ベテラン印刷営業

約50年間、東京で主に印刷営業として勤めて来ました。昇格と共に現在108年続く京都本社に4度の単身赴任も経験しました。現在は東京で営業サポートを中心に、京印工組の組合活動にも参加させていただいています。明るく、楽しくをモットーにこれからもこの業界に携わって行こうと思っています。

ベテラン印刷営業

約50年間、東京で主に印刷営業として勤めて来ました。昇格と共に現在108年続く京都本社に4度の単身赴任も経験しました。現在は東京で営業サポートを中心に、京印工組の組合活動にも参加させていただいています。明るく、楽しくをモットーにこれからもこの業界に携わって行こうと思っています。

最近の記事

私の処世術 その2

私が思う、人との付き合い方 前回の記事はこちら↓ know who > know how 50年近く営業をしていますといろんな方々とお付き合いをする機会がありました。ここでは仕事を通してお付き合いが始まった方々との話を書こうと思っています。私のような小さな世界で生きて来た人間は自慢出来るほど多くの人とお付き合いはしていません。生まれつき人見知りで引っ込み思案の私は営業には不向きだと今でも思っています。そんな私に最初は仕事だから仕方がないと割り切ってお付き合いして頂いたお得意

    • 私の処世術 その1

      サラリーマン5種競技 ご存知ですか 私は、とある化粧品会社のベテラン営業の方から「中嶋君、サラリーマン5種競技やろう、参加するか?」と誘われたことがあります。私が担当していた頃の化粧品業界は百貨店や直販店を中心に販売する制度品と呼ばれていた化粧品メーカー、二次流通を通してスーパーや小売店で販売する一般品と呼ばれていた化粧品メーカー、そして家庭を中心に訪問販売をメインにしていた化粧品メーカーに分類されていました。私は一般品と呼ばれていた化粧品会社を複数と訪販化粧品会社を担当して

      • 印刷営業心得②

        前回の印刷営業心得はこちら↓です。 お客様との付き合い方 我々営業は、人(お客様)を相手に商売をしています。すべての業種の営業に共通することです。当たり前のこと、何を今更と思われる方が殆どだと想います。どちらかというと不特定多数の人ではなく、決められた相手の方と商売するのが我々印刷業の営業でした。もちろん同じビジネススタイルの職業があることも充分承知しています。敢えて過去形で営業でしたと書いてみました。現在では印刷業界も大きく変化し、昔のように印刷物を発注してくれる担当者だ

        • 印刷営業回顧録④

          今まで書いてきたことは物語でもなんでもありません。私のようなごく普通の人間が普通に過ごして来たかを綴っています。私以上に山あり谷ありの人生を送ってこられた方々は社会に多数いらっしゃると思います。そのような方々にはつまらない話かと思いますが、これから何十年もの人生を送られる多くの人が少しでも何か気づいていただければ嬉しいです。もう少しお付き合いください。 印刷営業マンの心得 前回の記事の続きですが、まったくの素人が(大抵の人が素人からスタートしますよね。私だけが特別ではないの

          印刷営業回顧録③

          私はこうして印刷営業として育ち、そしてこのような営業になりましたこのNOTEは今の人たちをはじめ、皆様には何の参考にもならないかもしれません。団塊の世代の昔話にしか聞こえないでしょう。しかし何かを感じてもらえれば嬉しいです。全ての世代の人たちが、私も経験したことのないコロナ感染という困難に立ち向かわなければならない時を迎えています。これからいろんな場で数多くの経験・体験をされるでしょう。 後日、私のように、あんなことがあったよね、楽しかったよね、苦しかったよね、辛かったよね

