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リーマンショック

リーダーとして直面したリーマンショック

 営業生活で経験3つ目の大きな出来事、それは2008年9月に起こったリーマンショックです。アメリカの投資銀行 リーマンブラザーズが破綻し、それが契機となって世界的な株価下落、金融危機、そして世界同時不況が起きました。専門的な経済の話はさておき、我々は大変な苦境にさらされました。オイルショック、阪神淡路大震災も苦しかったですがリーマンショックは更に厳しい状況でした。現在、働き盛りで20歳代に経験された方々も多数いらっしゃると思いますが、当時の私は東京営業所を任されていました。寝ても覚めても数字がちらつく日々でした。上からは「どうなっているのか、どうするのか」の問い合わせが続きました。「具体的な数字と取組みをスケジュール化して実現しなさい」が至上命題でした。腹の底では、世間がこう云う状況だから無理ですと云いたかったのですが、そこは営業です。この際、営業所員全員で精神論の営業スタイルで乗り切ろうと話し合いました。格好つけではないのですが、責任は自分が取るからと云いました。どのように評価されたかはわかりませんが、よく頑張ったと思っています。今、東京営業所が成長出来たのも当時不満と不安を抱えながらも時には目をつむり、ハッパをかけ続けて貰った社長のおかげと所員がついて来てくれたからだと思っています。リーマンショックで学んだことは、言葉で云うのは簡単ですがリーダーを信じついて行くこと、また、ついて来てくれる仲間がいることでどんな難局も乗り切れると云うことです。

 もちろんマネジメント力も必要です。現在の社会ではあらゆる局面に対応するマーケティングも生み出されています。それに伴うツールも用意されています。多様化したビジネススタイルに対応出来るのは、早くから準備し、対応できるようそれぞれが学んで来たからだと思います。それを実行出来ているのもリーマンショックを経験し、「印刷会社は強いものが生き残るのではなく、変化に対応したものが生き残る」にシフトチェンジされたトップのリーダーシップがあったからこそと思っています。精神論営業のリーダー?の私もこの時危機感を持ち、少しずつですが変化をするようになりました。私のリーダーシップ論も少し進歩したのかと思います。

リーマンショックと新型コロナウィルス

 コロナとリーマン、どちらも我々にとって経済・社会問題、身近な問題ととらえれば自分達の生活に影響を及ぼす事件?です。避けて通れない事件?です。自分で解決しなければならない事件?でもあります。今回の事件?に関して犯人はコロナです。犯人を一日でも早く捕まえましょう。犯人に負けないようにするのは我々自身、読者の方自身の責務です。

 コロナ感染拡大で諸外国ではロックダウン、日本では8割の外出自粛要請がされています。東北大震災も私の長い営業生活のなかで大きな事件・ショックでした。阪神淡路大震災と東北大震災は自然災害の恐ろしさを全国民が味わいました。阪神淡路大震災では高速道の崩壊、幹線道路の不通、高層ビルの倒壊、商店街炎上等、生まれて以来経験したことのない震災でした。

 子供のころ大きな台風が日本にも数多く上陸し、学校が休みになったり、早退になったりしました。家の前の道路に屋根瓦が飛んで来たり、看板が飛んでガラスを割るのでベニヤ板を張ったり、家によっては畳を張るところもありました。今の人には想像つかないかもしれませんが、昔はそうでした。1959年の伊勢湾台風が、阪神淡路大震災が起こるまでは私の中では一番大きな自然災害でした。恐ろしい光景を家庭の白黒テレビで見た時のことは今でも鮮烈に覚えています。もちろん大多数の方はご存じないと思います。実際に遭われた方々には申し訳ないのですが、私自身や家族には直接の被害はありませんでした。被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げますとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。


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東日本大震災

 そんな阪神淡路大震災や大水害を超える東日本大震災は想像を超えるものでした。ショックなんてものではなかったです。2011年3月、私は京都本社で単身赴任の身でした。地震が起きてどのくらい時間が経過していたのかですが、京都西大路駅付近の新幹線高架で車両が上下線とも停まっていたのを記憶しています。まだ地震のニュースを知らなかったので、なぜ新幹線が停まっているのか不思議に思いながら会社に戻り、初めて大地震があり、津波が空港へ押し寄せ、飛行機を流している光景を見ました。大変な事が起きているとその時初めて感じました。津波が東北各地を押し流している恐ろしさは生涯忘れることはないと思います。私事で恐縮ですが、その年の1月に自宅を建て直し、引っ越しをしたところでした。電話が通じにくかったのですが、ようやく通じた時が余震の来た時でした。女房が出たのですが、「ちょっと待って、今、大きな揺れが来ているので外に逃げるから」と云っていたことを覚えています。そのような時、家を留守にしている不憫と、大丈夫と云う女房の強さに感心しました。当時、実家が被災地にあり、たまたま里帰りしていた社員がいました。社長の社員を気遣う姿勢には感心したことも記憶に残っています。会議で何度も救済について議論しました。何日かして本人と連絡が取れ、ご家族共々無事の知らせを聞いたこと、避難生活が大変なことを聞き、全社をあげてサポートに取り組んだ会社の素晴らしさ、仲間の優しさを感じました。東京でも営業に出て、連絡が取れない営業、戻れない営業が殆どでした。何時間も徒歩で帰ってきた営業、大変でしたね。車で迎えに行けない事情もありました。

 この震災で我々の業界も影響を受けました。皆さんもご存じのように、製紙工場、用紙倉庫、印刷工場などの被害が多く出ました。阪神淡路の時も物流の被災復旧が優先で滞ったり、不通区間が出たりでした。東北震災も同様でしたね。被災された地元企業の生産がストップし、被害を受けなかった地域の企業が協力したことも多くありました。今で云うBCPで乗り越えられた企業も今では元の姿に戻られています。

最後に

 回想録のようになっていますが、現在のコロナ感染拡大の中で我々は如何にして立ち振る舞うかを考えてみましょう。私個人が思うのは、まず、拡大を防止するには三蜜をしない、そのためにも不要不急の外出は控えることが最優先だと思っています。営業生活の中で4つの大きな不幸な出来事に遭遇して来ました。そして5つ目の不幸な出来事に今遭遇しています。しかし必ず乗り越えられます。私のような力のない人間でも今このようにして活動を続けられています。家族も養い続けられています。これも社会・会社・仲間、そして家族のおかげです。

 でも云えることは、苦しい時々、社会・会社・仲間・家族のためにあきらめることなく、精一杯やってきました。弊社の社長が云うモットー「いつも明るく笑顔で頑張っていれば必ず素晴らしい未来がある」を信じています。どうせやるなら明るく楽しく一日の仕事を終えましょう。これを忘れてリーマンの時、胃潰瘍を患いました。皆さんに関係ないことですが、私の経験での大反省です。

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 コロナ感染などに負けない、それには皆で力を合わすこと、ひとりで背負っては大変だし、前に進まないと思います。
次回からは、長い営業生活での参考にならないかもしれない話をしたいと思っています。

 これからもよろしくお願い致します。

※最後写真は2019年の弊社社員懇親BBQの集合写真です。東京の私は残念ながら参加できませんでしたが、こんな笑顔が集まる機会がまた生まれることを願って。

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