根性は必要か( #今朝の一言_ラッパの吹き方 )
毎朝7:30に個人TwitterアカウントとFacebook「ラッパの吹き方」ページに掲載しております「今朝の一言」。先日はこんなことを書きました。
昭和の頃はなんでもかんでも根性で片付ける風潮がありました。ちょっとくらい具合が悪くても根性でなんとかなるとか、給食が食べきれなくて休み時間になってしまう子は根性が足りないとか、それを教師が当たり前のように言っていたのですから今から考えると異次元な世界ですよね。当時は戦時中の思想が燻っていました。
ですから、当然吹奏楽部とか管楽器の練習にも根性論は存在していて、レッスンをしていて興味深いのですが、今の40代以上の人の多くは力任せに音を出す傾向にあり、一方で年齢が若くなればなるほど力任せで音を出さなくなっています。
僕もバッチリ40代ですから、そんな環境でトランペットを吹いていました。中学生の指導者は戦時中の軍人みたいな発想を持っていて、どこまで本気だかわかりませんが、バテても吹けるようになれとか、気合いが足りないとか普通に言ってたと思いますし、吹奏楽コンクールシーズンが近づいてくると「欲しがりません勝つまでは」とか言っていたので気味が悪いと思っていました(ネタだったのか何なのか)。
しかし当時は僕も根性論で楽器を吹いていましたから、その時のクセや習慣が音大生になっても卒業しても抜けずにずっと苦労していました。楽器の奏法に根性論は必要ありません。
しかし、根性すべてが悪であるとは言えない、と考えています。
それは、例えば毎日練習を継続するとか、できない箇所に対してできるまで研究や練習を続ける努力や精神的強さを根性を呼ぶのであれば、それは大切なことだと思います。
また、トランペットは空気圧コントロールによって演奏をしています。例えばハイノートは低音に比べて高圧状態を用意する必要がありますが、それを長く伸ばすのであればそれ相応の腹筋を使い、高圧状態をキープする必要があります。これを根性と呼ぶのであれば、やはり必要なことです。
僕自身「根性」という言葉はあまり好きではありませんが、何かひとつのことを途中で諦めずに結論が出るまで追求することはとても大切です。目標にに到達するまで続けていく精神力、さらに上を目指したいと思って立ち止まらない意思の強さ。これを根性と呼ぶのであれば、そういったものはぜひ持っていてほしいものです。
荻原明(おぎわらあきら)