印刷営業回顧録②
印刷業界で生きてこられたのは恩人のKさんをはじめ皆さんのおかげです
社会人1年生、まだ、どんな職種に就くのかも決まっていない時、入社した製版印刷会社で当時はまだ係長だったKさんと巡り合いました。私よりひと回りうえの同じ干支で転職組の係長さんでした。当時は工務として印刷受注品については、制作・版下・製版を除き、用紙購買や出版社から支給される用紙の管理と手配、印刷予定に合わせた刷版手配、外注も含め印刷機10台以上の予定作成と進捗管理、とりわけ身勝手営業のわがまま注文による予定変更にも対応、そして最後のしわ寄せになる製本や加工の手配と管理、もちろん外注の協力会社にも頭をさげての予定変更は毎日のようにありました。最終工程の納品や発送までも面倒を見てもらえる、どれだけ助けられたかわかりません。営業の見積価格に合わせる?仕入れ価格交渉の方法や、売値に対しての考え方や利益の出し方についても工程設計と抱き合わせた算出方式を教わりました。私も入社後半年位までは印刷とは何かを知ることからスタートし、理解するための期間でした。恥ずかしい話ですが、前にも書いたかどうかですがオフセット・活版・グラビアの区別さえつけられない全くの素人でした。そんな素人の私に印刷全般についてからスタートし、印刷の中で何が難しく、何が簡単かをKさんから言葉だけでなく態度で教えられました。
もちろんKさんだけでなく、製造トップの専務や工場長、写植・版下担当者、製版課の若いレタッチマンやカメラ担当者、予定をいつも狂わし怒鳴りながらも版を焼いてくれた刷版課長、時には徹夜で校正刷りを刷ってくれた鹿児島出身のAさん、印刷工程で無理難題をいつも聞いてくれ、また、営業として最低必要限の知識を教えて頂いたSさん、お陰さまで一人前?になって大きな案件を受注し、物流倉庫に納品するときに協力してくれたジャンボさんなど多くの人たちの指導と協力があったからこそ今までやってこれたと感謝しています。土山印刷に入社してからはどうなのと思われるかもしれませんが、もっとも大事な時期に多くの恩人に恵まれ、ちょっと恥ずかしい表現ですが愛情を持って育てられたことが現在在籍出来ている土山印刷でその人たちに恩返しが出来ている、言い換えれば印刷と云うメディアを活用されているお客様に素晴らしいサービスが提供出来ているのではないかと思っています。繰り返しになりますがこの場をお借りして当時の社長・上司・先輩。同僚の方々にお礼を申し上げたいと思います。「ありがとうございました。まだ元気で印刷業に携わっています。これも皆様のおかげだと感謝いたしております」。
当時は今のようにデジタルで管理される時代ではなく、すべてアナログチックに管理される時代でした。だからこそ、まずは最低必要限の情報の管理と伝達することが基本でした。印刷業は複写・転写の連続と伝達ゲーム?の業界です。最低必要限の情報とは云え、Q C Dを担保することが絶対必要条件です。どれかひとつでも抜け落ちていたり、まちがった情報であったり、そして最も大切な時間問題がルーズであったりしたら次工程には進まず、ミスやクレームも起きかねません。お客様に大変なご迷惑をかけ、会社には大きな損害を与え、そして大切な関係の協力会社に物資両面で大きな負担をかけてしまいます。
こんなことを書くと社長に嫌な顔をされるかもしれませんが、精神論的表現になるかと思いますが、お客様と交わす商談はいうに及ばず、社内で交換する情報にパワーを持たせ、時には情熱を持ち、相手に熱い思いが感じられる情報・言葉が信頼と安心の源でした。営業にとってこれだけは絶対譲れないという情報は複雑怪奇で多過ぎては返ってマイナスになるのではないかと思います。アナログのいいところだったと思いますが、我々営業は当然文字にして情報伝達をしていましたが、文字以上に強く伝達したいがために声に出して伝達していました。しつこいくらい伝え、確認しました。デジタルを否定するつもりはありませんが、今の人たちはそこが不足しているのではないでしょうか。相手に確実に伝えるためにPCを使って情報を送ったり作成したりしています。そこでは確認が疎かになりがちではないでしょうか。声を出して伝えることがしつこく思われたり、時には嫌でも第三者にも聞こえたりすることがよくあります。しかし、上司や先輩や同僚がその場で気づいたことや間違いを指摘してくれたり、別の考え方や方法を教えてくれたり、もっと云えば経験からコストを下げる方法や納期を短縮する方法、そのためには協力会社の紹介や変更なども教えてくれたりする機会でもありました。そこで我々は改めて勉強したり覚えたりしたものでした。危険予知にもなり、クレームを防ぐ絶好の場でもありました。
ここで若い人に云いたいのは、部下や同僚、時には上司や先輩、また、お客様同士やお客様と競合他社が交わされている話に盗み聞きせよとは云いませんが聞き耳を立てなさいと云うことです。常にアンテナを立てておきなさいと云うことです。そして必要ならば割り込んで厚かましく声を出すこともすべきではと思っています。嫌われたり、うるさがられたりすると思いますが、そこは会社のため、部下や同僚のため、もちろん自分自身のためです。デジタル時代に逆らうつもりはありませんが、現代では何でも答えや情報はPCから得られます。
