20240627 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」 0012 「ソクラテスの弁明」 無知の知 ソクラテス入門
ぼくの大学の卒業論文は「ソクラテス」についてでした。
西洋古典文学を専攻していたので、「ソクラテスの弁明」は、古代ギリシャ語で読んだんですよ。もう40年も昔のことです。
古代ギリシャ語、とっても難しくてね。死ぬほど勉強したのに、もう全部忘れちゃいました。笑
余談ですけれど、何かを一生懸命やることは決して無駄にはならないんですよね。ぼくは若い頃剣道も頑張りましたけど、今はやっていません。でもあの時剣道に打ち込んだことが、今の自分を作っていると思っています。
こんなことやって何になるのかな?と思うこともあるでしょうけれど、一生懸命やったことは本当に決して無駄にならないんです。
ぼくは英語の先生を30年やりましたが、古代ギリシャ語を勉強したことがどれほど役に立ったか分かりません。何より、ぼくの人生を豊かなものにしてくれました。
さて、ソクラテスです。
ソクラテスは、古代ギリシャのポリス、アテナイ(アテネ)の人で、今日の哲学、科学の父と言ってもよいでしょう。一言で言えば、「真理の追求」に生涯をささげた人です。この探求姿勢が、哲学や科学の父と呼ばれるゆえんです。
真理はある、という立場と、真理などない、という立場が古代ギリシアの時代からありました。
ソクラテスは真理があるという立場です。もし真理がなければ、あるものは人間の判断だけということになります。そして真理を探究するという行為自体に意味がなくなってしまう。この真理を探究する姿勢というものが、のちに科学を生む訳です。この世界を支配する法則がある、という前提で科学は成り立っているんですから。
では哲学の世界ではどうでしょうか?哲学的真理とは、善とは何か、美とは何かという問題でした。
結論から言えば、ソクラテスは真理に到達できなかったんです。結局彼が到達したのは「自分は何も知らないということを知る」、無知の知でした。面白いことにこれは彼の出発点でもあったんです。
それでもソクラテスが偉大とされているのには理由があります。
まず、「真理を求める姿勢」。この姿勢を失えば、人間は自分の判断を絶対化する、いわゆる自己絶対化の危険に陥ってしまう。「知る」という行為自体にも意味がなくなってしまうんです。
真理はある。だから、自己絶対化の罠に陥らずに、「自分は何も知らないのだ」という謙虚な姿勢を持て。
しかしそれでも真理はあると「信じて」探求し、学び続けよう。理性的、合理的精神で学び続け、決して妄信に陥らないようにしよう。これが人間にできる最大の良い生き方なのだ。
もう一つが「良く生きる」という考え方です。
良く生きるとは、自分の判断を絶対化せず、感情や迷信、権威、利害、私利私欲に惑わされることなく、理性的、合理的に考えて正しいと思った道を生きる、ということです。これはリベラリズムの神髄でもあります。個人的には、昨今リベラリズムが退潮しているのは、この神髄を忘れたからだと思っています。
ソクラテスは、真理の探究と生きることを決して分離しなかった。真理は、人としてどのように生きることが良いのか、という問題でした。
ソクラテスは既成概念を破壊し、若者を惑わせたということで、死刑を宣告されます。彼はその判決を受け入れます。それは、彼が信じた哲学と生きることは決して分離できないという信念に基づくものでした。(これがぼくの卒論の結論でした。)市民である限り法に従うのは善である。しかるに自分がその法的手続きによって死刑を宣告されたからと言って逃亡すれば、言っていることとやっていることが違うことになる。哲学は言行不一致でも良いという見本を示すことになってしまう。
彼にとっての哲学は、まさに命をかけての探求だったんですね。
ちなみに現代の哲学は、真理の探究ではありません。生きることと分離して、数学的になっています。他方、生きる上で必要な善悪の問題は、対話による相互理解によって模索するという方向に進んでいるようです。面白いのは、ソクラテスが真理の探究に選んだ手段が「対話」だったんですよね。そういう意味で、ソクラテスは現在でも高く評価されているんです。分断が叫ばれる現代社会において、とても大切なことだと思っています。
ぼくはギリシャ語は忘れちゃいましたけれど、「真理の前に謙虚になること」「自己絶対化をしないこと」「良く生きること」、こういうソクラテスの教えを大切にして生きようと努力しました。その結果、まんざら悪くない人生を送ることができたと感謝しています。
田中美知太郎先生訳の「ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン」という本が中央公論社から出版されています。解説本ではなく、翻訳でも原典を読むことをおすすめします。そんなに難しくありません。ぼくでも読めるぐらいですから。
そして何といっても原典には力があるんです。
人生を変えるほどの。