、何だってとにかく続けていけば成果が出てくると学生時代から信じていた。

 だからこそ会社でも、そうありたいと思った。誰よりも早く出勤し、上司の机を拭き、社内の掃除をした。予習復習をして、わからないことがあればすぐに上司や先輩に質問をした。メモもたくさん取った。挨拶は腹の底から声を出し、明るく振る舞った。それを毎日おこなっていた。このままやっていける——、そう思っていた。


「この前の資料できてるか?」

 どすん、と、突然心の中に重たい石のようなものが乗ってきた日がある。今まで必死に努力できていたと思っていたのに、なんだこの感覚はと思った。私の声が入社当初より小さく、か細くなっていたことは何年も経ってから気づいた。

 業務量と責任に押しつぶされながらもやっていた。そうしてやっていくのが"普通"だと思っていたからだ。ミスをして罵詈雑言浴びても、もちろん、私が悪いだろう。机を蹴られても、資料を床に投げられても、それが普通だ。乗り越えなければいけない壁に、私は毎日立ち向かっている感覚でいた。

「おい!」

 誰かに話しかけられている。早く反応しないと。明るく返事をしないと——、そう思ったら、音を立てて涙が溢れた。先輩もそれに気づく。


「お前、なんで泣いてんの」

 私もわからなかった。わからなくて、鏡を見ていないのに、目がどんどん崩れていくのがわかった。蛇口を捻ったかのように涙が止まらなくなった。全身が熱を帯びていくのに、胸の中だけが不気味なほど冷え切っていた。


 あっという間に、うつ病になった。

 何もない。何も起きていないのに瞳が溺れていった。起き上がることもできず、食べることもできず、眠ることもできず、1日が終わった。1日であったかもわからない。3日だったかもしれないし、4日だったかもしれない。

 それ以来、私はよく泣いてしまうようになった。

 家にいて、ただ目の横に水滴が落ちていく。たまに枯れたが、またすぐに溜まってしまった。

 途方にくれ、何ヶ月も経った後、やっと外出できるようになった。柔らかい日差しに照らされた固い雪が、時間をかけてやっと溶けたかのように。


 ただコンビニに行っても、役所に行っても、散歩をしているだけでも、涙が足跡になるかのように落ちていく。どうして自分がこんな状態なのかわからなかった。

 継続したいことが何もできなくなった。働くこと。一生懸命真面目に生きること。誰かのためになること。小さくてもいい。一歩が小さくてもいいから、続けてさえいれば段々と人生には光が見えてくるものだと思っていた。泣いている場合ではないのにと、思えば思うほど涙が溢れて止まらなかった。



*     *     *


 あれから何年も経って、私は30歳を越えた。

 自己理解を深めていこうと勉強していく中で、私は「HSP」という特性を知った。

「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び、頭文字をとって「HSP」と呼ぶようだ。感受性が強く、敏感な気質を持った人をいうらしい。

 だけれど、私はそうなのだろうか。私はこの特性の考え方に、半分救われながら、半分苦悩している。私は自分をHSPと呼んでいいのだろうか。単に、"私が弱いだけなのではないか"と疑ってしまうからだ。

 私はめっきり、弱くなってしまったのか。はたまた最初からこのくらいだったのか。私は傷ついてきただろうが、誰のことも傷つけずいられたわけではない。仕事で散々迷惑をかけた。

 私は仕事が遅いし、判断能力も低い。人の視線や、所作、仕草、態度、あらゆるものが気になって、負債のように心に積み重なっていく。それなのに表面上は明るく見えたり、できそうな感じに見えて、そういう演技を短時間であれば行えるだけの、ただの道化のようである。


「普通、こんなことで泣かないよ」

 どの会社に就いても、よく上司や先輩にそう言われた。その通りだと思った。こんなことで泣いている人を、私は見たことがなかった。自分だけがおかしくて、弱いのだと思った。責めるように自分の心を殴り、手ではらった。

 悲しかったり、焦ったり、驚いたり、迷ったり、不安だったりすると、言葉より先に涙が出てきてしまう。そんな自分をどうしても変えられなかった。

 会社に属すると、ほぼ確実に誰かと仕事や責任を共有する形になって耐えられなくなる。「ひとりでやりきれる仕事」ではないと私には難しいのかもしれない。それがわかってきただけでも、わずかな収穫だと思う。現在の私は、こうしてひとりで黙々と文章を書き続ける生活をしている。

「今忙しそうだから後で声をかけよう」「今ちょっと機嫌悪そうだな…」「なんか怒ってる…?私が何かしてしまったかな…」「こんなこと相談するの今じゃないほうがいいかな」などと考えすぎてしまう。なんなのだろうな。私はこういった気持ちを馳せただけで溢れてしまうのである。これが私の、ずっと、普通だった。今はそういう自分そのものを受容しようと必死に今も踠いている。


「自分は繊細だから」「HSPだから」と思いたい自分と、"繊細だからで何でも片付けたくない"と思う自分がいる。

 泣いてしまわないように文章を書いたり、泣いてしまわないように本を読んでいる。泣いてしまっても、文章を書いたり、本を読めばいいと思っている。

 朝起きて、ご飯を食べ、散歩をし、読書をし、文字を書き、笑い、眠るだけの生活をたんたんとひたすらに送れるようになるために、私は今日も書くことを辞めるわけにはいかない。唯一、継続ができそうなのがこれくらいしかないからだ。

「こんなことで泣くなよ」と嗤われても、それでも泣いて生きていく本をいつか書きたい。普通とかいう言葉は、なるべく見えないところに仕舞っておきたい。

 これが私だ、と受け入れよう。たぶん、すぐには涙は止まらない。だからあなたの分まで泣いて、泣いていたあなたが笑ってくれるまで、それくらい泣いて、私は強くありたいと思う。


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詩旅 紡
作家を目指しています。