あなたは決して他人の不幸の原因ではない
こんにちは!!
丘咲 つぐみです。
4回目の記事になります。
虐待を受けている子どもは、よくこういいます。
お母さんが好き、
お母さんを信じている、
だって、悪いのは私だから、
でも、この言葉は、正確ではないのです。
正確には、「好き」とか「信じている」ではなく、
好きと思わないと生きていけない、
信じていなければ怖くて生きていけない、
だって、悪いのは全部私だとお母さんが言うから。。。
というメッセージなのです。
よく、こういうセリフを子どもに語る親がいます。
子どものため(あなたのため)に離婚しないんだよ、
子どものため(あなたのため)にお仕事たくさんしてるんだよ、
と。
一見、「子どものために犠牲になれる良い親だよ」と見えてしまいそうになるけれど、これは違うのです。本当のメッセージをすり替えて、親は自分の負い目を子どもに押し付けているだけなのです。
この言葉を聞いた子どもは、
わー、私のお母さんってなんてステキなお母さん!!
とは受け取れません。。。。
なぜなら、この言葉は、
あなたが不幸(離婚できないことや、お仕事をたくさんしなければならないこと)の原因を作っている、と言っているのと同じことだから。
これを聞いた子どもは、
私はあなたの不幸の原因です
私なんていない方が良いのです
と思ってしまいます。
つまり、お母さんが子どもに対して、「あなたなんていない方が良い」というメッセージを送り続けているということなのです。
まるで、呪いの言葉のよう。
呪いの言葉は、深く深く子どもの心に刻み込まれていきます。
きっと、虐待サバイバーの多くの方は、このような呪いの言葉を抱えているのではないでしょうか?
親がなぜ、このような呪いの言葉を我が子に送り続けなければならなかったのか。。。
それは、そうしなければ、そう思わなければ、自分の不幸の原因は自分自身の中にあるのではなく子どもにあると思わなければ、親自身が生きることができなかったからなのです。
そうだよ!
だから気付いて!!
虐待サバイバーのあなたがいたから親は生きて来られたんだよ!
「自分が不幸の原因を作っている」とか、「自分なんていない方がいい」なんて、ホントは逆なんだよ?
あなたかいたからこそ生きられた人がいるんだよ?
虐待サバイバーの方たちに、そのことに気付いて欲しい。
ある意味では、虐待サバイバーたちは、自分の人生を親のせいで棒に振った、ということかもしれないが、それだけで人生は終わりではない。
フツーなら起こらないような大変な地獄道を何度も倒れながらも歩いたことで、人間を深く観察することができて、人間を深く理解することができる、人生に対するフツーなら手にできなかった納得を手にすることができたはず。
それは、フツーの人生であったなら、手にできなかった人間として深い胸中に辿り着けたということ。
親に翻弄され、憎まれた人生だったかもしれないが、それで人生は終わりではない。
あなたが生きていたから生きられた人、あなたが生きていなかったら生きられなかった人がいるのです。
虐待サバイバーの方たちに、どうか、そのことに気付いてもらいたい。
だから、あなたが他人の不幸の原因だなんて、もう思わなくていいんだよ?
あなたの命は、とても貴重で尊いのです。
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