書評 トーベ・ヤンソン 「ムーミン・シリーズ」その魅力について 「子供の頃は何もかもが魔法だった」「読まずに死ねない本」035 20241212
前回、「ムーミン谷の彗星」をご紹介しました。
それで、今日はムーミンシリーズの魅力について、もう少し突っ込んでお話してみたいと思います。
ムーミン・シリーズの魅力の第一は、その世界観だと思います。
ぼくは、それを一言でいうと「子供の見た世界」だと思っています。
子供の頃に見た世界って、魔法に包まれていたと思いませんか?
あの山の向こう、海の向こうには何があるんだろう。
あのもの陰には何が住んでいるんだろう?
古い納屋や天井裏、地下室、土蔵、そういうところに不思議な存在がいるのではないか。
風はどこから来て、どこへ行くのだろう?
赤ちゃんはどこから来るのだろう?
世界は不思議なことに満ちていました。
春になると草木が芽吹き、虫たちが現れ、夏になると入道雲がわいて、秋には木の葉が舞って焚き火のにおいがし、冬になると世界は雪に閉ざされる。雪の一粒一粒には、美しい彫刻がほどこされている。それらすべてが魔法のようではなかったでしょうか。
冬には白鳥が北の国からやってきて、春になると帰ってゆく。
お正月には、獅子がやってきて、家の前でダンスをする。
やってくるのは動物だけではありません。お盆になると、死者が家族を訪ねてくる。そして家族は死者を迎えるために忙しく働いていて、親戚の人たちが集まって来る。
アリジゴクを見ながら一日過ごしたことがあったでしょう。
アリの行列を追いかけてどこまでも歩いて行ったこともあったでしょう。
息をひそめて川に住む魚やカエル、ザリガニを捕ったでしょう。
レンゲの花で編んだ髪飾りをつけると、お姫様のような気持になったでしょう。
勇気を出してブランコから飛び降りた時、そしてけがをして血が出ても泣かなかった時、どれほど誇らしかったことでしょう。
林の中で不思議なものを発見して、友達と「秘密」の宝物にしたでしょう。
大好きだった幼なじみと結婚の約束をしたでしょう。
こんな風に、少年時代、世界は全て不思議で、魔法のようでした。
ぼくの孫の三歳の女の子は、町の中にある大きなガスタンクに、ピースマークのような顔が描いてあるのを見て、目を輝かせて喜んでいました。そしてその道を通るたびに、「お友達はいるかなー」って窓からガスタンクを探すんです。彼女の眼には町の中に丸くて大きな生き物が生きているように見えるのでしょう。
ところが、大人になるとそれらの魔法は消えてしまいます。いわゆる科学的事実が、例えば「サンタクロースはお父さんなんだよ」と告げる訳です。
そして、春が来ても冬になっても、白鳥が飛んでいるのを見ても「当然」のこととして、感動を忘れてしまうんです。白鳥が帰って行く先は、地図で示すことが出来、地名さえも分かっている。
トーベ・ヤンソンは子供の目で見た世界をムーミンランドとして作り上げたのだと思います。
だから、ムーミン・シリーズを読むと、懐かしい子供時代の友達と再会したような喜びがあるのだと思います。
魅力的なキャラクターも、ムーミンシリーズの魅力です。
これらのキャラクターは、現実世界の存在を子供の目で見たように描かれていると思います。
パパは小説家であり夢想家です。ちょっと現実離れしています。それは実際のお父さんたちはほとんど家におらず、どこか知らない世界で働いていることが多く、子供の目から見た時に、彼らが架空の世界に生きているように見えることを表していると思います。
ママは無条件の愛を示す存在として描かれています。子供にとって母親はそういうものなんです。理屈ではなく。「楽しいムーミン一家」で、ムーミンが化け物の姿になってしまうのですが、ママは少しもあわてず騒がず、その化け物が息子であることを見抜きます。ぼくは子供の頃このシーンを読んで、ものすごく感動した覚えがあります。「やっぱりお母さんは自分がどんな姿になっても分かるんだ!」って。笑
ぼくにもスノークのおじょうさんのような小さな恋人がありました。幼稚園の時に結婚を誓った相手が。笑 その約束はとっても神聖なものに思えました。
スナフキンは社会規範の外側に住むトリックスターです。どこの家族にも変なおじさん、変なお兄さんという存在があって、お父さんやお母さんの教える「まっとうな道」とは違うことを教えてくれます。タバコだったりロックだったり、時にはエッチな本を貸してくれたり。そうやって子供の世界を広げてくれた謎の存在。
ニョロニョロは自然そのもの。
ぼくが一番好きなのは、「飛行おに」です。魔法の帽子を持ち、空飛ぶ黒い豹といっしょに暮らしている孤独なひと。宇宙で一番大きなルビーの王様を探し求めています。ちょっと怖いけど魅力的な大人は、子供から見ると「飛行鬼」に見えるのです。偉大なものを追い求めている人って、孤独なんですよね。それに対して、常識的で頭の固い大人はヘムルとして描かれます。笑
ロッドユールも大好きなキャラクターです。
コーヒーの空き缶に暮らして、ボタンを集めるのが趣味というひと。スニフのお父さんなんですが、こういう、小さな世界で小さな幸せに満足する小さな生き物になりたいなって、子供の頃はずっと思っていました。
ムーミンは子供の頃の自分自身です。ムーミンが自分自身の外向的な側面を表すのに対して、ロッドユールは内向的な自分を表しています。
さて、トーベ・ヤンソンはずっと子供の目で見た世界を描き続けました。同性愛者だった彼女は、愛人(トゥーティッキ・おしゃまさんのモデル)と無人島で暮らしましたが、ぼくは基本的には孤独な人だったと感じています。キャラクターたちは永遠に子供のままですが、自身は年老いてゆきます。シリーズ最後の「ムーミン谷の十一月」には、現実と向き合おうとするトーベ自身の姿が描かれているようにも思います。
ぼくは還暦を過ぎ、つまり老境に入りました。
現役時代というのは、義務と責任の大人の時代。魔法のない科学的因果関係の時代とも言えます。そして現役時代の合言葉は「忙しい」。(トーベ・ヤンソンが何より嫌った言葉だと思います。)
その大人の世界から引退してみると、子供の世界が妙に懐かしくなります。河合隼男先生も述べられていますが、社会的責任の世界の外側にいるところや、死に近いという点でも老人と子供は近いのだそうです。(子供は生まれたばかりで死に近く、老人はもうじき死ぬという意味で死に近いのです。死というより、あの世、ですね。笑)あと、暇なところも。笑
一方で、たくさんの経験をしているから、物事の先が見えてしまう。すると何もかも面白くなく、退屈になることもある。これ、じゃこうねずみ的状況ですよね。
じゃこうねずみにならないように気をつけようっと。
そして、もう一度ムーミンのような目で世界を見ることを思い出そう。
そう思う今日この頃です。現役のみなさんは、忙しく頑張ってくださいね。笑 「全てのものごとには時がある」のですから。
歳をとるのは楽しいですよ!みなさんが魔法の世界に戻って来られるのを心よりお待ちしています。笑