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鬱から鬱症状に10年かけてやって来れたので、そろそろ自分を赦してやる


「おいしいものが食べたいな」

 激務の中、会社の後輩がそう呟いていたことを覚えている。「おいしいものを食べると心が晴れるんですよ」と言っていて、ますますわからなかった。

「お先で〜す」

 後輩も帰っていった。要領が良さそうだが、私と同じくらいミスもする。それなのにどうしてあんなにも底抜けに明るそうなのだろう。

 23時過ぎ。パソコンの振動する音だけが響く。社内に自分ひとり。ドラマみたいに、まさか自分の机に書類が山積みになるとは思っていなかった。

「これどうやればいいんだろ」

 私は誰もいない社内で声をふつうに発する。発した瞬間、手元の書類が湿り出して驚いた。ぼたぼたと落ちてきている。その水のようなものが、自分のものであることを理解しないように必死で、からだじゅうが熱くなる。

 もう周りを気にする必要はない。ないけれど、そもそも周りに誰かいる時に、この"わからない仕事"について先輩に聞いておくべきであった。

 できなかった。周りの目が怖すぎて、常に心をつねられて、殴られているような気がしていた。実際、私は全員が見ている前で毎日のように怒鳴られていた。昔から私はできる人間だと認識していたわけではないが、ここまでできない人間だっただろうか。嗤われ、踏まれ、すり潰され、それら全てが、自分が弱いせいだからと思い、叫んだ。馬鹿みたいに叫んだ。乾燥した肌の亀裂に、雫が根を張るように広がっていく。

 パソコンのブルーライトを浴びながら、私は顔を手で力強く擦り続けた。体が、心がぐちゃぐちゃになってしまいそうで、だったら私の手でそうしてやろうと思った。気を失うほど気を病んだ。ただ生きていられるだけでよかったのに。

 崩れるようにして私は目を覚ました。

 時計の針は4時を差している。

「何も進められなかった」

 だったらこうして会社に残っている必要なんてなかったではないか。私はひとりで自分を追い込み、悲劇を演じているのだろうか。

 かといって帰る自分をゆるすことができなかった。どうしようもなくて、よくやったよと言いたくて、それがやっと言えるのが4時だったのかもしれない。始発電車に、くたくたのスーツ男が乗る。私は酒に溺れているわけでも、女性に溺れているわけでもないのに、真面目に生きているのに、どうしてこんなに惨めなのだろう。朝日は、やけに眩しくて苛々する。座席は空いているのに腰を下ろす気になれなかった。電車のドアに額をつけ、全身が鉛のように固く、冷たくなってくる。


 誰もいない家に帰る。ゴミはいつから捨てていないだろうか。キッチンは物置きになっていて、床に落ちている髪の毛が多すぎて汚い黒板のように見える。

 シャワーを浴びた。体を洗うことがうまくできない。ただ浴びた。もう出そうもない歯磨き粉を出し切るように、粘り強く、私は目から水を出し続けた。喉を鳴らしても声が出なかった。聞こえなかった。

 体もロクに拭かず、冷凍庫を開ける。電子レンジに冷凍パスタを入れた。できあがったそれを2口で食べ切る。気絶するように数時間過ごし、私はまた玄関を開ける。

*     *     *


 "こういう日"は、いつも空に雲がなくて、水色をしていた気がする。

 一歩、また一歩。足を出そうとする。普段歩く時は、どうやって歩いていたんだっけ。最寄り駅まで歩いて10分もいつもならかからない。おかしい。たぶんもう30分は経っている。

 脳から指令を出して、足に「前に出すんだよ」と言うんだっけ。私は若い、健康な人間だろう。恵まれている人間だろう。私より苦労している人が世界中にたんまりといるだろう。だのに、なぜ、私はこんな簡単なことで足が前に出なくなるのだ。

