【映画評】ラストマイル
ネタバレしています。
これから見る方は注意してください。
テロ×物流×システム化というテーマを三位一体で、提示した作品。
「使っていたら使われる」主人公の舟戸エレナの言葉である。
哲学者ハイデガーは、わたしたち人間が主体として動いているのではなく、技術の体系=システムこそが、わたしたちを徴用して動かす主体なんだと論じた。ハイデガーの技術論は、下記の9章がわかりやすかった。
「Customer Centric」という標語が何度も出てくる。centerがあるならperipheryも生まれる。お客さまが中央なら、誰かが外部で、その負担を背負っているのだ。それが物流企業が長いこと背負って、消費者が免除されてきたことかもしれない。現場でピッキング作業している人が、点数化されて評価されているのも、監視と労働の観点が入っていて、興味深い。
ディーンフジオカ演じる、DIARY FAST社日本法人のトップは、人が目の前で血を流して倒れているにも関わらず、死んでも配送を止めさせるなと叫ぶ。
わたしたちが主体ではない。5年間も意識不明の状態になっている、中村倫也演じる山崎は、現状のわたしたちのメタファーだろう。
What do you want?あなたの欲しいものはなんですか?
最後のシーンで何度もリフレインされる。
このシステムの体系が回り続けているのは、資本主義のシステムから発せられるメッセージで、わたしたちの欲望が惹起されているからだ。
山崎が残したメッセージ、2.7m/sでコンベアを無造作な円状に回し続けているのは、ほかでもない、わたしであり、あなただ。
とはいえ、資本主義は功利的に最大多数の最大幸福を達成してきたのは間違いない。資本主義以外のシステムにはまったく期待できない。
山崎がコンベア上に身を投げても、エレナが抵抗しても、システムは止められない。ディーンフジオカが、俺がいなくなっても意味がない、止められないと言ったように。だが、そこが問題ではないのだ。
本作を見て、システム化してわたしたちが切り落としてきたもの、だれが痛みを被っているのかを考えてみる契機になるといいと思う。
大事なのはシステムのなかにいることを自覚しつつも、人に頼ったり、システムの外に想像力を伸ばし、山崎の書いた無限ループの円のなかから、少しでも脱線しようとすることではないか。エレナが、システムのレールから外れたように。
エンディングの米津玄師のがらくたの歌詞も映画とマッチしていたと思う。
からっぽにならないように。遠回りして帰ろうと言えるように。