書評 坂口安吾「白痴」つじもとひでお「漫画 白痴」イラストエッセイ「読まずに死ねない本」037 20250111
坂口安吾の「白痴」。
戦争末期、敗戦色濃厚の中、国の宣伝映画の監督、伊沢は虚しさを覚えていました。
そんなある日、隣家に住む気の触れた男の妻である、知的障がいのある女性が姑からの迫害を逃れて彼の部屋に転がり込んできます。
伊沢と白痴の女の肉体関係だけの生活が始まります。
そこへ、大空襲があり、二人は命からがら逃げだす、というお話です。
実に背徳的なお話なのですが、淫靡な雰囲気はありません。むしろ、女を抱く伊沢は冷めている。女を意識を持たない肉体だけの「豚」とさえ思う。野生というか、本能のままに生きる肉の塊が描かれています。淫靡さというのは、文化的なものですが、そういうものではないんですね。
連日の空襲で東京は焼け野原になっています。そこには焼け焦げた死体が並べられている。その死体を見て、伊沢は「犬のようだ」と考えます。
ここにも、人間性が失われた動物としての人間が描かれています。
戦後、「白痴」が刊行されると、読者、特に若者は衝撃を受けたと言います。そして、生きる希望を得たと。
なぜなんでしょうか。
第二次世界大戦の敗戦は、明治維新以来の日本の価値観をくつがえしました。特に戦前では、「富国強兵」「忠君愛国」「滅私奉公」「大東亜共栄圏」のような価値観が国を支配していた。それが根底から崩れ去ったのです。
人々は、特に若い人たちはこれから何を信じて、なにをよすがに生きて行ったら良いのだろうかと、呆然自失としたことでしょう。
主人公の伊沢は、隣家の妻を寝取る。これだけでも大問題であるのに、彼女には知的障がいがあって、その肉体をほしいままにするのですから、反社会性の極みです。
しかも同時に巷では連日の空襲ですべてが焼き尽くされ人間が犬のように死んでいる。
ここに描かれているのは、己の肉体、動物性のみを信じる男です。世間体や世の中の価値観をよすがに生きている連中とは違う、自分の生き方を自分で決する、破れかぶれの男の姿です。だってもう世間を頼ることはできないんですから。「世間」は焼け野原になってしまっているんですから。
当時の若者はこの小説を読んで、呆然自失状態からはっとなり、そうだ、これからは己のみを信じて生きてゆくのだ。誰かに認めてもらおう、褒めてもらおうと思って生きていたのではダメなのだ、ということに気付いたのかも知れません。
ぼくは日本文学全集を通読したことがあるんです。
近代日本文学の歴史の中で、こういう力強い作品は他にありません。
(もちろん、中世にはありました。日本は何度も何度も、こういう大きな価値観の転換を経験してきたのですから。)
神国、皇国。このような美しい言葉、ある意味プロパガンダに頼って自分の存在価値を認めようとする最大の難点は、これが遅かれ早かれくつがえされる日が来る、ということです。
共産主義であれ、民族主義であれ同じことです。それは事実ではなく、虚構です。物語なんです。
もちろん、哲学者のユバル・ハラリ氏が指摘するように、人間は「物語・虚構」の中に生きたがるものだということは否定できません。
しかし虚構はいつの日か崩れ去る日がくる。
己の存在価値は、たとえ卑小であっても、この己という現実から出発するしかない。その最も根源的なものが己の「肉体」である。白痴は、その根源的な肉体を表す暗喩、メタファーととらえることもできるかも知れません。
このような「実存主義的」メッセージが、「白痴」にはあり、それが読者の心をつかんだのだと思います。
さて、今日は一つ宣伝をさせてください。
ぼくは、この「白痴」を原作にして漫画を描きました。
漫画の処女作ということになります。
漫画の出来はともかく、38ページで「白痴」のあらすじを知ることが出来るだけでも、何かのお役にたてるかなと思っています。笑
キンドル版(電子書籍)しかありません。
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