 膝があがらない。視界が狭くなったり、戻ったりする。通り抜けられるはずなんてないのに、風が内臓をかすめていく感じがした。小鳥の声が聴こえた。飛行機の音が聴こえた。

 今度こそ視界が埋まった。目が閉まると、こんなに光が入ってこないんだっけ。日があれば、うっすら見えてこなかったっけ。

 アスファルトに頭をぶつける。過呼吸——という言葉すら当時は知らなかった。息が不自然にあがり、手足が痺れていく。会社に行かないといけない。会社に、行きたくない。会社に行くのが、当たり前で、それができない人間は駄目で屑であるではないか。他人に対しては一切思わない。だけれど私は、私は、いけないだろう。 


 
「君、自分の名前言える?」

 嗚呼、大人が私に話しかけている。答えないと。

 声がうまく出ない。手も足もうまく動かない。私は仰向けになっているようだ。

 もう一度声を出そうとしてみる。出ない。それなのに、目の横を伝うものだけがある。私は生きていけなくなる、そんな恐怖があった。どうやら救急車の中にいるようだ。いろんな道具が見えて、かっこよくて、可笑しかった。情緒が奇形だ。泣く、笑う、怒る、愉快だ。いろんな感情が胃の方からマグマのように沸いてきて、粘土の高い液体が飛び出してくる。

 気づけば私は病院のベッドにいた。

 ここがどこの病院かとか、今何時かとか、なんでも、どうでもよかった。私は呆れてしまうくらい普通の人間だったのに、どうしてこんなに哀しんでいるのだろう。何が痛みだったかもうまく思い出せそうにない。

 私は「鬱病」と診断された。

 病院に来てくれた上司に「しばらく休め」と言われた。ずっと、言ってくれなかったのに。やっと言ってくれた。私は自分だけが許せなかった。

 ぽとんと、家に帰って、腰を落とした。

 やりたいことは何もない。食べたいものもない。行きたいところもない。やっと、時間をかけて落ちてきて口に入ったそれは、ぬるくて、痩せ細った味がした。まだ外が明るくて、とても、嫌な感じがした。


*     *     *


 私が鬱病から抜け出せたのは、情けない理由だった。

 貯金が尽きたのだ。このままだと一人暮らしのこの家から追い出されてしまう。だから働きに出た。元気で、使える人間のような顔を作って。

 鬱病になった会社は、ずるずると辞めた。またあの時、同じ場所に私が戻ったとしても、立っていることすらできそうもなかった。

 面接に行った。いくつか受けた後、内定をいただいた。私は命を繋ぎ止めた。嬉しい、というより、ただなんとかなっただけという気持ちだった。生活が苦しいこと、心が苦しいことに変わりはなかった。

 病院で処方されていた薬は飲まなくなった。飲んだら、私は病人みたいで、せっかくピンと張れた糸が切れてしまいそうだった。本当はもっとたわませてよかったことは、今頃になってわかっている。

 

 数ヶ月後、私はまた退職した。

 せっかく働ける場所を見つけられたのに、結局続かなかった。人の目に怯え、責任の重さに耐えられなかった。簡単な作業すらもできなくなった。突出した才能もなく、飲み会ではやけに明るく振る舞おうとする自分がとても惨めに思えていた。いくら笑っても全部無駄になるようで、うっすら嫌っていた自分のことを、もっと色濃く避けるようになっていく。

 それでも働いた。働くしかなかった。

 正社員は無理かと思い、アルバイトでの生活を何年も続けた。学生の方に指導を受け、私はへこへことミスを繰り返す。メモを取り、予習復習もする。人の話もよく聞く。休まず働き、サボるなんてもってのほかだ。それなのに、私はいつも遅れていて、唾をかけられてしまった。悲劇のヒロインになるつもりはない。ずっと今も、どうしてできなかったのだろうとふけっている。

 これは私の話なので誤解しないでほしいのだが、私にもし、潤沢な資金があったら、まだ鬱病は治っていなかったかもしれない。

 人はよく「そんな職場早く逃げた方がいい」「心が折れてしまう前に辞めた方がいい」なんていうかもしれない。本当にその通りだ。優しい人たち、本当にありがとうと思う。だが、逃げるのも怖いのだ。辞めてしまうと、心が折れてしまいそうなのだ。