ただ私が思うには、PCに間違いはなくベスト・ベターな答えや方法を教えてくれます。しかし、失敗例や間違いを犯したプロセスはあまり教えてくれません。キャリアを積むなかで必要なことは、残り1%の異なる技術や方法も視野に入れられる幅の広さが必要と教えられました。大げさな表現になりましたが、「独断専行するな」、「人の意見や考え方を聞け」、言い換えれば印刷業界においてはいろんな考え方や多様な技術と方式が存在し、それで飯を食っている人たちが多くいることを忘れるな、が教えでした。しかし最後に最適なジャッジをするのは自分であり、責任を負わなければならないのも自分であることを厳しく教えられました。
基本的な事・初歩的な事・当たり前の事を適切に伝達し、お客様に満足してもらえる商品を常に納め続けられたのがKさんであり、私たちに身をもって示されていました。「難しいことや専門的な知識をひけらかす営業にはなるな お客さんの前では技術専門用語は聞かれるまで出すな」がモットーであり、「そんな情報や知識・用語をお客様は求めていないよ。お客様は発注した印刷物が決めた価格で納期通りに自分たちが求めた品質で上がってくることだけを知りたい、聞きたいのだから」が口癖でした。反面、聞き流してしまうような、そんなに重要視しない簡単で当たり前のこと程、実は印刷にとっては最も大事な情報であるとも教えられました。どうしても複雑な作業や工程に気がいってしまいがちになり、作業をスタートさせる肝心の情報が疎かになっていることが結果的にはミスやクレームの要因になっていないでしょうか。Kさんの工務作業を約半年間毎日見続けられたこと、その後の営業活動を一緒に出来たことが私にとって幸せなスタートになりました。そんなKさんには私以外にも教え子だと自認する仲間が多くいます。本当に教え子と先生の関係になったのは入社半年後、会社が大手教育出版社からの印刷受注オンリーから脱却すべく新規開発に取り組み始めました。そのチーム?にKさんと私と私の同期と3人でまずはスタートしました。そこで私は印刷営業生活50年の第一歩を踏み出しました。
今回は営業として社内・製造現場・協力会社に向けて最初に教えられた初歩的・基本的な考え方や行動の取り方を書いてみました。新人教育セミナーや専門講座を受けずにスタートしました。当時は中小企業では金銭的や時間的にそんな余裕がなかったのかもしれません。後に銀行やコンサル会社のセミナーや教育講座に参加させられましたが、師匠の現場に即した教育の方が面白かったです。講師の先生方申し訳ございません。
当然異なる考え方や指導方法をお持ちの会社や営業の方がいらっしゃると思います。しかし、私には分かりやすかったし取り組む課題が少なかったことがこの業界に居つけたのではないかと思っています。Kさんの指導が「あれもこれも強制的に覚えろとか勉強しろ」ではなかったことが、私にとっては幸運だったかもしれません。その代わり与えられた課題については丁寧に一つ一つ取り組んで来たと自負しています。
最後に少し脱線しますが、入社2年目に名古屋の印刷会社の息子が勉強をかねて入社して来ました。生まれた時から印刷インキの匂いを嗅いで育ってきた後輩です。しかし私は1年先輩です、絶対に1年間の経験の差を守り切ろうとしました。負けず嫌いではなく、そうでないと1年間営業として経験してきたことが無意味になるのではないかと思いました。とは云え、印刷知識では圧倒的に彼の方が上でした。同期のM君とふたり、ずいぶん多くのことを彼から学びました。3年か4年たってお父さんが経営される会社に戻りましたが、それまでは本当に仲の良い同僚でした。残念ながら確か30代半ばで逝ってしまわれました。彼には今でも感謝しています。改めてこの場をお借りしてご冥福をお祈り申し上げたいと思います。因みにその後数年して、今度は長崎の印刷会社の跡継ぎI君が入社して来ました。その時には私は営業として自信満々?で先輩ヅラしていました。頭が良く有能だったK大出身のI君、申し訳ありませんでした、偉そうにして。でも素晴らしい関係の後輩でした。
最後は脱線しましたが、Kさんの凄さは営業としての考え方や立ち振る舞いだけでなく、人として素晴らしい人でした。営業のイロハを教えられました、人生の生き方も教わりました。そんなKさんは前職の会社では最後は常務でしたが、私が付き合い始めた頃は係長、私が退職する時は部長でした。前職を辞めるときは快く送り出して頂きました。我々営業の若手間ではKさんのことを部長とは呼ばず先生と呼んでいました。次回は私がKさんから学んだ営業のイロハや生き方について簡単に書いてみたいと思っています。
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