          印刷営業回顧録③

          印刷営業回顧録②

          印刷業界で生きてこられたのは恩人のKさんをはじめ皆さんのおかげです 社会人1年生、まだ、どんな職種に就くのかも決まっていない時、入社した製版印刷会社で当時はまだ係長だったKさんと巡り合いました。私よりひと回りうえの同じ干支で転職組の係長さんでした。当時は工務として印刷受注品については、制作・版下・製版を除き、用紙購買や出版社から支給される用紙の管理と手配、印刷予定に合わせた刷版手配、外注も含め印刷機10台以上の予定作成と進捗管理、とりわけ身勝手営業のわがまま注文による予定変更

          印刷営業回顧録②

          印刷営業心得

          営業マンの最後に責任を持たなければならない工程があります。加工から無事にお客様に納めるまでです。時には立会いまでやって頂いた印刷、良く云われることですが色見本通り・奥行きや深みがある・調子が出ている・濃淡が出ている・シャープさがある、逆に柔らかさがある・中間部分が出ている・ライト側が飛んでいない・シャドウ部がつぶれていない・ゴミや汚れやピンホールがない・文字欠けがない。見開きの調子が揃っている・平アミが揃ってきれいに刷れている等、嫌になるほどチェックしながら刷了した印刷物が一

          印刷営業回顧録①

          印刷営業スタート 50年前、私の印刷営業人生が始まりました。東京の製版印刷会社でのスタートです。当時都内では10本の指に数えられた、製版が本業の会社です。印刷については、4色機 2色機 単色機など5台が稼働していたのを覚えています。 印刷の知識をまったく持っていない素人営業マンが入社した翌日から営業に出るのですから、今から思うと恐ろしい話です。最初は上司や先輩についての営業が中心でしたが、時には単独でお客様訪問をすることも度々ありました。今の私があるのは、この時会社の営業上

          印刷営業回顧録①

          リーマンショック

          リーダーとして直面したリーマンショック  営業生活で経験3つ目の大きな出来事、それは2008年9月に起こったリーマンショックです。アメリカの投資銀行 リーマンブラザーズが破綻し、それが契機となって世界的な株価下落、金融危機、そして世界同時不況が起きました。専門的な経済の話はさておき、我々は大変な苦境にさらされました。オイルショック、阪神淡路大震災も苦しかったですがリーマンショックは更に厳しい状況でした。現在、働き盛りで20歳代に経験された方々も多数いらっしゃると思いますが、当

          リーマンショック

          筆を執るにあたって

           STAY HOMEと三密でコロナ感染拡大防止を呼びかけられています。大変な事態になって来ています。一日も早く終結される日を待ち望んでいます。 外出自粛要請で私の長い印刷営業生活のなか、自宅で営業を、なんて初めての経験です。足で稼ぐ営業からWEBを駆使した営業が主流になることは理解しているのですが、インバウンドマーケティング・インバウンドセールスがいきなり我がことになりました。対面営業がテレワークで済ませる、少し不安ですがお客様もテレワークなので問題なしとのことです。  弊

          筆を執るにあたって

          阪神大震災

           阪神淡路大震災、リーマンショック、東北大震災は現在勤めている土山印刷で経験しました。  東京営業所勤務だった時の阪神淡路大震災ではやはり本社のある関西・京都が大丈夫かとすぐに思いました。テレビで見る神戸の惨状から、神戸の方には申し訳ないのですが京都は?と心配しました。京都出身の私には身内が大阪・神戸にもいましたし、転勤で宝塚に引っ越されたお客様、大阪単身赴任の方もいらっしゃいました。何よりも会社が、そしてお得意様に大きな被害が出ていれば自分達はどうなるのか?と不安がよぎっ

          オイルショック

           1973年に起きたオイルショック、1995年の阪神淡路大震災、2008年のリーマンショック、そして2011年東北大震災と4つの大きな出来事を経験しました。その他にも新潟中越地震や熊本地震、西日本で発生した豪雨災害もありました。被害を遭われた方々には大変申し訳ないのですが私自身は直接の被害は受けることがありませんでした。  オイルショックの時、まだ結婚したての頃で給料が4万円前後だったのですが、その影響で一気に2万円程度上がった記憶があります。前職の社長、大変だったと思いま

          オイルショック