 逃げれば心の負債が積み重なっていく気がした。健やかに転職している人の話ばかりに目が行きがちだが、現実、ボロ雑巾のようになりながら職を転々としている人は多い。私もそのうちのひとりだった。

 それでも現在、私は鬱から"鬱症状"まで変化していくことができたと思う。抑鬱状態とも呼ぶだろうか。病気ではなくても、悲しいことが起きた時、つらい思いをした時、誰しも気持ちが落ち込むことはあるだろう。私は今でもその状態を重く繰り返している。かといって、楽しいことがあったら笑顔になれないわけではないし、面白いTVを見たら楽しむことだってできる。ただ心がいつでも安定しているとは正直言えそうにない。

 今でも必死に仕事を探して、ライターの活動をしている。10年かけて、自分がやりたいことを許すことができた。犯した罪が時効になったみたいに、私の心には確かな縫い目がつけられているのに、何も大丈夫になったわけではないのに生きている。

 ごはんを食べるのすら面倒だった。ただそれでも最近は自炊をして、なるべく美味しいものを食べるようにしている。食べた物は消えてしまうのに、どうして人はごはんを食べている時、笑顔なのだろうと長年不思議だった。

 食べずにいられたら一番ではないか。お金もかからないし。だけれど、人はごはんを食べる。「生きるために」なんて、哲学的な台詞を脳内に描きながら食べている人は少ないだろう。腹が減ったから食べるのだ。3食とると調子が幾分いい。ただそれだけだ。

 私が今までお世話になった会社たち。私が入社してもしていなくても、何も変わらなかったみたいな顔をしている。食べたごはんがなくなっているみたいに。

 私はあの会社の、栄養になれただろうか。養分になっていただろうか。言葉に棘がありすぎて扱いが難しい。私はなんのために働き、勤めていたのだろう。どこにも残らないのに生き続けるのは、全身に汗が流れるような不気味さではないか。


「考えすぎだよ」

 誰か、そう私に声をかけてほしい。ただ私は、私のように考えている人に「考えすぎだよ」なんて言えそうにない。勇気が足りないだろう。あなたの思考をただ、ただ、抱きしめてやることしかできないのだ。たっぷり愛のもった、どくどくした飲み物を全身に浴びたい。


 現在の私は、普通にご飯が食べられるようになっている。

 驚くべきことだ。10年前の自分からしたら信じられない。吐くまで食べるか、病院に搬送されるまで食べないか、その2択しかなかった私はもうほとんどいない。時折涙が溢れてしまうことも、食べ物を吐き出してしまうこともあるが、飯が食えているのである。なあ、わかっているか。これがどれほど素晴らしいことか。

 鬱病は寛解はするが、完治はしないと思っている。私みたいに何年も罹っている人は、治すというより、"こういう特性"と前向きに開き直ってしまう方が楽なのかもしれないと時折思う。それがどれほど難しいことかわかっていながら、こうしてその台詞をここに置いている。私はきっとこれから向こう何年も、鬱から離れられないだろう。ならどうする。

 また鬱になった。しばらく何もできない。何もしない。元気みたいになったら動く。またすぐに鬱になる。でもそれが、私だと受け入れていく。

 美味しいものを食べると心が晴れる。昔後輩が言っていた言葉を思い出す。私が倒れてしまう時はいつも晴れていたから、食べた途端に雨が降り出すような気がしてしまうのだ。なあ、私たちは誰に怯えている。

「雨が降ったらどうしよう」ではない。雨が悪い天気だと誰が決めたのだ。

 1週間前の天気を正確に覚えている人は少ない。ただ自分が、"涙を流すしかなかった日"の天気はよく覚えている。十分受け入れている。よくやっているよ。

 過去のどうしようもなかった時の記憶を一つひとつ食べて、必死に、消化してやりたいとおもう。


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詩旅 紡
書いて生きていくために頑張っています。 「文章よかったよー!」とか「頑張れー!」と思っていただけたら、あたたかいサポートをお待ちしております🍀 メンバーシップでもエッセイを書いているので、よければ覗きにきてください…!🌱