結局、発達障害でできる仕事がない。じゃあ諦めるのか。当事者としての現実、葛藤。
「私にもできる仕事、、」
最初から全部弱気だった。求人サイトの画面を、血眼になってスクロールする。誰かにもう迷惑をかけたくない。理解されないことも怖い。理解してもらおうとすることも甘えだと思ってしまう。
「今日も来てくれてありがとう」
私は毎日、決まったスーパーに通っている。毎日など通わず、まとめ買いをすればよいと思うかもしれない。ただ私は毎日来ることが難なく可能なのである。それは、仕事がほとんどないからだ。
現在はフリーでライターの仕事をしているが、根詰めて日々を過ごさなければ終わらない業務を抱えているわけではない。いやむしろ、抱えにいかなければならないのだろうが、そうも人生うまくいっていない。
スーパーは毎日安売りしているものが違う。こうして毎日通っていたら、毎回安いものだけを買える。だから何もこれは後ろめたいものではないと、自分に言い聞かせている。
「もう年末ね。いい年越しにしてね」
店員さんの口調は、いつも優しくて柔らかい。
スーパーの店員さんとだったら、こんなに私は朗らかに、楽しそうに、積極的にコミュニケーションが取れる。相手も、私を"いい人"だと思ってくれているに違いない。ただこうして話していられるのは、私が"お客さんだから"という至極当然な事情でもある。
私がこのスーパーで働く、同じ店員だったらどうだろうか。最初の頃は印象良くいられたとしても、私はミスも多い。同じことを何回も間違えてしまう。メモもきちんと取るし、人の話も漏らさず聞く、質問もする、復習も予習もする、サボったりなどしない。TODOリストや、チャックリストを自分で作成もする。それでもできなかった。できるところもあったのかもしれないが、私はそれを抱擁してやることができなかった。
私は普通そうなのに、段々皆、首をかしげていく。「君、大丈夫?」というたった一言を聞いただけで、申し訳なさと、どうしようもなさと、不甲斐なさと、哀しさが痛烈に襲ってくる。一言放たれただけでそうなってしまうくらい、私は20代でその人格が形成されてしまった。
ただ笑って仕事をしていたいだけなのに。
私も働くことはできる。働けるところはあるだろう。だけれど、生活を継続できるように稼ごうとしたら、どれほど責任が増える。どれほど、労働時間が増える。私はそれに耐えられるだろうか。発達障害以外にも、私はHSPの気質を多く含んでいる。
どこへ行っても、何をやっても迷惑をかけてしまう気がする。20代はいくつも職を経験した。うつ病、パニック障害、適応障害、色々なってきた。パニック障害は今も治っていない。
そして私は30代になって、発達障害を自覚した。昔から"そうだったのだろう"けれど、病院の人にきちんと相談をした。向き合う勇気が私にはそんなに簡単に形成されなかった。30代に入って、やっとである。
発達障害は、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動性障害)、LD(学習障害)などあるが、その中でも私はASDとADHDだと診断された。
そんな簡単に受け入れられるだろうか。「自分、発達障害なんです」とSNS上ではなく、人前で言うことは私はどこまでいっても叶わない気がする。
そもそも何も恥ずかしいことではないはずだ。実際私は福祉事業所で職員として働いていたことがある。そこで「自分、発達障害なんです」と勇気を持って語り、日々を逞しく生きて働いている人をたくさん見てきた。そういった人たちを私はサポートしてきたのだ。
「なんでも言ってくださいね」と、どんな人だって抱擁してきた。してきたけれど、自分のことは抱きしめられなかった。もっと抱きしめられるべき人がいるのに、私は何を言っているんだと叱咤した。
私は私をなかなか認めてやることができなかった。変なこれはプライドなのか、自己顕示欲なのか。こういった言葉を出すだけでも私は胸が苦しい。
でも本当は、認めないことが、甘えていることなのかもしれない。
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発達障害でもできる仕事をたくさん探した。
ASDの私でもできる職種はなんだろう。その中の働き方はどんなものだろう。例えば「マニュアルがある」「ルール変更が少ない」「定型作業が多い」「こだわりを活かせる」などを多く含んでいたら、私にもできるかもしれない。
ADHDも考えてみるとどうだ。「得意分野で集中しやすい仕事」「行動力を活かせる仕事」などが私に向いているのだろうか。そうだ。そうなんだよ。わかる。わかりすぎるけれど、丁寧に包まれた菓子折りのようにその仕事が渡されることなどない。何度も下唇を噛み、嗚咽し、打ち砕かれようと死に物狂いで掴み取らなければいけないんだ。そうして掴んだ気がした職も結局、私は離してきてしまった。
退職する度、私は狂いなく、なんのために生きているのだろうと思っていた。
仕事が全てではない。そう多くの人は言うだろう。だけれど人生全体で見た時、全く仕事をせずにいられることはない。仕事に従事できた上で、「仕事が全てではない」という鼓舞が通用するのである。
私は仕事がしたい。この言葉の中には、ひどく贅沢な想いが含まれているのかもしれない。責任やプレッシャーが少なくて、業務量も少ない。仕事も簡単なものが多い。時間も短い。だったら仕事がしたいです——、なんて。
誰かに迷惑をかけてしまうことが怖い。なるべくひとりで仕事に当たれるように今はライターの仕事を頑張ろうと日々活動している。ただいつかは貯金が尽きる。この自分のしている仕事で人並みに稼ぐことができ、誇りを持てた時、私は「自分、発達障害なんです」と言えるのかもしれないが、それは何もゴールではない。
こうして毎日書いていたら、誰かが見つけてくれて、誰かが救ってくれるのではないかと思ってしまう。怠惰に日々過ごしているつもりはない。自分くらい報われてもいいのではないかと思ってしまう。フリーになった今、企業に属して働くことより、私は茨の道を歩んでいるのかもしれない。ただ「企業に属した方が何倍も楽だよ」と言われたって、私にはそれができなかったんだ。だからそれ以外でできる方法を模索するしかなかった。
これから先、一生正社員ができないのかと聞かれたらそれはわからない。ただ私たちは必ず老いていく。残りの時間を、私は正社員への道に賭ける勇気はない。10年失敗してきたのだ——
ねえ。本当に失敗だったのかな。
私は些細なことで涙が出てしまう。人が懸命に働いている姿、人が健やかに笑っている姿、人が柔らかな優しさを見せている姿。そういった姿を見て、ぽろぽろと涙が出てしまうのは、私も、そうなりたいと願い続けているからかもしれない。
人生が勝手に好転していくことはない。もがいて、あがいて、何とか自分にできることを探して、誰かが助かることを考えて、言葉を紡いでいく。突然宝くじが当たることはない。ただどこかでふと、「この瞬間は、今までの積み重ねのおかげだろう」と認められると盲信している。その想いを「勇気」と置き換え、今日も文字を書いている。
人生で奇跡が起きることはない。ただ私は自分を抱きしめられた時、自分の努力を、奇跡と呼べるようになりたい。
体と心を冷やさないように。みなさん。良いお年を。